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  • SUN

    星野 源

    オザケン?ホーンセクションを使いこなし、ロックのパッションでエンターテイメントに仕上げる塩顔の文化人。ケレン味への美学も共通点。しかし、そのキャリアは長く、芸風はあのオザケンよりも幅広いようだ。 するっと入ってくるポップスなのに、そのまますり抜けていかず残っている。ゴリゴリのベースや、隠し味のノイズ、ボトムの強いリズム、良い男声、もしかしたらアートなMVも一役買っているかもしれない。ちゃんと

  • Swan

    [Alexandros]

    なんでこんなに顔がかっこいいのか、という疑問に対して誰も何も答えてくれないバンドナンバーワン。 曲もかっこいい。電子ビートとフェイザー?感のある揺らしたボーカルによる淡々とした始まりからして、新参者のパブリックイメージの外側から攻めてくる。この感触はどこから引っ張ってきたアイデアなのか。ボーカルの録音とミックスが良いだけなのか。 ドラマティックなサビで泣かせるまでに至らず、すぐAメロに

  • すなっちゃん・なっぽー

    BELLRING少女ハート

    キャッチーで甘いメロディ。切ないディストーションギター。 それをところどころで、破壊する楽曲構成がすごい。 なんと途中で急にジャズになってしまう。 そのジャズは、取ってつけたような感があるんだけど、取ってつけたような感こそが面白く思えるのはなぜだろう。 結局どこがサビなのかわからなかった。 舌っ足らずなユニゾンが醸し出す素人感。 最後は咳き込んで終わる。 『すなっちゃん・なっぽー

  • あの娘のギターはタイムマシン

    円盤少女

    円盤少女の和田純次はめっちゃ良いメロディを書く。 ただただ良いメロディを書く。 それ以上でもそれ以下でもない。良いメロディを書く。 これ。きっとまだ世の中のほとんどの人は知らないと思うんだけど、私は声を大にして言いたい。この人の書くメロディは良い。 明るく切ない、日本の歌謡曲の正道を行く美しいメロディだ。 とてもベタで王道だ。 でも決して安易ではない。 あーあ。ってなりそ

  • しゅっとこどっこい

    バンドじゃないもん!

    鈴木美早子は侮れない。 明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。 ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。 その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。 アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。 そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼

  • ラバーソウル

    GRAND FAMILY ORCHESTRA

    太っちょのドラマーがいるバンドってもうそれだけで雰囲気良いよね。 太っちょのキャッチャーがいる野球部みたいなもんでさ。 ダンサンブルでアッパーな流行りのロックかと思いきや、スパイスのような哀愁が良い曲。 コーラスはどこかヨーロピアンでレトロ。あえて、ミクスチャーロックのタグをつけさせてもらった。 構成は意外とシンプルかつ挑戦的。『リンダリンダ』の如きロンド形式。冒頭のリフレイン

  • Connect

    田口 淳之介

    田口淳之介は精悍になった。 KAT-TUN全盛期の頃は、ワイルドなグループにおいて、ブラウンのロングヘアーがナチュラルにカールしている、甘い微笑みの優男という印象だった。 『Connect』のMVでダンスする田口淳之介と、公式ホームページのビジュアルイメージは統一されていて、ともにこれ以上さっぱりしようがないくらいにさっぱりした男になっている。 無駄なものが削ぎ落とされたかっこよ

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • 鈴木美早子は侮れない。
    明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。
    ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。

    その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。
    アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。

    そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼女のことがわからなくなった。出来過ぎのような紅一点の適正は、天性のものではなく、コントロールする余地のあるものだったのか。ひとまず結論付けた、私にとってのみさこのキャラクターは、まだまだ洞察の足りないものだった。

    鈴姫みさこは侮れない。
    バンドじゃないもん!は、ひょっとしたら、ゲスの極み乙女よりもよっぽどゲスなサブプロジェクトかもしれない、と今になって思っている。もちろんこれは褒め言葉だ。


