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RANDOM MUSICランダムおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • ラバーソウル

    GRAND FAMILY ORCHESTRA

    太っちょのドラマーがいるバンドってもうそれだけで雰囲気良いよね。 太っちょのキャッチャーがいる野球部みたいなもんでさ。 ダンサンブルでアッパーな流行りのロックかと思いきや、スパイスのような哀愁が良い曲。 コーラスはどこかヨーロピアンでレトロ。あえて、ミクスチャーロックのタグをつけさせてもらった。 構成は意外とシンプルかつ挑戦的。『リンダリンダ』の如きロンド形式。冒頭のリフレイン

  • Summer Soul

    cero

    上質だ。これぞ真の音楽好きが真の音楽好きに自信をもってレコメンドできる最高に上質でソフィスティケートされたジャンル越境ポップロックミュージックだ。 ベースが良い。 超聴こえる。 ベースを聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 ドラムが良い。 タムで刻み、金物をキーボードのように聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 テクニカルなのに、編曲に嫌味がない。 こういうのをズルいと言う。

  • あの娘のギターはタイムマシン

    円盤少女

    円盤少女の和田純次はめっちゃ良いメロディを書く。 ただただ良いメロディを書く。 それ以上でもそれ以下でもない。良いメロディを書く。 これ。きっとまだ世の中のほとんどの人は知らないと思うんだけど、私は声を大にして言いたい。この人の書くメロディは良い。 明るく切ない、日本の歌謡曲の正道を行く美しいメロディだ。 とてもベタで王道だ。 でも決して安易ではない。 あーあ。ってなりそ

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

  • スポーティパーティ

    ウルフルズ

    つくづくバンドはボーカルが持っていくのだなと思う。 このバンド。年季の入った本格ファンクサウンドなのに、トータス松本に華がありすぎて損してる。 リフレインする"スポーティパーティ"のバックトラックのリフを聴いて欲しい。 なんてダーティーなんだろう。 単体でも成立するほどに太く、確実に前進する立体的なドラム。 そのドラム戦車をこれまたごんぶとの手綱で後ろにひっぱってしまうベース。 そ

  • 生きていたんだよな

    あいみょん

    あいみょんは、影のある少年のような声をしている。あいみょんの最大の個性は、ハイパフォーマンスなこの声にある。尖った強いエゴや、その奥で守られている心の震えを、言葉を乗せずとも伝えてしまう蒼い声だ。 アコースティックギターのストロークよりもスピーディーに畳み掛けるメロディは、声の次に独特だ。野狐禅の竹原ピストルに似ていると指摘されているが正しいと思う。フォークの流儀だ。声質も相まってすこぶる気

  • すなっちゃん・なっぽー

    BELLRING少女ハート

    キャッチーで甘いメロディ。切ないディストーションギター。 それをところどころで、破壊する楽曲構成がすごい。 なんと途中で急にジャズになってしまう。 そのジャズは、取ってつけたような感があるんだけど、取ってつけたような感こそが面白く思えるのはなぜだろう。 結局どこがサビなのかわからなかった。 舌っ足らずなユニゾンが醸し出す素人感。 最後は咳き込んで終わる。 『すなっちゃん・なっぽー

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • ロンドンでの数年間を経て、原点に戻ったかのようなオリエンタルなパワーポップ。きっかり8分音符のギラついた単音リフから始まり、ミュート、カッティング、歪んだオブリガードを駆使し、ソウルなコーラスで徐々に高まっていき、歌謡メロディのサビで開放。自由気ままにやった結果このポップな形になっているようであることが、なにより健康的でうらやましい。ギターソロではテンポチェンジなど一工夫凝らしているが、それもまた地味で良い。

    布袋寅泰は意外といろんなギターが弾ける。彼が単なるカッティング野郎だと思っているのは、教養としてBOØWYを知っているそこそこの音楽ファンだろう。それ以前の段階になると長身強面にドレッシーな衣装のせいか、上手いけど弾きすぎるタイプのピロピロ系ギタリストだと思われている節もある。ともに的確な認識ではない。布袋にもスタイルはあるが、彼は比較的変幻自在なカメレオンタイプのギタリストだと思う。

