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RANDOM MUSICランダムおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • BLINKSTONEの真実を

    BIGMAMA

    金井政人は非常にモチベーションの高い人間である。そして理想の高い人間である。 無理もない。この人は持てる者だ。 まず普通に顔が格好良い。 そして学がある。ポイントは最終学歴ではなく、付属高校から中央大学に進学していることだ。東京出身。私立の高校に進学できるだけの経済的余裕と、文化資本を備えた、いわゆる中流家庭の出身であると推察できる。 BIGMAMAの優美でクラシカルな世界観は

  • めぐり逢えたら

    おとぎ話

    古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。 最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。 独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。 新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時

  • 人間ビデオ

    ドレスコーズ

    偉大なバンドは磁場をつくる。 多くのリスナーを惹きつけるためだけの磁場ではない。簡単に言えば、フォロワーを生むということだ。 多くの場合、フォロワーバンドというやつは幾つかの類型に分けることができる。 最も一般的なのが、単なるマネだ。そこにオトナのマーケティングがある。この感じがウケる。ロジカルシンキングに長けた企業人は、スピーディーにトレンドをキャッチし、商品に反映させることができる。

  • ニューロマンサー

    おやすみホログラム

    ウィリアム・ギブスン! 近代的なダンスビートと、キッチュなメロディラインは、そのタイトルに相応しいSF的高揚感に満ちている。 "ありふれた感情の墓場って 全くこんな感じだって" クールに怪しく激走するイントロからのハスキーな歌い出しがむちゃくちゃ格好良い。 ワンコーラス終わった後、自由に展開しはじめる主旋律も、曲の混沌を深め、いい具合にリスナーを迷わせる。 工場?を舞台に撮

  • 恋をしたのは

    aiko

    aikoはメロディとコードが面白い。 それはよく言われていることだ。 『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロ

  • 生きていたんだよな

    あいみょん

    あいみょんは、影のある少年のような声をしている。あいみょんの最大の個性は、ハイパフォーマンスなこの声にある。尖った強いエゴや、その奥で守られている心の震えを、言葉を乗せずとも伝えてしまう蒼い声だ。 アコースティックギターのストロークよりもスピーディーに畳み掛けるメロディは、声の次に独特だ。野狐禅の竹原ピストルに似ていると指摘されているが正しいと思う。フォークの流儀だ。声質も相まってすこぶる気

  • STARTING NOW!

    水樹奈々

    アニソン界の覇権を握ったまま長いが、そのボーカルスタイルはアニメ声とは程遠い。当初から、声優ではなく本格的な歌手を志していた背景からして後続とは一線を画している。 『STARTING NOW!』はストイックでハードなロックサウンドがかっこいい。 水樹奈々の十八番といえるこのスタイル。無論、歌唱技術には余裕しか感じない。 ハードロック出自のヘヴィーな楽器隊とポップなボーカルの対比は、Jud

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • 曽我部恵一は紛れもないミュージシャンズミュージシャンズだ。先輩後輩問わず他のバンドマンや評論家に、曽我部恵一という人間はあまりに讃えられている。愛されすぎて逆に胡散臭いくらいだ。

    同業者に愛されるにはいくつか理由がある。人柄もそうだろう。しかしそれよりも鍵になるのは、同じプロであってもなかなかマネできない、マネしようとしない音楽をやっていることだ。

    他のミュージシャンに出来なくて、曽我部恵一にできる音楽ってなんだろうか。そのキーワードは、恥ずかしさ、だと私は思っている。

    恥ずかしい音楽にはいくつかある。プライベートな歌詞だったり、不器用で必死な歌声であったり、古臭い曲調だったり、子供っぽいソフトな曲調だったり、粗削りな演奏だったり。

    恥ずかしいことを人はやらない。恥ずかしいからだ。しかし、こと芸術となってくると、必ずしもそうは問屋がおろさなくなってくる。なぜなら、人間はひとの恥ずかしい一面というやつに心を動かされてしまう生き物だからだ。親友の打ち明け話。気になる人の普段は見せない表情。汗を流して働く人。体を張った芸人のコント。旅の恥はかき捨てと言うけれど、恥をかきたくなければ冒険をしなければ良い。人はなるべき恥をかかずに生きていく。しかし何かしらの表現を志し人の心を動かしたければ、表現のカッコよさを磨くだけでなく個々のできる範囲で、恥をかいていく必要がある。

    プライベートな歌詞だったり、不器用で必死な歌声であったり、古臭い曲調だったり、子供っぽいソフトな曲調だったり、粗削りな演奏だったり。

    曽我部恵一が讃えられるのは他のミュージシャンたちが、半ば反射的に隠してしまうこれらの恥を自然体のまま、聴ける音楽に昇華してしまうからだ。もちろんそれらを実現するには技術もいる。作曲、編曲、ボーカル、演奏で高度なバランス感覚を持ち、さじ加減を知る耳を持っている必要がある。とはいえ、生き様に裏付けられた彼の人間性がなにより、生身の恥ずかしさを、聴ける、ものとして存在させる。