    『しゅっとこどっこい』を聴いた印象をひとことで言うと、全盛期のモーニング娘。だった。
    共通して描かれているのは、ハチャメチャ感だ。ハチャメチャ感は、スムーズさを意図的に無視した落差のある曲展開や、過剰なセリフ、合いの手、シュールな単語のリフレインなどにある。ハチャメチャ感を演出する理由は、ひとえにハッピーなテンションそのものが曲のメッセージであるからだ。

    モーニング娘。は二十世紀から二十一世紀への結節点での、トップアイドルだった。
    『恋愛レボリューション21』にハチャメチャ感は顕著である。不景気と言われながら日本中がそれを楽観視していた時代の空気を忠実に掬い上げている。ハッピーなテンションが最大級であることを表現するためにつんく♂は、歌詞でハジけるだけでなく、サウンドと歌唱を過剰に、ハチャメチャにした。それはまさに時代との真っ向勝負であり、結果としてつんく♂はアイドル天下統一時代を築き上げた。

    他方、いまはアイドル戦国時代と言われ、アイドルたちの楽曲も多様化を極めている。そんな中、『しゅっとこどっこい』に代表されるバンもん!のハチャメチャ感に、私はオールディーズへの憧憬にも似た懐かしさを感じた。唐突に挿入されるラップ、曲名を連呼するだけのリフ、ランドセルのようにツルピカなディストーションギター、PVの最後にお決まりのように挿入されるディレクターの「カット!」という声などに、久しく見なかったセンスを感じた。21世紀が真新しかった頃のそれだ。

    そのような作風になった要因として挙げられるのが、みさこやメンバー、作曲者であるゆよゆっぺが、モーニング娘。の時代に育った世代であること、そしてバンドじゃないもん!がベタなアイドルではなく、アイドルそのものへのパロディ的メタ視点を抱えたアーティストであるということである。

    例えば、バンもん公式のメンバープロフィールは過剰なアイドルっぽさで溢れている。
    みさこの公式な年齢は「精神年齢13歳」であり、血液型は「黒足アヒル型」。望月みゆの年齢は「1こした」、大桃子サンライズの出身地は「プレアデス星団」だ。

    モーニング娘。の全盛期と同時代、小倉優子というアイドルが、こりん星からきたというキャラ設定で活躍していた。それがユーモアであると受け入れられつつも、ときに本人が窮屈さを感じているように見えたのとは対象的な軽やかさと余裕がバンもんにはある。バンもんにとってアイドルは、自分自身であると同時にパロディの対象でもあるからだ。

    そう考えるとやはり、鈴木美早子は侮れない。
    媚びないのか媚びるのか分からないし、隙があるのかないのかも分からない、壁がないのかあるのかもわからない。ただ明るく愛嬌があることは確かである。ひょっとしたらそれこそが音楽で人を楽しませるための決定的な才能なのだろうか。
    彼女が、天才的な紅一点という私の断定に収まらずにいてしまったことが恐ろしく、悔しく、しかしそれは必然だったのだろう。考えてみれば鈴木美早子その人自身がミクストメディアを地で行っていたのである。
    『鈴姫みさこは侮れない。』 を詳しく ≫
  • 古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。
    最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。
    独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。
    新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時代のフィーリング、それを選び取る尖った感性。そんなものと縁のないおとぎ話が私は好きだ。
    そして、そんなおとぎ話は損極まりない。

    『めぐり逢えたら』。この曲の特徴のひとつは、何故別れ何故めぐり逢うのかという情報が抜け落ちているセカイ系的な歌詞だ。この曲が湿っぽくもならなければ温かくもならない理由は曲調だけでなく、その歌詞にある。似ている。透明感のあるエモーションだけが情景とともに燃え尽きる様がまさにセカイ系フィクションと似ている。

    "さよならのむこう"
    "泣き顔の先"
    "別れを捧げる"

    モチーフとされるのは、別れるという概念それ自体と、その先にある概念的で幸福な何かそれ自体だ。別れも、めぐり逢いもふたり以上いなければできないことなのに、MVで描かれるのは女の子のみであることも指摘しておきたい。語り手は黒子として画面外にフェードアウトしているのだ。社会的背景が抜け落ち、離別や出逢い、破滅という概念がドラマティックに美少女のロードムービーとして独り歩きするのがセカイ系のストーリーだとまとめるなら、まさにどストライクのセカイ系ロックである。