    布袋寅泰はブルースも弾けるし、ジャズも弾ける。ソウルもファンクも弾けて、創れる。楽曲を聴けば一目瞭然だが、「Stranger」で結実した多様なボーカリストとのコラボレーションがなによりもそれを物語っている。ボーカリストが多様なギタリストとコラボレーションするよりも、ギタリストが多様なボーカリストとコラボレーションするほうが難しい。

    アルバム制作やコンサートに取り組む姿勢も、常にコンセプチュアルで理知的。理詰めができるタイプのギタリストだから、自身の型にも自覚的で、その拡張にも意欲的。一度妄想してみたいのが布袋寅泰が氷室京介と出逢っていなかったらどうなっていたか、だ。

    私は、全く異なった音楽をやっていた可能性も十分ありえたと思っている。BOØWY楽曲では明示的に編曲家としての布袋がクレジットされている。そこから読み取れるのは、その初期からクリエイターとしての立ち位置を意識している姿勢だ。BOØWYの楽曲を布袋がプロデュースする。布袋色に染め上げると言うと独善的だが、テイストとしてはBOØWYの良さを引き出し、氷室の良さを引き出す側に回っていたと考えるほうが適切だ。

    ソロではライブ毎にガリガリ編曲を変える。編成も変える。パーカス部隊やデジタル部隊と組み豪華に風呂敷を広げたと思ったら、翌年にはガッと絞ってトリオでライブハウスに突入し、男くさいパフォーマンスを繰り広げる。

    布袋寅泰がキャリアの初期において氷室ではない別の誰かの良さを引き出し、結果、布袋自身がいまとは異なったギタリスト像を引き出された。そんな未来に強いリアリティがあるのが布袋寅泰というギタリストの特異性だ。

    さて、ロンドンではどうなるか。布袋寅泰はとにかく頭が良いと感じる。彼は海外で日本の音楽に求められるのがオリエンタリズムであることも冷静に指摘している。その需要に向き合うことは、ときとして媚や妥協に陥りがちだが、布袋は振り切れず突っぱねず冷静に着地点を探っている。英語で歌うのか、日本語で歌うのか。そもそも歌わないのか。世界のトレンドを追うのか。自身のルーツに忠実に従うのか。日本人と組むのかイギリス人と組むのか。ひとつひとつ考えて、言葉の壁もしれっと乗り越えて健康的に理想を追求している。ギターは十分。その音楽家の人生は前進している。ひょっとするとひょっとするかもしれない。
    『理知的なカメレオンギタリスト』 を詳しく ≫
  • 古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。
    最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。
    独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。
    新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時代のフィーリング、それを選び取る尖った感性。そんなものと縁のないおとぎ話が私は好きだ。
    そして、そんなおとぎ話は損極まりない。

    『めぐり逢えたら』。この曲の特徴のひとつは、何故別れ何故めぐり逢うのかという情報が抜け落ちているセカイ系的な歌詞だ。この曲が湿っぽくもならなければ温かくもならない理由は曲調だけでなく、その歌詞にある。似ている。透明感のあるエモーションだけが情景とともに燃え尽きる様がまさにセカイ系フィクションと似ている。

    "さよならのむこう"
    "泣き顔の先"
    "別れを捧げる"

    モチーフとされるのは、別れるという概念それ自体と、その先にある概念的で幸福な何かそれ自体だ。別れも、めぐり逢いもふたり以上いなければできないことなのに、MVで描かれるのは女の子のみであることも指摘しておきたい。語り手は黒子として画面外にフェードアウトしているのだ。社会的背景が抜け落ち、離別や出逢い、破滅という概念がドラマティックに美少女のロードムービーとして独り歩きするのがセカイ系のストーリーだとまとめるなら、まさにどストライクのセカイ系ロックである。