    曽我部恵一の顔が村上春樹に似ていると思うのは私だけだろうか。エッセイやインタビューを読むと、村上春樹は村上春樹の小説の主人公のような生き方を本当にしていることがわかる。曽我部恵一も曽我部恵一の楽曲の主人公のような生き方を本当にしているからこそ、恥と表現が美しく繋がっているのだと思う。

    『セツナ』はいい曲過ぎる。アコギの鳴るミディアムでメロウな良曲は彼に多いが、それにしてもこの透明感は稀有だ。メロディは二パターンを機械的に繰り返す。シンプルな構成。コーラスでコンプがかったボーカルや淡々としたピアノも相まってドライな印象に拍車をかける。


    "夕暮れの街切り取ってピンクの呪文かける魔女たちの季節"


    しかし、言葉数の多い色気のあるメロディとちょっと"ピンク"でドキッとする歌詞にはむくむくとしたエネルギーが内包されていて、微熱のまま夢の中に誘うような強引さも備えた曲になっている。

    タワーレコードのインストアライブでこの曲を演奏している映像を見た。ベースの田中貴と二人編成のサニーデイ・サービスで、バリバリに歪ませたストラトキャスターを抱えて曽我部恵一はこの曲を絶叫していた。スタジオ音源の『セツナ』の洗練に抗うようだった。違和感が無かったことは驚きではない。表現を変えても取り払えない、曽我部恵一の、聴ける、恥があるからこそだと思う。

    MVのヒロインは廣田朋菜という方だそう。映像部隊が優秀なのだろう。彼らの映像コンテンツはいつも良い。だけど今回は特に良い。
    『恥と洗練と同業者』 を詳しく ≫
  • カオティックという言葉がある。
    その言葉の選ばれ方において、カオティックと、カオスは全く別物である。

    カオスは字義通り混沌の意味。
    ジャンルレスであったり、特にそれが無秩序な印象につながっていたりすると人は、カオスな曲だ、と表現する。
    他方、カオティックはむしろ秩序だ。
    具体的には、スクリーモ、あるいはスクリーモ系のエモ、ハードコア、メタルコア、ミクスチャーロックなどを主戦場とするバンド達の、様式的で完成度高くセットアップされた変拍子や展開、音のキャラクターを褒める際に使われる。

    そう。
    本格ミステリは様式美だ。と言った小説家がいたが、同じようにカオティックも様式美である。
    スクリームがあり、ノイジーなパートがあり、メロウなパートがある。
    自己の内面に向き合った退廃的、破滅的な世界観。そして変拍子に転調、と音楽理論や演奏力をフルに発揮する。


    『自意識不明』も上記の様式美を満たした、実力派のカオティックソングだ。
    ツインペダルとメロディアスかつノイジーなリフの怒涛のスピード感。
    歌詞に魂をこめた切迫感のあるパンキッシュなスクリーム。
    ギターがクリーントーンになるメロウなパートも美しい。
    こんなときこそドラムは突っ張って捻ったパターンを叩く。
    そして歌詞。言葉でメッセージを表現することへの強い拘り。
    カオティックであるということは実力派ということなのだ。
    完全無欠であること。それは負の意味でのカオスの対極にある。


    nervous light of sundayほど本格的ではないが、同じようにカオティックなハードコアバンドの七弦ギタリストを努めていた友人がいた。
    彼は東京の高校を中退し、たくさんのバイトを経験しながらバンドでのデビューを目指していた。
    私のように学校では良い子で通ってた人種からすると、悪い友達も多そうな彼は、いわゆる不良っぽいところがあったが、音楽に対してストイックに追求するその様子には、姿勢の違いをひしひしと感じた。
    単にがむしゃらに夢を追うのではなく、彼には技術、知識への貪欲な向上心があり、事実それを身につけていた。
    ハードコアだけでなく、本当に多様なジャンルの音楽を聴き、映画やアニメにも詳しく、ピアノも弾けたようだ。

    彼には、とび職から転身したと言われるバンド『FACT』のキャリアにグッとくるような一面があった。それこそが彼の本質だと思う。
    しかし、持ち前のヤンキー気質で音楽のインテリジェンスに迫るその生き様には、同じ音楽好きとして考えさせられるものがあった。

    nervous light of sundayは大田区の大森出身のようだ。
    件の友人も東京だった。

    実は、彼がその後どうなったのかはわからない。
    『自意識不明』のスピーディーで艶やかなギターリフや、練られた楽曲構成に唸るとき、私は彼のことを思い出す。
    そしてこのシーンの層の厚さに、新たなヒーローの誕生を想像する。
    『カオティックとインテリジェンス』 を詳しく ≫
  • アニソン界の覇権を握ったまま長いが、そのボーカルスタイルはアニメ声とは程遠い。当初から、声優ではなく本格的な歌手を志していた背景からして後続とは一線を画している。