    おとぎ話が損極まりない理由は、そのわかりづらさにある。何を言っているんだと思われるかもしれない。有馬和樹はポップで綺麗なメロディを書くじゃないかと。バンドはそれを最大限に引き立てる演奏ができるじゃないかと。牛尾健太の美形はかなり目立つじゃないかと。

    おとぎ話のわかりづらさは、ポップでピースフルな長所にユニークでストレンジな別の長所が埋もれてしまっている構造にある。おとぎ話に気づかず通り過ぎる人は、『めぐり逢えたら』の奇妙なメロディ展開や音像のアイデアに驚かず、ただ優しいだけの曲と感じるはずだ。わかりやすいよね、と。

    そして、おとぎ話が損極まりないもう一つの理由は、そのわかりやすさにある。『めぐり逢えたら』の歌詞がセカイ系的であることは先程指摘した。同じようにして曲のテーマが直球の恋であれば、有馬はやはりリアリティを捉えず、概念としての恋心を、言葉を変え、メロディを変え畳み掛ける曲を作る。『理由なき反抗』収録の『SMILE』を引用する。

    "終わり無き今は 光に溢れて"
    "季節を超えて 僕は君と旅にでるのさ"
    "恋をした瞬間に 涙があふれる"
    "広がる青空に 僕らのメロディが溶けてゆく"

    先日ドナルド・トランプのVictory Speechを英語で読んだ。それがとてもわかりやすかった。英語が簡単なのだ。トランプ政権自体の是非は置いといて、その言葉のポップさは分析に値する。限りなく平易で概念的でいかようにも解釈できるビッグワードだが感情が高ぶる。有馬が作詞で狙っているポップネスもまさにそれだと思う。トランプがインテリの自尊心を満たさないように、おとぎ話もインテリの自尊心を満たさない。わかりやすいからだ。もちろん有馬もトランプもそんなインテリよりも一枚上手なのだが、それはまた別の話。

    わかりやすさとわかりづらさのさじ加減で、バンドは過大評価されたり過小評価されたりする。おとぎ話の評価が過小かどうかは定かではないが、おとぎ話の持つ難解さと平易さが共にユニークなものであることをそれなりの数のコアを自認するロックファンが認知できていないのは間違いない。ここにはマーケティングの問題もあるかもしれないが、その点、希望もある。

    人にとってなにがわかりやすく何がわかりづらいかは、時代によって変わっていく。バンドの定性的な音楽の魅力をそのままにして。女心は秋の空というように、ロックファンの関心も秋の空だ。大したものじゃない。深みのあるポップバンドの最王手として、おとぎ話がコロッとトップに躍り出るなんてことは、それこそトランプの当選ほどには番狂わせではないだろう。
    『ロックンロールは秋の空』 を詳しく ≫
  • ハイトーンヴォイス。童顔。リードを分け合うソロ。裏声。カラフルなMV。子供。目線。ダンス。メンバーのダンス。子供のダンス。サンサン太陽。ギラギラ浴びて。イェイイェイイェ。ハタチでのメジャーデビュー。

    このバンドの青写真を最初に思い描いたのは、誰なのだろうか。バンド自身なのか、フロントマン大森元貴なのか、テアトルアカデミーなのか。

    所属事務所のテアトルアカデミーが、主にタレントの養成を行っていると知っていろいろ腑に落ちた。同じ頃電車で、高校生くらいの女の子がこのバンドのアクセサリーをジャラジャラとつけているのを見かけた。きっと本当にこのバンドが好きなのだ。

    企画立案や制作進行が誰によるものであれ、彼らの音楽を聴いて思ったのは、Jポップというやつはこれほどまでに耐久性のあるものだったのかという再発見だ。JポップはMrs. GREEN APPLEの登場から逃げなかった。Mrs. GREEN APPLEは成功しているからだ。ミセスにはこれをやり続けて欲しい。Jポップの勝利の方程式を愚直に実践し続けることで、どこかを目指せるとしたら、それは彼らにしかできないことだからだ。
    『Jポップの実践と耐久性』 を詳しく ≫
  • カオティックという言葉がある。
    その言葉の選ばれ方において、カオティックと、カオスは全く別物である。