    おとぎ話が損極まりない理由は、そのわかりづらさにある。何を言っているんだと思われるかもしれない。有馬和樹はポップで綺麗なメロディを書くじゃないかと。バンドはそれを最大限に引き立てる演奏ができるじゃないかと。牛尾健太の美形はかなり目立つじゃないかと。

    おとぎ話のわかりづらさは、ポップでピースフルな長所にユニークでストレンジな別の長所が埋もれてしまっている構造にある。おとぎ話に気づかず通り過ぎる人は、『めぐり逢えたら』の奇妙なメロディ展開や音像のアイデアに驚かず、ただ優しいだけの曲と感じるはずだ。わかりやすいよね、と。

    そして、おとぎ話が損極まりないもう一つの理由は、そのわかりやすさにある。『めぐり逢えたら』の歌詞がセカイ系的であることは先程指摘した。同じようにして曲のテーマが直球の恋であれば、有馬はやはりリアリティを捉えず、概念としての恋心を、言葉を変え、メロディを変え畳み掛ける曲を作る。『理由なき反抗』収録の『SMILE』を引用する。

    "終わり無き今は 光に溢れて"
    "季節を超えて 僕は君と旅にでるのさ"
    "恋をした瞬間に 涙があふれる"
    "広がる青空に 僕らのメロディが溶けてゆく"

    先日ドナルド・トランプのVictory Speechを英語で読んだ。それがとてもわかりやすかった。英語が簡単なのだ。トランプ政権自体の是非は置いといて、その言葉のポップさは分析に値する。限りなく平易で概念的でいかようにも解釈できるビッグワードだが感情が高ぶる。有馬が作詞で狙っているポップネスもまさにそれだと思う。トランプがインテリの自尊心を満たさないように、おとぎ話もインテリの自尊心を満たさない。わかりやすいからだ。もちろん有馬もトランプもそんなインテリよりも一枚上手なのだが、それはまた別の話。

    わかりやすさとわかりづらさのさじ加減で、バンドは過大評価されたり過小評価されたりする。おとぎ話の評価が過小かどうかは定かではないが、おとぎ話の持つ難解さと平易さが共にユニークなものであることをそれなりの数のコアを自認するロックファンが認知できていないのは間違いない。ここにはマーケティングの問題もあるかもしれないが、その点、希望もある。

    人にとってなにがわかりやすく何がわかりづらいかは、時代によって変わっていく。バンドの定性的な音楽の魅力をそのままにして。女心は秋の空というように、ロックファンの関心も秋の空だ。大したものじゃない。深みのあるポップバンドの最王手として、おとぎ話がコロッとトップに躍り出るなんてことは、それこそトランプの当選ほどには番狂わせではないだろう。
    『ロックンロールは秋の空』 を詳しく ≫
  • 田口淳之介は精悍になった。

    KAT-TUN全盛期の頃は、ワイルドなグループにおいて、ブラウンのロングヘアーがナチュラルにカールしている、甘い微笑みの優男という印象だった。

    『Connect』のMVでダンスする田口淳之介と、公式ホームページのビジュアルイメージは統一されていて、ともにこれ以上さっぱりしようがないくらいにさっぱりした男になっている。

    無駄なものが削ぎ落とされたかっこよさ。それはとてもシンプルでサラッとしたものであるはずなのに、ジャニーズという枠で考えると逆にユニークだと感じてしまうのが不思議だ。

    KAT-TUNはアンチ・ジャニーズのグループだ。6人中3人がグループを脱退し、事務所を退社していることからそれは明らかである。事務所がそれを失敗と捉えているか、逆に戦略的に有効だと捉えているかはわからない。いずれにせよ、そこにアンチ・ジャニーズというひとつの価値観が存在していることは確からしい。