    『STARTING NOW!』はストイックでハードなロックサウンドがかっこいい。
    水樹奈々の十八番といえるこのスタイル。無論、歌唱技術には余裕しか感じない。
    ハードロック出自のヘヴィーな楽器隊とポップなボーカルの対比は、Judy and Maryを彷彿とさせるけど、良い意味でのそのギャップは彼ら以上だろう。


    コールアンドレスポンスを意識したサビ。
    青空とエアプレーンのスポーティーなPV。バンド感。
    どんな曲をやってもトータルの演出クオリティがブレないのは本人の実力以上のチームの強さを感じる。

    音楽に全く詳しくないのに、昔から水樹奈々のCDだけはからなず発売日に買っている友人がいる。
    きっとこの国には彼のようなファンが沢山いるのだと思う。
    思えば、良いバンドも得てしてそういうものだ。サマーソニックにMr.Childrenが出演したとき、他バンドの出演時間からステージの最前列に陣取り、その上演奏中のバンドに全く関心を示さない「ミスチル地蔵」が話題になった。

    良き音楽ファンにだけ愛されるアーティストは、圧倒的多数の心をつかめない。
    多くの、音楽好きが陥る罠だ。発言力のある玄人に目配せしすぎて魅力の干からびたアーティスト崩れは、スターの後ろに屍のように積み重なっている。

    水樹奈々は、Mr.Children同様、規格外の求心力を持ち、非音楽ファンの心に音楽ではなく自分自身の居場所をつくることを選んだ、本物の音楽家なのだと思う。

    水樹奈々楽曲のバリエーションはもちろんハードロックサウンドだけではない。
    シンセサウンドのテクノポップや、民族調の世界観など得意分野の振り幅もなかなかである。
    近年見直されつつある、エンターテイメントショーとしてのライブ力も、国内トップアイドルのそれに比肩すると個人的には思っている。

    良いアーティストを聴く楽しみは、キャリアを通して聴くことにある。
    成長、変化、拡散、取捨選択、拡大、縮小、天然、作為、試行錯誤。音楽性の変遷はひとつなぎの物語であり、音楽史の縮図だ。その意味で、水樹奈々のキャリアを一気通貫で遊ぶのは、音楽リスナーとしてとても恵まれた成長ができる。
    加えて、水樹奈々のキャリアにはアニメ、ゲーム界への橋渡しもあるわけで、件の友人が人生をかけて水樹奈々を中心とした世界に満たされている理由に私はとても納得できる。良い音楽は青春時代のBGMではない。ライフワークとしての器があるのだ。私は彼が心底羨ましい。
    『ミスチル地蔵と奈々様』 を詳しく ≫
  • 偉大なバンドは磁場をつくる。
    多くのリスナーを惹きつけるためだけの磁場ではない。簡単に言えば、フォロワーを生むということだ。

    多くの場合、フォロワーバンドというやつは幾つかの類型に分けることができる。
    最も一般的なのが、単なるマネだ。そこにオトナのマーケティングがある。この感じがウケる。ロジカルシンキングに長けた企業人は、スピーディーにトレンドをキャッチし、商品に反映させることができる。商品とは、売り出し中だけどテコ入れが必要な若手バンドかもしれないし、アイドルかもしれないし、若くして女優を兼業するシンガーソングライターかもしれない。
    有名になりたいアーティストはたくさんいる。彼らはオトナに、ソレとわからないように、マネさせられる。

    もう一つのフォロワーは、もう少しピュアなバンドたちだ。
    偉大なバンドに心粋するあまり、他の音楽が耳に入らなかった男の子たち。例えば、BUMP OF CHICKENを聴くのに10代の全ての耳を捧げた少年が、20歳でバンドを立ち上げるかもしれない。彼は大衆にウケるためにバンプをマネる不誠実さなどこれっぽっちも持ち合わせていない。しかし、彼にとって音楽とはBUMP OF CHICKENのみであり、自分のパッションに忠実であることはつまり、BUMP OF CHICKENをやることでしかないのだった。

    本題。最後のフォロワーは最も有能であり、音楽好きであった。
    私は勝手に志磨遼平に親近感を持っている。最後のフォロワーは、心粋してしまった偉大なバンドが持つ磁場の外部に、自身の身を置こうと強くもがき、そのための客観性を持ち合わせているフォロワー、アーティストだ。

    志磨遼平は多様な音楽が好きであり、多様な価値観を持ち合わせている。それはだれの真似でもなく、真にアーティティックだ。その前提の上で私は言いたい。志磨遼平は、銀杏BOYZの磁場にいた。

    『人間ビデオ』を聴いて思ったのは、さすがに遠くまで来たな、という印象だった。
    例えば長い黒髪や、なるたけ裸な男女の機微や、ピュアであることの定義や、あえて王道なポップスであろうとすることや、多様なカルチャーへの歩み寄りに、その細部はことごとくオリジナルであっても、峯田和伸の天然の流儀に習わざるを得ない志磨遼平の強い無意識を私は感じた。例えば、その高身長と長い手足を生かし、ファッショナブルであることへ自身をモチベートしていこうとする姿や、どれを聴いてもいい曲であれる技術には、峯田和伸から自由であれる強い有意識を感じた。