    カオスは字義通り混沌の意味。
    ジャンルレスであったり、特にそれが無秩序な印象につながっていたりすると人は、カオスな曲だ、と表現する。
    他方、カオティックはむしろ秩序だ。
    具体的には、スクリーモ、あるいはスクリーモ系のエモ、ハードコア、メタルコア、ミクスチャーロックなどを主戦場とするバンド達の、様式的で完成度高くセットアップされた変拍子や展開、音のキャラクターを褒める際に使われる。

    そう。
    本格ミステリは様式美だ。と言った小説家がいたが、同じようにカオティックも様式美である。
    スクリームがあり、ノイジーなパートがあり、メロウなパートがある。
    自己の内面に向き合った退廃的、破滅的な世界観。そして変拍子に転調、と音楽理論や演奏力をフルに発揮する。


    『自意識不明』も上記の様式美を満たした、実力派のカオティックソングだ。
    ツインペダルとメロディアスかつノイジーなリフの怒涛のスピード感。
    歌詞に魂をこめた切迫感のあるパンキッシュなスクリーム。
    ギターがクリーントーンになるメロウなパートも美しい。
    こんなときこそドラムは突っ張って捻ったパターンを叩く。
    そして歌詞。言葉でメッセージを表現することへの強い拘り。
    カオティックであるということは実力派ということなのだ。
    完全無欠であること。それは負の意味でのカオスの対極にある。


    nervous light of sundayほど本格的ではないが、同じようにカオティックなハードコアバンドの七弦ギタリストを努めていた友人がいた。
    彼は東京の高校を中退し、たくさんのバイトを経験しながらバンドでのデビューを目指していた。
    私のように学校では良い子で通ってた人種からすると、悪い友達も多そうな彼は、いわゆる不良っぽいところがあったが、音楽に対してストイックに追求するその様子には、姿勢の違いをひしひしと感じた。
    単にがむしゃらに夢を追うのではなく、彼には技術、知識への貪欲な向上心があり、事実それを身につけていた。
    ハードコアだけでなく、本当に多様なジャンルの音楽を聴き、映画やアニメにも詳しく、ピアノも弾けたようだ。

    彼には、とび職から転身したと言われるバンド『FACT』のキャリアにグッとくるような一面があった。それこそが彼の本質だと思う。
    しかし、持ち前のヤンキー気質で音楽のインテリジェンスに迫るその生き様には、同じ音楽好きとして考えさせられるものがあった。

    nervous light of sundayは大田区の大森出身のようだ。
    件の友人も東京だった。

    実は、彼がその後どうなったのかはわからない。
    『自意識不明』のスピーディーで艶やかなギターリフや、練られた楽曲構成に唸るとき、私は彼のことを思い出す。
    そしてこのシーンの層の厚さに、新たなヒーローの誕生を想像する。
    『カオティックとインテリジェンス』 を詳しく ≫

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  • ニューゲームがはじまる

    水野智広

    幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。 ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。 水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。 それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • ハイエース

    フラワーカンパニーズ

    フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、 "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)" ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。 私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

  • サニー

    黒猫チェルシー

    美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。 コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。 その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンク

  • あの娘のギターはタイムマシン

    円盤少女

    円盤少女の和田純次はめっちゃ良いメロディを書く。 ただただ良いメロディを書く。 それ以上でもそれ以下でもない。良いメロディを書く。 これ。きっとまだ世の中のほとんどの人は知らないと思うんだけど、私は声を大にして言いたい。この人の書くメロディは良い。 明るく切ない、日本の歌謡曲の正道を行く美しいメロディだ。 とてもベタで王道だ。 でも決して安易ではない。 あーあ。ってなりそ