    さて、脱退した赤西仁と田中聖を見てみよう。二人に共通しているのはその反骨精神以外にもう一つある。それは海外志向だ。

    赤西は、KAT-TUN在籍時から語学留学を試みており、それは全米デビュー、全米主要都市ツアーとして結実している。
    田中は、INKTを結成した。英語詞や英語タイトルが積極的に使われており、活動初期はブラジルでのフェスに大々的に出演している。サウンドからも感じ取れるが、海外展開に成功しているONE OK ROCKの立ち位置をひとつのランドマークとしていると読んで、間違ってはいないだろう。

    それでは田口淳之介に海外志向はあるのだろうか。海外デビューの予定はリリースされていないが、実は公式ホームページのプロフィールにはすでに英訳が併記されている。そして『Connect』のスローでエレクトロで隙間を意識した、コンテンポラリーなダンスサウンドを聴いてみれば、海外のトレンドを強く意識していることは一目瞭然だ。音だけを聴く限り、新しいキャリアを築いた三名の中で、Jポップリスナーへの配慮が最も足りていないのが、実は田口淳之介である。もちろんこれは良い意味で、だ。

    赤西の『TEST DRIVE featuring JASON DERULO』では、キャッチーなメロディと共に、日本人に向けた海外のかっこよさが存分に描かれていた。MVの最後のシーンが象徴的だ。赤西は左ハンドルのオープンカーに乗り、アメリカのハイウェイを大都市に向かってドライブする。アメリカに進出した赤西仁のカッコよさ。日本人の私たちがそれを意識せざるを得ないように、『TEST DRIVE』のMVは制作されているのだ。

    他方、田口淳之介『Connect』のMVは、スケボー仲間とのコミュニティというモチーフが、ビルの屋上や街中の公園と共に全面に押し出されている。ローカルを大切にするというそのスタンスは、逆説的に、アメリカのストリートの音楽により近接できている。赤西と田口にはこのような興味深い対称性があったようだ。

    その対称性の考察は今後の課題ということにしよう。
    ひとまずは、アンチ・ジャニーズ三人衆の共通項は海外志向である、と結論付けることができる。

    そこからさらに見方を反転させ、日本に残された側のことを考えてみたい。
    国内志向文化としてのジャニーズ、という発想だ。
    国内志向と海外志向、言い換えれば、日本が一番と思う人と日本は遅れていると思う人。昨今、両者の溝はより深くなり、両者の主張はより先鋭化されている気がする。その水面下での分裂の非常に象徴的な表面化として、新世代のアイドルを代表し日本の芸能シーンを支えていくはずだったKAT-TUNの分裂劇を捉えると、一連の事象は一段と興味深い。少女漫画の王子様のようだった田口が徐々にシンプルに洗練されていった事実すらも、見落としてはいけない気がしてくる。

    以上を踏まえて、今後のKAT-TUN、赤西、田中、田口の動向は注目に値する。
    だれがどこで成功するのか。溝は深まるのか。あるいは、もしかしたら、再結成はあるのか。
    どのような結果になろうと、KAT-TUNはそのときまた、未来の日本人の生き方を反映してくれるかもしれない。
    『KAT-TUNアフターストーリー』 を詳しく ≫
  • GLAYの記憶は小学三年生の頃まで遡る。
    クラスメイトの女の子が大ファンだった。
    KinKiKidsではどっち派?みたいなノリで、GLAYでは誰派?といった会話がクラスでなされていたのは彼女の影響だった。音楽なんてかけらも興味なかった私だから、それでも誰一人名前を覚えられなかった。そして、その子はその年に転校してしまうことになる。

    私にとってGLAYは一度そこで終わる。


    次は大学二年のときだった。
    バイト先にバンドマンの先輩がいた。
    夏に函館に旅行に行ったんだ、と彼に話すと、「GLAYの母校行った?」と訪ねてきた。当時、私は既に音楽が大好きだった。しかしGLAYの母校には行っていない。