    そこから長い時間が経ち、志磨遼平は、どんどん自由になっている。言い換えれば、どんどん遊べるようになっている。音楽が多様であることを、切迫感に突き動かされて追いかけるのでなく、それ自体を遊べるようになってきている。

    『人間ビデオ』のスクリーモのようなラウドでマッチョなサウンドを聴いて、そう思った。峯田和伸は音楽で遊ばない。志磨遼平は峯田和伸の磁場をつくる核から、自由になっている。

    サビはさすがのグッドメロディだが、いっそのことAメロのラウドネスで押し通せば、そこには新しいファンの集まるドレスコーズの磁場ができたのではないだろうか。
    『偉大なバンドの磁場と志磨の無意識』 を詳しく ≫

NEW MUSIC最新のおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • BLINKSTONEの真実を

    BIGMAMA

    金井政人は非常にモチベーションの高い人間である。そして理想の高い人間である。 無理もない。この人は持てる者だ。 まず普通に顔が格好良い。 そして学がある。ポイントは最終学歴ではなく、付属高校から中央大学に進学していることだ。東京出身。私立の高校に進学できるだけの経済的余裕と、文化資本を備えた、いわゆる中流家庭の出身であると推察できる。 BIGMAMAの優美でクラシカルな世界観は

  • しゅっとこどっこい

    バンドじゃないもん!

    鈴木美早子は侮れない。 明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。 ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。 その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。 アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。 そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼

  • Fall

    told

    「最近の若手には骨のあるやるがいないんです」 「あんたは春になるといつもそう言うな。新入りってのはな、朝顔みたいなものなんだよ」 「アサガオ?」 「ああ。アサガオだ。芽が出るまではとにかく水をやることだけ考えていれば良い。支柱をたててこっちが望む方向にツルを巻いてもらうのはそのあとの話だ」 「なるほど。おやじさんの言うことはやはり含蓄が違う」 「お代はまけないよ」 「わかってますって。

  • Be Noble

    ぼくのりりっくのぼうよみ

    音楽業界という謎の機関による絶賛を除いて、「ぼくのりりっくのぼうよみ」が絶賛されているところを見たことがない。 いきなり口がわるく申し訳ないがぼくはそう思う。 ただ、ぼくにとって音楽業界という謎の機関は、芸能関係者という謎の関係者と同じくらい情報に通じているという認識なので、ぼくは絶大な信頼を置いている。 だから、ぼくは「ぼくのりりっくのぼうよみ」を全面的に信頼している。もしも「ぼく

  • 夜空を全部

    sora tob sakana

    拝啓、オルタナティブ夏の夜。 東京の冬は寒いです。 2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。 星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。 あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通

  • 生きていたんだよな

    あいみょん

    あいみょんは、影のある少年のような声をしている。あいみょんの最大の個性は、ハイパフォーマンスなこの声にある。尖った強いエゴや、その奥で守られている心の震えを、言葉を乗せずとも伝えてしまう蒼い声だ。 アコースティックギターのストロークよりもスピーディーに畳み掛けるメロディは、声の次に独特だ。野狐禅の竹原ピストルに似ていると指摘されているが正しいと思う。フォークの流儀だ。声質も相まってすこぶる気

  • めぐり逢えたら

    おとぎ話

    古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。 最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。 独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。 新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時

NEW REVIEW最新レビューから音楽をみつける

  • 金井政人は非常にモチベーションの高い人間である。そして理想の高い人間である。
    無理もない。この人は持てる者だ。


    まず普通に顔が格好良い。
    そして学がある。ポイントは最終学歴ではなく、付属高校から中央大学に進学していることだ。東京出身。私立の高校に進学できるだけの経済的余裕と、文化資本を備えた、いわゆる中流家庭の出身であると推察できる。

    BIGMAMAの優美でクラシカルな世界観は、金井のこうした育ちの良さが大きく寄与している。メンバーの確かな演奏力にも、きっと同様のことが言える。


    金井政人は理想が高く、そこへ向かう努力を怠らない。彼はある種のナルシストであり、それが彼の人生に完全にポジティブにフィードバックされている稀有なタイプだ。


    金井政人はいくつものカードを持っている。その中でも、彼がバンドに夢中になって以降最も念入りに育てているカードが、作家性という名のカードだ。作家性というキーワードはインタビューなどでも本人の口から触れられている。


    彼の高いモチベーションと豊かな文化資本と感の良さが、ヤンチャなイケメンのレベルでしかなかった作家性を、プロのソングライターという看板に耐えるところまで引き上げた。アーティストかくあるべし。金井政人は、自身の潜在的な作家性を肯定せず、生真面目に理想を追った上で努力する。読書については、次のように豪語している。