  • ソレデモシタイ

    平井 堅

    平井堅がただ顔の濃いだけのボーカリストでないことは、きっとそれなりに知られている。純粋なる歌唱技術はもちろんのこと、味わいという意味でのボーカルワークも、サウンドメイカーとしてのバリエーションも、そしてチャーミングなユーモアも、ファン以外にも広く認知され、リスペクトを込めてあたたかくその活動が受け入れられている。 平井堅のそういった多様な側面の中でも、彼の存在感を一際輝かせている要素が、性へ

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  • 幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。

    ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。
    水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。
    それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。


    ホラー小説、ホラー映画。ホラーは人々に恐怖をあたえるジャンルだ。

    恐怖は原始的な感情だ。かつて世界は恐怖に満ちていた。自然災害、獣、暗闇、大海、炎、死、死者、未知数の共同体、敵対する部族、民族。生命の脅威に怯えるとき、人々は恐怖を感じる。

    病気や交通事故などを除いて、生命の脅威がほとんど取り払われたユートピアのような現代社会で、私たちは恐怖以外の些細なものに囚われて生きている。エンターテイメントとしてのホラーは、偉大なる恐怖という感情を利用して、恐怖以外の些細なものごとから私たちを解き放ち、カタルシスを与える力を持っている。

    恐怖以外の些細なものごと。それらは、不安という形で私たちに巣食っている。どう転んでも死にはしないものごとに囚われて、私たちは不安とともに生きている。

    水野智広の音楽が不安を解毒する理由は、現実世界に付きまとう即物的な不安とはまるで異質な、ヒヤッとした社会の裏側をつきつけてくることによる。彼の曲の中ではやすやすと人が死んでしまうが、それをシュールなギャグだと笑い飛ばしてしまうのはちがう。彼の曲には、そうやって笑い飛ばしてしまう自分自身を冷ややかに見ている視線が存在する。
    見えている世界が、一瞬だけネガを反転させて、やがてもとに戻る。戻ってきたときに私たちにはネガの残像が強く焼き付いている。その残像で、目の前に在る当たり前の世界が少しだけ嘘くさく見える。そこに、ホラー短編の読後のような非日常感と、カタルシスがある。そしてその余韻の中でふと気づく。私たちの日常生活に巣食っていた不安たちがそのときとても小さくなっていることに。なぜなら、ネガの反転した世界の恐ろしさが、よほど強烈な印象を残しているからだ。



    音楽的には、メロディ、リフ共に、ひとつの印象的なアイデアだけで一曲を貫き通すことが多く、少し物足りないくらいの小品に仕上げている。短いのに、いや短いからこそ、曲が終わった後に変な余韻を残している。そのあたりも短編小説の趣きだ。抽象度は高いが上述のようにばりばりコンセプチュアルな歌詞世界と曲調がリンクし、オリジナリティは抜群だ。

    音楽にドラマティックな感情の高ぶりを求める癖がついていると、それとは全く異質のベクトルに戸惑うかもしれない。しかし、日常に振り回されていることの小ささを感じてしまうほどの、もっとおおきなものへの畏怖を彼の曲は呼び覚ましてくれる。それは図らずしも、古来からあらゆる芸術の根幹に必要とされてきたものである。
    『反転したネガの残像』 を詳しく ≫
  • 若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。

    大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。
    では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。
    メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。

    私は、若者が書いたラブソングだと思う。
    恋愛は普遍的だ。
    だからこそ、その切り取り方に時代が見え隠れする。


    例えばSHISHAMOの『君と夏フェス』。夏フェスが社交の場として定着した今だからこそ歌になるラブソングだ。昔ならそれはビーチだったかもしれないし、映画館だったかもしれないし、ディスコだったかもしれない。


    My Hair is Badの『恋人ができたんだ』は、男性目線の歌だ。
    新しい恋人ができたことで、以前の恋人を思い出す歌。

    いかにも女々しく、色恋が世界のすべてでいられる年頃の青臭さを感じる。
    私自身が個人的に共感できるかと言えば、正直Noだ。
    大人の男になってしまった青年はもう、過去の恋愛をこれほどまでにウェットに振り返れない。美化こそすれど。

    過去に対してウェットになれるのは若者の特権だ。それは、過去を感傷の対象ではなく、情熱の対象として見ることができている証拠である。なぜそれができるかと言えば、若者はそもそも抱えている過去の絶対量が少なく(故に過去自体に神秘性があり)、その上過去といえども精々、二三年前程度のものだからだ。