    驚いたのは、函館イコールGLAYという方程式が彼の中で結ばれていたこと。そしてその前提を私も当たり前のように共有していると彼が考えていたことだ。

    GLAYの出身地を私は知らなかった。それは珍しいことなのだろうか。GLAYはそれほどまでに偉大なバンドだったのだろうか。

    私にとって二度目のGLAYはここで終わる。

    BLANKEY JET CITYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに影響を受けていると公言し、NUMBER GIRLのようなオリジナルバンドでベースを弾いていた先輩のルーツはB'zだったことを知ったのはその後だ。

    そのとき私はひとつ理解する。GLAYもきっとそうだったんだろう。先輩を音楽の世界へ引き込みロックスターモラトリアムで大学院にまで進学させてしまった戦犯。ゼロからイチに持っていく音楽の原体験。B'zと共にGLAYもその役割を務めたのだ。それは確かに偉大なバンドにしかできないことだった。


    しばらくして、多くのベテランバンド同様GLAYの実績は各方面で再評価される。CDからライブへ。自主レーベルのloversoul music & associates。オフィシャルストアのG-DIRECT。チームとしてキャリアチェンジに成功し、やりたいこととやれることと評価のバランスが整う。ストレス無くクリエイティビティに専念できる。ここ数年のGLAYはそんなステージにあると端からは見える。私がGLAYを聴くようになったのもこの時期だ。

    連動して目立ってきたのが、TAKURO以外のメンバーの作曲だ。
    特にHISASHIはお茶目でラフなサウンドプロダクションが光っている。GLAYの音に遊び心があり、意外と面白いロックをやってると、コアなロックファンに気づかせているのは彼だと思う。

    『デストピア』もHISASHIの曲だ。やはりギターが格好良い。TERUにコードカッティングを任せたのは彗眼。HISASHIとTAKUROが余裕綽々にリードを分け合う様がスリリングで、疾走感が気持ち良い。メロディラインにはパンキッシュなハリがあり、ドラマティックなTAKUROの引き出しからは出てこないもの。オルタナミクスチャーバンドがメジャデビューでポップに振り切りました!みたいな若々しさすら感じる。まさに今のGLAYのコンディションが良く、バンドの絶え間ない変化を良い形で魅せてくれる曲だ。

    仲の良さは有名だが能力的なパワーバランスもGLAYは均整が取れていると思う。TAKUROがソロを始めるのも、他のメンバーの才能に刺激を受けているからだろう。メインソングライターがそうしてアイデンティティの確認作業に勤しむのだ。だからバンドは面白い。

    そう、いまになって私は改めてクラスメイトに尋ねてみたいのだ。GLAYでは誰派?
    『三度目の正直 GLAYでは誰派?』 を詳しく ≫

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  • Ride My Car

    The ManRay

    ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。 The ManRayはそんなバンドだ。 だから安心して聴ける。 メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。 それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。 良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。 ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための

  • RE-FAURÉ

    Jessica × Mizuha Nakagawa × Prefuse73

    クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。 いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。 クラシック音楽は、格好良い。 尊敬される、良質な趣味だ。 日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。 果たして。 そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。 Y

  • ニューゲームがはじまる

    水野智広

    幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。 ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。 水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。 それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • ハイエース

    フラワーカンパニーズ

    フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、 "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)" ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。 私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

  • サニー

    黒猫チェルシー

    美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。 コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。 その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンク

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  • ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。
    The ManRayはそんなバンドだ。
    だから安心して聴ける。
    メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。
    それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。

    良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。
    ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための道筋を歌が引いている。
    The ManRayはきっと一曲への拘りは薄いのだと思う。
    まるで、世紀の大名曲なら、いくつか既に世に送り出してきたベテランバンドのように。
    その余裕が塩梅の良い編曲に繋がっている。
    Beatlesの『Drive My Car』を彷彿とさせる『Ride My Car』ではとくにそれが顕著だ。