    "日課の読書は言葉を知らないバカでありたくない義務感にのみ由来している"(ブログ)


    最新アルバム『Fabula Fibula』でも作家性へのチャレンジが行われている。
    『Fabula Fibula』は、"収録されている全ての曲に街の物語とテーマがあり、アルバム1枚で一つの地図ができあがる"(リアルサウンド)というコンセプトを持ったアルバムだ。


    サージェント・ペパーズ以降、ロックは若者の遊びから離れ、芸術になっていく。その象徴がコンセプトアルバムという試みだ。金井にとって今のBIGMAMAは、芸術のステージにあると言える。


    『BLINKSTONEの真実を』では、フィクショナルな雰囲気がむんむんであることをまず指摘したい。
    美術館で撮影したMVは言わずもがな、冷たくヨーロピアンなメロディラインは、ポップミュージックとして落ち着いてしまうことを拒む強さがある。
    面白いのは、ハードロックなギターリフをガッツリ組み上げた上で、このような雰囲気に持っていくところだ。当然だが、作家性への拘りが第一に追求するのは歌詞ではない。オリジナリティだ。
    その点、チャレンジングなサウンドや編曲は金井にとってマスト事項となり、それは『BLINKSTONEの真実を』に象徴的である。


    歌詞にも一見の価値がある。


    "Don't look into her eyes
    dangerous It's a sweet trap
    決してその目を合わせてはいけない"

    "目と目が合えばその瞬間に
    氷のような冷たい接吻
    恋と地獄の底なし沼へ"

    "Medusa she is Medusa
    criminal she is criminal
    BLINKSTONEの真実を"


    BLINKはまばたきだ。見たものを石に変えてしまう、ギリシア神話のメデューサをモチーフにした物語だと分かる。
    気になるのは、"she is criminal"というセンテンスだ。メデューサがある種害悪のある存在であることは周知の事実である。つまり、彼女がcriminalであることを客観的に指摘する行為は、原理的には伝えるべき情報から省かれている。
    逆説的に解釈できるのは、メデューサ、あるいはメデューサに例えられている女性は、crinimalな存在ではないということである。そして彼女をcriminalと主張するのは、あくまで物語の語り手であり、それはひとつの主観でしか無いことを覚えておきたい。
    冒頭には次のような歌詞がある。


    "決してその目を合わせてはいけない"


    "その目"は、メデューサの目ではなく語り手の目を指す。
    ここにおいても、客観的にメデューサをフィーチャーするのであれば、「その目を見てはいけない」あるいは「その目に合わせてはいけない」と表現するほうがより自然な表現だと感じる。メデューサの目でなく、語り手の目が目的語となっていることに、客観ではなく主観に力点が置かれていることが象徴される。


    最後に、"BLINKSTONEの真実を"について。
    BLINK、まばたきをするのはやはり物語の語り手だ。
    そして"真実"があると説く。
    真実は物語が主観で描かれるときのみ脚光を浴びる。なぜなら主観から真実は隠れるから。
    逆に、客観とは神の視点であり、客観である限り真実は開かれている。


    まとめると、この曲の物語は、極度に語り手の主観に依存しており、それがひとつの仕掛けになっている。
    メデューサを一方的に、criminalな存在にしているのは、物語の語り手だ。

    そして真実はいつだって主観の外側に在る。この曲は、主観とは異なった真実を、間接的に読み取らせる構造になっている。ちなみにその真実がなんなのかは描かれていない。とはいえ、主観の記述を全面的に反転させることがヒントになるだろう。そこでボンヤリと見えるのは、メデューサという外的な危機ではなく、語り手自身の内的な退廃と、それがある状況に陥ったときの人間の宿命的なものであるという諦観、そして破滅的なロマンである。


    以上が、金井政人にとってどれだけ意識的なアプローチであったかは大した問題ではない。なぜなら、真実は金井政人の主観の外側にあるからだ。金井政人の作家性に誓って。
    『金井政人の作家性 メデューサの真実』 を詳しく ≫
  • 鈴木美早子は侮れない。
    明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。
    ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。

    その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。
    アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。

    そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼女のことがわからなくなった。出来過ぎのような紅一点の適正は、天性のものではなく、コントロールする余地のあるものだったのか。ひとまず結論付けた、私にとってのみさこのキャラクターは、まだまだ洞察の足りないものだった。

    鈴姫みさこは侮れない。
    バンドじゃないもん!は、ひょっとしたら、ゲスの極み乙女よりもよっぽどゲスなサブプロジェクトかもしれない、と今になって思っている。もちろんこれは褒め言葉だ。


    『しゅっとこどっこい』を聴いた印象をひとことで言うと、全盛期のモーニング娘。だった。
    共通して描かれているのは、ハチャメチャ感だ。ハチャメチャ感は、スムーズさを意図的に無視した落差のある曲展開や、過剰なセリフ、合いの手、シュールな単語のリフレインなどにある。ハチャメチャ感を演出する理由は、ひとえにハッピーなテンションそのものが曲のメッセージであるからだ。