    『恋人ができたんだ』において同時代性を感じるために、もうひとつのポイントに着目する。別れた後の恋人、という概念の新しい解釈だ。

    いまの若者の恋愛の主戦場は間違いなく、LINE、Twitter、Instagram、FaceBookなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。SNSの本質はアーカイブ性と、公共性だ。結論から言えば、別れた恋人と連絡をとろうとしなくても、SNSを覗けば、元カレ・元カノのその後が見えてしまう。

    SNSは恋愛に新しい観点を持ち込む。自分を振った元カレがまだ自分をフォローしているのを知った上で、あえて落ち込んで見せることもあるだろう。逆に、他の男なんていくらでもいることを見てほしくて、遊んでいることを匂わせた写真をいつも以上にアップロードするかもしれない。切り替えたことを知ってほしくて、アイコンを変えることもあるだろう。シェアした音楽を深読みしてしまうかもしれない。沈黙することすらひとつのメッセージになってしまう。

    SNSは、別れた後の恋人たちをアーカイブし続けることで、恋愛に対して新しい角度でスポットライトを当ててしまった。『恋人ができたんだ』はこの時代に生まれた、そんな新しい恋愛の機微を切り取った、同時代性のあるラブソングである。

    この歌が椎木知仁の実体験にもとづいているかどうかは分からない。いやおそらくそうではないだろう。なぜならあまりにリアルだからだ。

    リアルで写実的な描写を持ち込んだ理由は、生活感を持ち込みたかったからだ。別れた恋人を想う歌、という平凡なテーマを、現代の若者の当たり前の生活感で描けば、それが新奇性のあるラブソングになる。椎木知仁はそんな風にして、平凡なテーマを新しいラブソングに仕上げるソングライターなのだと思う。
    『SNS時代のラブソング』 を詳しく ≫
  • フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、

    "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)"

    ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。

    私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった。当時からこの曲には特別な存在感があったが、人気はその後も加速し、遂にはこの曲のみで構成されたトリビュートアルバムがリリースされるまでに至った。スターダムにのし上がったことはなくても、確固たる人気をキープしていたフラカンだが、ここにきて新しい波がきていた。そのピークはデビュー20年にして初の武道館ワンマン公演だ。

    曲を聴く前から、『ハイエース』が『深夜高速』の系譜にあることはわかった。フラワーカンパニーズのメンバーはハイエースに乗って真昼の高速も深夜の高速も走り抜け、日本全国を旅したのだろう。ひとつの車にメンバーやスタッフが乗り、永遠とも言える、楽しく、退屈な時間を過ごしたのだろう。そんな自分たちのやってきたことを、振り返り、自嘲しながらも、間違っていなかったと、これからもそうしていくのだと、再確認する決意の歌だ。つまり『ハイエース』の主人公はフラワーカンパニーズだ。

    正解。歌詞世界の面で、私の予想は一ミリもずれていなかった。いつから聴いてると思ってるんだ。楽曲面では二点、良い意味で裏切られた。鮮やかなテンポチェンジが大胆で格好良かったことと、竹安のぎこちない掛け声だ。

    それにしても、この自分の物語を歌う『深夜高速』『ハイエース』の系譜。フラカンを解き明かす上で、もっとピックアップされるべきだと思う。この傾向は最近とくに色濃くなっている。『消えぞこない』も同じタイプだ。

    これらの楽曲は、フラワーカンパニーズというバンドのキャラクターやストーリーを知っていることで真に響いてくる。歌っている鈴木圭介を見て、歌詞を書いたときの彼の思いを探し出す。長年のファンはそうやって歌とバンドを紡ぎ合わせて、より強固な唯一無二のリスニング体験を仕立てていく。どのバンドでも少なからずあることだが、フラワーカンパニーズの場合、その回帰的とも言えるストーリーテリングが彼らのロックの核でさえあると捉えて良いと私は思う。回帰系ロックとでも呼ぼうか。