    まず曲が短い。終わり方は崩れ落ちるようにあっさりだ。
    一番盛り上がるのはギターソロ。
    泣きのフックもない。
    BPMもゆっくりだ。
    粘っこいリズム。
    こんな小品。なかなかリード曲にできない。
    要するに一般人には結構レベル高い。

    彼らの楽曲に一貫するこの手の美意識は、何を原動力に成り立っているのだろうか。

    それは自らのバンドコンセプトへの徹底した信頼なのかもしれない。
    Profileには次のように書かれている。


    "荒々しく土臭いサウンドに気怠いなかに苦みを 効かせたヴォーカル。クールかつルードな佇まいで、時代に媚びないロック美学を熱く貫くリアル・ロックバンド!!"


    なるほど、まさしくその通りである。
    良いバンドには良いコンセプトがある。
    良いコンセプトとは、わかりやすいコンセプトだ。
    人のキャラクターと同様で、パッと見で理解しやすいと人は心の障壁を取り除く。
    たくさんの顔と趣味を持っている男が、ラーメンの食べ歩きが趣味です、と自己紹介するように、多様なジャンルの音楽制作に精通したクリエイターが、パワーコードのパンクロッカーとして生きていくことはありえるし、それはとてもクールなことなのだ。私はThe ManRayにはそれと似た佇まいを感じている。

    今後、あくまで友好的に見守りたい課題があるとすれば、The ManRayのコンセプトがあまりに、"時代に媚びないロック"にすぎるところかもしれない。おそらく、一般人には理解できなくても、多くの音楽好きにThe ManRayのセンスは愛されるだろう。全く別のジャンルからもリスペクトされ得る"媚びないロック"がそこにある。
    しかしロックバンドたるもの、時代に媚びずとも、時代が媚びてくるくらいのポピュラリティをどこかで獲得する可能性を秘めて欲しいものだと、私は思っている。
    安心して聴ける良質のロックアルバムを3枚くらい出した暁には、獲得したファンと自らのキャッチコピーを裏切るような動きをしてみては、と思っていたりする。
    『バンドコンセプトへの徹底した信頼』 を詳しく ≫
  • クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。
    いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。

    クラシック音楽は、格好良い。
    尊敬される、良質な趣味だ。
    日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。

    果たして。
    そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。

    YouTube、TSUTAYA、タワーレコード。
    ベートーヴェン、モーツァルト、ショパン。
    知っている名前をつかって、馴染みの場所でそれを探して、音源に辿り着く。きっと彼らは感動したはずだ。

    やっぱり、クラシック音楽は良い。

    自分はクラシック音楽を好きになれる。

    自分はクラシック音楽の良さを理解できる……。


    さて、さらにその後は、いかがだろうか。
    私の周りを見渡した限り、そして私自身を振り返った限りにおいて、ほんとうの意味でクラシック音楽を趣味として確立できている人は見当たらない。少しばかり詳しくなって、それきりだ。

    面白いことに、音楽それ自体にどれだけハマっていたかは問題にならない。私のように、創作側に片足を突っ込んで人生を棒に振った輩から、ポップスすら聴かない真っさらな状態でクラシックにチャレンジした人まで。みな同じようにして、クラシックに接近し、そして無かったことにしていった。


    さて、そんな問題に意識的にアプローチしただけでも、good umbrella recordのRE-CLASSIC STUDIESは値千金である。私たちはクラシック音楽を聴きたい。クラシック音楽は私たちに聴かれたい。相思相愛にも関わらず引き裂かれた両者を繋ぐことを、このプロジェクトは目的としている。

    RE-FAURÉではまず、パッケージングの妙を聴いてほしい。
    全40分の音源に、Prefuse73(スコット・ヘレン)による7つのInterlude(幕間)が含まれている。ピアノと歌で再現された13のガブリエル・フォーレの歌曲の間に、適宜、Interludeが挟まるのだ。それがなんとも心強い安心感と、興味をそそるストーリーを与えてくれる。