    モーニング娘。は二十世紀から二十一世紀への結節点での、トップアイドルだった。
    『恋愛レボリューション21』にハチャメチャ感は顕著である。不景気と言われながら日本中がそれを楽観視していた時代の空気を忠実に掬い上げている。ハッピーなテンションが最大級であることを表現するためにつんく♂は、歌詞でハジけるだけでなく、サウンドと歌唱を過剰に、ハチャメチャにした。それはまさに時代との真っ向勝負であり、結果としてつんく♂はアイドル天下統一時代を築き上げた。

    他方、いまはアイドル戦国時代と言われ、アイドルたちの楽曲も多様化を極めている。そんな中、『しゅっとこどっこい』に代表されるバンもん!のハチャメチャ感に、私はオールディーズへの憧憬にも似た懐かしさを感じた。唐突に挿入されるラップ、曲名を連呼するだけのリフ、ランドセルのようにツルピカなディストーションギター、PVの最後にお決まりのように挿入されるディレクターの「カット!」という声などに、久しく見なかったセンスを感じた。21世紀が真新しかった頃のそれだ。

    そのような作風になった要因として挙げられるのが、みさこやメンバー、作曲者であるゆよゆっぺが、モーニング娘。の時代に育った世代であること、そしてバンドじゃないもん!がベタなアイドルではなく、アイドルそのものへのパロディ的メタ視点を抱えたアーティストであるということである。

    例えば、バンもん公式のメンバープロフィールは過剰なアイドルっぽさで溢れている。
    みさこの公式な年齢は「精神年齢13歳」であり、血液型は「黒足アヒル型」。望月みゆの年齢は「1こした」、大桃子サンライズの出身地は「プレアデス星団」だ。

    モーニング娘。の全盛期と同時代、小倉優子というアイドルが、こりん星からきたというキャラ設定で活躍していた。それがユーモアであると受け入れられつつも、ときに本人が窮屈さを感じているように見えたのとは対象的な軽やかさと余裕がバンもんにはある。バンもんにとってアイドルは、自分自身であると同時にパロディの対象でもあるからだ。