    こうなってくると、キャリアを積めば積むほど参照されるバンドの物語が強化され、新曲の重みが増していく。

    近年は、"メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!"と堂々と謳い、なんとも情けないネーミングの自主レーベル、チキン・スキン・レコードを立ち上げている。とどまることを知らない自己参照だ。自虐でありながら、それを誇る。泥臭い自分たちを創作の源とする。近年の再評価は、この芸風と、積み重ねた実績がいよいよ噛み合ってきたことを感じさせるものだ。

    ロックは落ちこぼれの音楽だ。"ヒット曲なし!"と叫んで尚武道館までリスナーがついてくるに至ったここからは、ある意味では本当のロックがはじまりつつあるのかもしれない。
    『深夜高速の系譜 回帰系ロック』 を詳しく ≫
  • ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。

    トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェクト。このパートはサビではないのに、サビのように聴かせる。とにかく曲のセンスが良いという印象。

    その後のAメロも良い。ラウドな開放感ですべるように展開していくと思いきや、歪んだキックとボーカルで無防備になって良質なブレーキ。そして、間髪いれずにブリッジミュートを効かせて冒頭と同じメロディへ。

    フェス受けしそうなハッピーなパーティー感もちゃんとある一方で、最後の最後ではじけきらないコシの太さが楽曲にある。アナログで渋い。歌ものになりきらないのにポップ。今時のバンドに珍しいバランスの良さがある。


    その秘密のひとつはどうやら作曲手法にあるようだ。彼らは、メロディでも歌詞でもなく、オケからつくることが多いそうだ。シンセとバンドががっつり絡む音楽性を持つバンドは、結局のところサビでブチ上げてシンガロングを叩き出すことを楽曲制作の目標にしている場合が多いようにみえる。

    その点、トライアンパサンディは違う。以前、G-YUNcoSANDYはインタビューで明確に次のように言っている。


    「ただ、“踊れる、のれる、あがる音楽!”というだけの音楽にはなりたくなかった」


    彼らの音楽があがりきらないのは確信犯である。
    踊って、のって、あがるだけではない何か。
    それを掴むために、シンガロングを目論んだメロディをでっち上げるより先に、オケをつくる必要があった。私はそう結論づけたい。展開と構成とコード(ハーモニー)とリズム、これらの妙が音楽の豊かさであり、それを駆使してトライアンパサンディはその曲で表現したいものを形にする。

    オケ先行ゆえに、歌メロは後手に回り、制約される。そのために、逆説的に他バンドと一線を画すオルタナティヴなメロディを産んでいることも見落とせない。


    もうひとつ、彼らのハイセンスを裏付けるのは、G-YUNcoSANDYがそもそもスカパンク畑の人間だったことだ。トライアンパサンディでは、表面こそエレクトロになったが、良い意味で軽さのあるパンキッシュなアレンジの遺伝子が引き継がれている。
    女性ボーカルのロックバンドには、下手にメタル風な重いギターをフィーチャーしたリフやソロで背伸びしているものが多々ある。彼女たちは、格好良さ、というベクトルへの拘りがあるのだ。気持ちはわかる。でもラウドであることは格好良いことではないのだ。
    トライアンパサンディにはそういった気負いがない。G-YUNcoSANDYがパンクを知っているからだ。


    サビでメロディはひとときの開放感につつまれるが、「宣戦布告しなきゃね」でキリッとそれを畳む。何メロなのかラップなのか良くわからないパートを挟み、再びサビではないサビへ。


    "カガミヨカガミさあ答えてめくるめく未来をおしえて
    カガミヨカガミさあ答えてめくらます世界で"


    このリフレインがなんとも使い勝手の良いフックになり、自由な曲展開を生み出している。その後も最後まで、読めない展開がいとも自然に展開する。

    個人的には作曲面でのブレーンがいるのかどうか気になるところ。もしいるのだとしたらその人のルーツはいかなるものなのだろうか。また、元ベーシストがバンドのアレンジャーに転身したというのも面白い。良いタイアップがつけばひとっ飛びでトップシーンで見かけるようになりそうだが、果たしていかがなものか。
    『歌ものになりきらないのにポップ』 を詳しく ≫
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