    ベストアルバムではなくオリジナルアルバムを聴いてこそ、そのアーティストを知れる理由があるとすれば、そこにパッケージングがあるからだ。パッケージングにはアーティストの文脈が顕れる。文脈への理解と、文脈に身を委ねる安心感が、音楽への愛着を強化し私たちを音楽に没入させる。クラシック音楽の敷居が高くなってしまった背景には、クラシック音楽の持つ文脈が、他の音楽に比べて見えづらいことがある。だから、愛着が持続しないのだ。

    Prefuse73の功績だけではない。RE-CLASSIC STUDIESと銘打ったこと自体にも、強い文脈を宿らせる力がある。コンセプトを打ち出し、シリーズをつくったことで、クラシック音楽にトライするときの拠り所の無さが解消されていることに私は気づく。


    楽曲の再評価はそれこそ音源を聴くに任せておこう。
    RE-FAURÉでは、Jessicaのボーカルも良かった。良い意味で気安く、カジュアル。若々しく無垢な声。大作家を歌いこなそうという気負いをあまり感じさせず、だから古典に寄り添いすぎず、成熟しすぎず、瑞々しい現代の音楽になっている。中川瑞葉のピアノはとびきりメロディックだ。流麗だったり軽快だったりする前半から、聴き進むにつれ次第に陰影が強くなっていく後半への流れは、主張を増していくPrefuse73のInterludeとともに、中川瑞葉の熱量が大役を果たしている。

    それにしてもRE-CLASSIC STUDIESは、何もかもが易きに流れるいまの世の中にしては、随分と足腰の強さを感じるプロジェクトだ。WEBページには次のような惹句がある。


    "モーツァルトも、ドビュッシーも、フォーレも、(ビートルズやレディオヘッドのように)素晴らしいメロディーメーカーであり、「ソングライター」です。"WEBページより)


    まったく素晴らしい惹句だ。クラシックもロックもジャズも、どれが良いわけでもないのだ。分断された世界を、再解釈で繋ぐ、真の意味で実験的で批評的なこのプロジェクトを楽しみたい。
    『クラシック音楽は私たちに聴かれたい』 を詳しく ≫
  • 幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。

    ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。
    水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。
    それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。


    ホラー小説、ホラー映画。ホラーは人々に恐怖をあたえるジャンルだ。

    恐怖は原始的な感情だ。かつて世界は恐怖に満ちていた。自然災害、獣、暗闇、大海、炎、死、死者、未知数の共同体、敵対する部族、民族。生命の脅威に怯えるとき、人々は恐怖を感じる。

    病気や交通事故などを除いて、生命の脅威がほとんど取り払われたユートピアのような現代社会で、私たちは恐怖以外の些細なものに囚われて生きている。エンターテイメントとしてのホラーは、偉大なる恐怖という感情を利用して、恐怖以外の些細なものごとから私たちを解き放ち、カタルシスを与える力を持っている。

    恐怖以外の些細なものごと。それらは、不安という形で私たちに巣食っている。どう転んでも死にはしないものごとに囚われて、私たちは不安とともに生きている。

    水野智広の音楽が不安を解毒する理由は、現実世界に付きまとう即物的な不安とはまるで異質な、ヒヤッとした社会の裏側をつきつけてくることによる。彼の曲の中ではやすやすと人が死んでしまうが、それをシュールなギャグだと笑い飛ばしてしまうのはちがう。彼の曲には、そうやって笑い飛ばしてしまう自分自身を冷ややかに見ている視線が存在する。
    見えている世界が、一瞬だけネガを反転させて、やがてもとに戻る。戻ってきたときに私たちにはネガの残像が強く焼き付いている。その残像で、目の前に在る当たり前の世界が少しだけ嘘くさく見える。そこに、ホラー短編の読後のような非日常感と、カタルシスがある。そしてその余韻の中でふと気づく。私たちの日常生活に巣食っていた不安たちがそのときとても小さくなっていることに。なぜなら、ネガの反転した世界の恐ろしさが、よほど強烈な印象を残しているからだ。