    そう考えるとやはり、鈴木美早子は侮れない。
    媚びないのか媚びるのか分からないし、隙があるのかないのかも分からない、壁がないのかあるのかもわからない。ただ明るく愛嬌があることは確かである。ひょっとしたらそれこそが音楽で人を楽しませるための決定的な才能なのだろうか。
    彼女が、天才的な紅一点という私の断定に収まらずにいてしまったことが恐ろしく、悔しく、しかしそれは必然だったのだろう。考えてみれば鈴木美早子その人自身がミクストメディアを地で行っていたのである。
    『鈴姫みさこは侮れない。』 を詳しく ≫
  • 「最近の若手には骨のあるやるがいないんです」
    「あんたは春になるといつもそう言うな。新入りってのはな、朝顔みたいなものなんだよ」
    「アサガオ?」
    「ああ。アサガオだ。芽が出るまではとにかく水をやることだけ考えていれば良い。支柱をたててこっちが望む方向にツルを巻いてもらうのはそのあとの話だ」
    「なるほど。おやじさんの言うことはやはり含蓄が違う」
    「お代はまけないよ」
    「わかってますって。おれも疲れて飲みに来たサラリーマンにサラッと人生を説けるオトナになってみたいってだけです。ところで、じつのところ今回はそれとは話が違います」
    「違う話?」
    「うん。新入社員じゃなくて、バンドです」
    「バンド?そういやあんたの仕事は編集者だったな。酒を飲んでるところしか見たことがなかった」
    「それはこの店にきてるからでしょ。うん。音楽雑誌のね」
    「それでバンドがどうしたって?」
    「もう10年この仕事をやってきました。バンド音楽にハマって新譜をチェックするようになってからは15年。それが最近すっかり新譜を追う気力が無くなってきているんです。仕事じゃなかったらおれはもうロックバンドを聴いてすらいないんじゃないかと思う」
    「忙しすぎるんじゃねえのか。オンナつくってドライブでもしてみろ。オレの頃はみんなユーミンをカセットテープに入れていたもんだ」
    「忙しいのもある。耳が肥えてしまっているのもある。しかし、一番の原因は面白いバンドがでてこないことにあると自分では思っているんです。少なくともおれはそう考えている。もちろんいまも絶え間なく新人バンドのデビューはある。でも、それがことごとく面白くない」
    「面白くないってのはお前の都合だ。どこがどう面白くないのか聞かせてもらおうじゃないか」
    「そうです。それは確かにおれの都合です。おれはこう思っています。いまのバンドは節操がない」
    「節操?」
    「うん。要するに、ロックバンドが貧乏になることを怖がっている」
    「それがどう節操に繋がるんだ?むしろお行儀が良くて小じんまりとしたやつが最近は多いじゃないか」
    「まず第一に、プロモーションへの抵抗が全くない。第二に、アルバムをコンスタントにつくりすぎる。第三にそう、お行儀が良い」
    「なるほど、ロックバンドらしくないってわけだ」
    「ロックバンドらしくない在り方が既存のロックバンドへのオルタナティブならまだ良いんです。だけどそうじゃない。例えばジョンレノンが最新のグッズが完成する度に自前のECサイトをリツイートしたらどう思います?お茶の間にも届けたいんだといってミュージックステーションに出たらどう思います?デビューからの節目だからって十年ごとに武道館公演をやったら?」
    「おもしろいだろうが、かっこよくはないわな」
    「うん。ビジネスを理解するロッカーや、現実を見て販促できるロッカーなんて、そもそも本質的に面白くない。それを一種のオルタナティブに見せたところで、長期的には音楽の面白さがすり減るだけなんだと思っています」
    「アルバムはコンスタントに出してくれたほうが良いんじゃないのか?」
    「みながデビットボウイやプリンスならね。それが果てしない創作意欲なのか、狭い世界でのルーティンワークなのかって話です。本当に自分たちが世に出さなければいけないアルバムでない限り下手に作品をつくらないほうが良いとおれは思う。少なくともロックバンドなら」
    「ピストルズのように一発かまして解散しろ、ってか」
    「奇をてらえってわけじゃないんです。不良ぶってろってわけじゃないんです。ただピストルズもジョンレノンも町田町蔵も、もしかしたら尾崎豊なんかも、その物分りの悪い姿勢がパフォーマティブなものでしか無かったわけはないと思っています。音で裏切らないために、彼らの中では有機的な接続があった。いまのバンドにはその双方がない」
    「おれは景気の悪さも影響してると思うぜ。ミュージシャンも人の子だ。背に腹はかえられねえ」
    「おっしゃる通り。この国の景気の停滞は甚だしい。雇用は安定せず、賃金も上昇しない。エアポケットのような儲け話も、契約社会と情報社会で淘汰されつつある」
    「音楽業界はもっと悲惨だ。栄光が輝かしいだけにね」
    「そう。だから、ロックミュージシャンであっても、サラリーマンのように手堅く、細かい仕事で細かい実績を刻んでいく。フォロワーを増やしていく。一発当たることなんて原理的にもうないのだから。それはよくわかる」
    「突破口は?」
    「ないです」
    「お前にできることは」
    「それはあります。それが仕事だとは思っていますから。しかし、音楽雑誌は明らかに回帰している。キャリアの長いアーティストたちに。リスナーにおいても同様です。若者がつくった音楽を若者が聴いて、それがユースカルチャーとして神聖化される図式が成立しなくなっている」
    「有望な若手か」
    「そうです」
    「toldってバンド知ってるか?」
    「told?」
    「最近のバンドだ」
    「知らないです。70'sまでが専門領域のおやじさんから最近のバンドの名前が出るってのは珍しいですね。それがどうかしたんですか」
    「この界隈はバンドマン多くてな」
    「そうでしょうね、中央線沿線は。私もそんな雰囲気に憧れて田舎からやってきたたちですよ」
    「常連がそのバンドの熱心なファンなんだ」
    「アマチュアですか?」
    「半分はそんなものだ。おれも一枚アルバムもらって聴いてみたんだが少しおもしろいとおもった。まず、やろうとしていることが少ないなと感じた。これは良い意味で」
    「やろうとしていること?」
    「ああ。キャリアは10年弱あるらしいが、アルバムはここ2、3年に二枚出しただけだ。第一に音数が少なくバンドの音しか入っていない」
    「でも、そんなアーティストはたくさんいるのでは?」
    「いる。でも違う。すべての曲で定位がすごくはっきりしているんだ、toldというバンドは」
    「スピーカーの左右に音を振る定位?」
    「そう、特に二本のギター。これがどの曲でも、お揃いの衣装を着た強面のボディーガードのように左右にきっちり控えて鳴っていて、それがとても形式的なんだ」
    「ボーカルは?」
    「ボーカルはギタリストがとってる。ただ、前身のバンドではピンのボーカルがいたらしいんだな。それがそのまま抜けたのがいまのtoldになっている。だからいい意味で真ん中が空いている音作りになっているのかもしれない」
    「それは聴いてみたいな。バンド名もシンプルでセンスが良いですね」
    「曲名もそうなんだ。おれが気に入っている曲は『Fall』という」
    「面白いですね。最近はSEO対策したブログ記事のタイトルみたいなバンド名や曲名が多いですから」
    「気負いがない、っていうのかな。それが、時として貧相になりがちなくっきりした定位をサラッとやってのけるのだと思う」
    「メロディは?」
    「控えめだな。キャッチーだけど、歌に背中を預けたポップソングではない」
    「オルタナ?」
    「うん、その類いだな。Fenderだっけか、低音も高音も鋭利な音だ。でも下手な展開や、賢しらぶった歌いまわしとか、気味の悪いポエムとか、そういった鼻につくような背伸びがない」
    「気負いがないんですね」
    「気負いがないんだな」
    「で、それがどうかしたんですか、toldが」
    「いや、あんたが骨のある若手がいないっていうからさ」
    「ああ、それで」
    「骨はあると思うぜ。ただ、養殖して服着せて儲けることはできねえかもしれねえな」
    「売れないですか?」
    「そんなタイプじゃない」
    「それでも構わないですよ。気負いすぎて縮こまった80点のバンドばかりですから」
    「その意味じゃ、toldは70点だな。でも全くテスト勉強はしていない」
    「それは必要に応じてこっちがさせるんです。勉強なんていらないと思っているバンドにしかシーンをつくるポテンシャルはありません」
    「威勢がよくなってきたな」
    「良いバンドの口コミですから。職業病かもしれません」
    「酒のおかげだろ。まあとにかく聴いてみることだな」
    『最近の若手バンドについての与太話』 を詳しく ≫
  • 音楽業界という謎の機関による絶賛を除いて、「ぼくのりりっくのぼうよみ」が絶賛されているところを見たことがない。

    いきなり口がわるく申し訳ないがぼくはそう思う。
    ただ、ぼくにとって音楽業界という謎の機関は、芸能関係者という謎の関係者と同じくらい情報に通じているという認識なので、ぼくは絶大な信頼を置いている。

    だから、ぼくは「ぼくのりりっくのぼうよみ」を全面的に信頼している。もしも「ぼくのりりっくのぼうよみ」をぼくが好きにならなかったらそれはぼくが間違っている。ぼくにとって音楽業界というのはそういう存在なのだ。

    『Be Noble』をぼくは聴いてみた。
    ぼくにはこの曲の良さが分かるはずだ。
    わかるぞ。わかる。これはすごい曲だ。
    例えば歌詞だ。音楽業界がいつも「ぼくのりりっくのぼうよみ」の歌詞を絶賛していることをぼくは知っている。


    "盤上の広がる森羅万象"

    "どうせ全部蜃気楼と大差ない選民思想"

    "此処にいる意味のために what I do without u"

    "叱りつけて前へ進む 進む let mi know"


    とても難しい言葉が並んでいてぼくにはあんまり理解できないが、「ぼくりり」がとても難しいことを考えていて、それを芸術的に表現していることがわかる。英単語も学校では習わないものがつかわれていることを指摘しておきたい。


    次に、トラックだ。
    一聴しただけではトラックというやつが何なのかぼくはよくわからないが、大きい車か、運動場のどちらかであることは間違いない。
    いや、落ち着いて考えよう。「ぼくりり」のことだから、その二つの意味を掛けているのかもしれない。
    すごい。なんて、天才的なんだ。
    ぼくも音楽業界と同感である。
    「ぼくのりりっくのぼうよみ」はトラックが抜群に良い。


    そしてラップだ。
    「ぼくのりりっくのぼうよみ」はラッパーなのだ。ラッパの技術では右に出るものはいない。『Be Noble』でも最高のラップを聴かせてくれる。ぼくはまるで歌のようだと思った。BUMP OF CHICKENの声のようなラッパを吹くものだと感心した。


    最後に「ぼくのりりっくのぼうよみ」は頭が良い。
    音楽業界は彼の頭の良さを積極的に指摘している。頭が良いことは音楽家にとって特筆すべきことだ。ぼくたちは「ぼくのりりっくのぼうよみ」のCDを聴くと同じくらい、彼のインタビューをインターネットで読むべきだ。東大に落ちたらしいが、東大を受けたということは東大に受かることと同じくらいすごいことなのだとぼくは思う。


    頭が良く進歩的な「ぼくりり」は2ndアルバムのタイトルを冠した『NOAH’S ARK』というオウンドメディアを立ち上げた。ぼくはこれを素直にすごいと思う。その理念の一部を次に引用する。


    "あふれる情報の洪水に流されることなく、きちんとものごとを考え、この世界で生きていくためには何をすればいいのか"


    Twitterでは、それをふまえて次のようなTweetをしている。


    "評論家の方々が書かれている、意味わかんないけどいい感じにみえる抽象的で曖昧な言説って、いま氾濫してるノイズのひとつだと思うんですよね 無意味
    で、そういうのに惑わされないような力をみんなが持ってる方が楽しい世界になるな、と思って今回メディアをはじめました"


    宛先は、評論家の宇野維正だ。ぼくも「ぼくりり」に同感だ。ぼくも新しい音楽を抽象的に、曖昧に褒めて、流行に流されながら新しいシーンをパズルして、音楽に価値をあたえた気になっている、歌も歌えない音楽評論家と音楽業界がだいきらいだ。
    『音楽業界と音楽評論とぼくとぼくりり』 を詳しく ≫
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