    音楽的には、メロディ、リフ共に、ひとつの印象的なアイデアだけで一曲を貫き通すことが多く、少し物足りないくらいの小品に仕上げている。短いのに、いや短いからこそ、曲が終わった後に変な余韻を残している。そのあたりも短編小説の趣きだ。抽象度は高いが上述のようにばりばりコンセプチュアルな歌詞世界と曲調がリンクし、オリジナリティは抜群だ。

    音楽にドラマティックな感情の高ぶりを求める癖がついていると、それとは全く異質のベクトルに戸惑うかもしれない。しかし、日常に振り回されていることの小ささを感じてしまうほどの、もっとおおきなものへの畏怖を彼の曲は呼び覚ましてくれる。それは図らずしも、古来からあらゆる芸術の根幹に必要とされてきたものである。
    『反転したネガの残像』 を詳しく ≫
  • 若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。

    大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。
    では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。
    メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。

    私は、若者が書いたラブソングだと思う。
    恋愛は普遍的だ。
    だからこそ、その切り取り方に時代が見え隠れする。


    例えばSHISHAMOの『君と夏フェス』。夏フェスが社交の場として定着した今だからこそ歌になるラブソングだ。昔ならそれはビーチだったかもしれないし、映画館だったかもしれないし、ディスコだったかもしれない。


    My Hair is Badの『恋人ができたんだ』は、男性目線の歌だ。
    新しい恋人ができたことで、以前の恋人を思い出す歌。

    いかにも女々しく、色恋が世界のすべてでいられる年頃の青臭さを感じる。
    私自身が個人的に共感できるかと言えば、正直Noだ。
    大人の男になってしまった青年はもう、過去の恋愛をこれほどまでにウェットに振り返れない。美化こそすれど。

    過去に対してウェットになれるのは若者の特権だ。それは、過去を感傷の対象ではなく、情熱の対象として見ることができている証拠である。なぜそれができるかと言えば、若者はそもそも抱えている過去の絶対量が少なく(故に過去自体に神秘性があり)、その上過去といえども精々、二三年前程度のものだからだ。

    『恋人ができたんだ』において同時代性を感じるために、もうひとつのポイントに着目する。別れた後の恋人、という概念の新しい解釈だ。

    いまの若者の恋愛の主戦場は間違いなく、LINE、Twitter、Instagram、FaceBookなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。SNSの本質はアーカイブ性と、公共性だ。結論から言えば、別れた恋人と連絡をとろうとしなくても、SNSを覗けば、元カレ・元カノのその後が見えてしまう。

    SNSは恋愛に新しい観点を持ち込む。自分を振った元カレがまだ自分をフォローしているのを知った上で、あえて落ち込んで見せることもあるだろう。逆に、他の男なんていくらでもいることを見てほしくて、遊んでいることを匂わせた写真をいつも以上にアップロードするかもしれない。切り替えたことを知ってほしくて、アイコンを変えることもあるだろう。シェアした音楽を深読みしてしまうかもしれない。沈黙することすらひとつのメッセージになってしまう。

    SNSは、別れた後の恋人たちをアーカイブし続けることで、恋愛に対して新しい角度でスポットライトを当ててしまった。『恋人ができたんだ』はこの時代に生まれた、そんな新しい恋愛の機微を切り取った、同時代性のあるラブソングである。

    この歌が椎木知仁の実体験にもとづいているかどうかは分からない。いやおそらくそうではないだろう。なぜならあまりにリアルだからだ。

    リアルで写実的な描写を持ち込んだ理由は、生活感を持ち込みたかったからだ。別れた恋人を想う歌、という平凡なテーマを、現代の若者の当たり前の生活感で描けば、それが新奇性のあるラブソングになる。椎木知仁はそんな風にして、平凡なテーマを新しいラブソングに仕上げるソングライターなのだと思う。
    『SNS時代のラブソング』 を詳しく ≫
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