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RANDOM MUSICランダムおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • サニー

    黒猫チェルシー

    美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。 コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。 その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンク

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • BLINKSTONEの真実を

    BIGMAMA

    金井政人は非常にモチベーションの高い人間である。そして理想の高い人間である。 無理もない。この人は持てる者だ。 まず普通に顔が格好良い。 そして学がある。ポイントは最終学歴ではなく、付属高校から中央大学に進学していることだ。東京出身。私立の高校に進学できるだけの経済的余裕と、文化資本を備えた、いわゆる中流家庭の出身であると推察できる。 BIGMAMAの優美でクラシカルな世界観は

  • Summer Soul

    cero

    上質だ。これぞ真の音楽好きが真の音楽好きに自信をもってレコメンドできる最高に上質でソフィスティケートされたジャンル越境ポップロックミュージックだ。 ベースが良い。 超聴こえる。 ベースを聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 ドラムが良い。 タムで刻み、金物をキーボードのように聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 テクニカルなのに、編曲に嫌味がない。 こういうのをズルいと言う。

  • Ice Candy

    カフカ

    IceCandy、良いギターロックである。 突風のように蒼い轟音と疾走感。歌詞の断片のブライトな響き。 歪んだシングルコイル、ディレイ。気持ち良い。 ときは2000年代前半。 私たち日本生まれのゆとり第一世代は思春期に差し掛かり、ある遺伝子変革に遭遇したのだと思う。 ギターロックという本能の誕生である。 禁断の果実はBUMP OF CHICKENだったのだろうか。 あるい

  • Swan

    [Alexandros]

    なんでこんなに顔がかっこいいのか、という疑問に対して誰も何も答えてくれないバンドナンバーワン。 曲もかっこいい。電子ビートとフェイザー?感のある揺らしたボーカルによる淡々とした始まりからして、新参者のパブリックイメージの外側から攻めてくる。この感触はどこから引っ張ってきたアイデアなのか。ボーカルの録音とミックスが良いだけなのか。 ドラマティックなサビで泣かせるまでに至らず、すぐAメロに

  • 人間ビデオ

    ドレスコーズ

    偉大なバンドは磁場をつくる。 多くのリスナーを惹きつけるためだけの磁場ではない。簡単に言えば、フォロワーを生むということだ。 多くの場合、フォロワーバンドというやつは幾つかの類型に分けることができる。 最も一般的なのが、単なるマネだ。そこにオトナのマーケティングがある。この感じがウケる。ロジカルシンキングに長けた企業人は、スピーディーにトレンドをキャッチし、商品に反映させることができる。

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • なんでこんなに顔がかっこいいのか、という疑問に対して誰も何も答えてくれないバンドナンバーワン。

    曲もかっこいい。電子ビートとフェイザー?感のある揺らしたボーカルによる淡々とした始まりからして、新参者のパブリックイメージの外側から攻めてくる。この感触はどこから引っ張ってきたアイデアなのか。ボーカルの録音とミックスが良いだけなのか。

    ドラマティックなサビで泣かせるまでに至らず、すぐAメロに戻る。音数少ない16ビートが続く。ニクい。Cメロ、間奏、転調、こってりしないディストーションギター。ニクい。顔は美メロだが、ノイジーで、決して安易な媚びを感じさせない。ズバッと終わる。やりたいことをやっている。甘さ控えめ。何から何までニクい。人気あるだろうなあ、勘弁してほしいなあ、このバンド。
    『なんでこんなに顔がかっこいいのか』 を詳しく ≫
  • 若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。

    大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。
    では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。
    メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。

    私は、若者が書いたラブソングだと思う。
    恋愛は普遍的だ。
    だからこそ、その切り取り方に時代が見え隠れする。


    例えばSHISHAMOの『君と夏フェス』。夏フェスが社交の場として定着した今だからこそ歌になるラブソングだ。昔ならそれはビーチだったかもしれないし、映画館だったかもしれないし、ディスコだったかもしれない。


    My Hair is Badの『恋人ができたんだ』は、男性目線の歌だ。
    新しい恋人ができたことで、以前の恋人を思い出す歌。

    いかにも女々しく、色恋が世界のすべてでいられる年頃の青臭さを感じる。
    私自身が個人的に共感できるかと言えば、正直Noだ。
    大人の男になってしまった青年はもう、過去の恋愛をこれほどまでにウェットに振り返れない。美化こそすれど。

    過去に対してウェットになれるのは若者の特権だ。それは、過去を感傷の対象ではなく、情熱の対象として見ることができている証拠である。なぜそれができるかと言えば、若者はそもそも抱えている過去の絶対量が少なく(故に過去自体に神秘性があり)、その上過去といえども精々、二三年前程度のものだからだ。

    『恋人ができたんだ』において同時代性を感じるために、もうひとつのポイントに着目する。別れた後の恋人、という概念の新しい解釈だ。

    いまの若者の恋愛の主戦場は間違いなく、LINE、Twitter、Instagram、FaceBookなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。SNSの本質はアーカイブ性と、公共性だ。結論から言えば、別れた恋人と連絡をとろうとしなくても、SNSを覗けば、元カレ・元カノのその後が見えてしまう。

    SNSは恋愛に新しい観点を持ち込む。自分を振った元カレがまだ自分をフォローしているのを知った上で、あえて落ち込んで見せることもあるだろう。逆に、他の男なんていくらでもいることを見てほしくて、遊んでいることを匂わせた写真をいつも以上にアップロードするかもしれない。切り替えたことを知ってほしくて、アイコンを変えることもあるだろう。シェアした音楽を深読みしてしまうかもしれない。沈黙することすらひとつのメッセージになってしまう。

    SNSは、別れた後の恋人たちをアーカイブし続けることで、恋愛に対して新しい角度でスポットライトを当ててしまった。『恋人ができたんだ』はこの時代に生まれた、そんな新しい恋愛の機微を切り取った、同時代性のあるラブソングである。

    この歌が椎木知仁の実体験にもとづいているかどうかは分からない。いやおそらくそうではないだろう。なぜならあまりにリアルだからだ。

    リアルで写実的な描写を持ち込んだ理由は、生活感を持ち込みたかったからだ。別れた恋人を想う歌、という平凡なテーマを、現代の若者の当たり前の生活感で描けば、それが新奇性のあるラブソングになる。椎木知仁はそんな風にして、平凡なテーマを新しいラブソングに仕上げるソングライターなのだと思う。
    『SNS時代のラブソング』 を詳しく ≫
  • フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、

    "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)"

    ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。

    私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった。当時からこの曲には特別な存在感があったが、人気はその後も加速し、遂にはこの曲のみで構成されたトリビュートアルバムがリリースされるまでに至った。スターダムにのし上がったことはなくても、確固たる人気をキープしていたフラカンだが、ここにきて新しい波がきていた。そのピークはデビュー20年にして初の武道館ワンマン公演だ。

    曲を聴く前から、『ハイエース』が『深夜高速』の系譜にあることはわかった。フラワーカンパニーズのメンバーはハイエースに乗って真昼の高速も深夜の高速も走り抜け、日本全国を旅したのだろう。ひとつの車にメンバーやスタッフが乗り、永遠とも言える、楽しく、退屈な時間を過ごしたのだろう。そんな自分たちのやってきたことを、振り返り、自嘲しながらも、間違っていなかったと、これからもそうしていくのだと、再確認する決意の歌だ。つまり『ハイエース』の主人公はフラワーカンパニーズだ。

    正解。歌詞世界の面で、私の予想は一ミリもずれていなかった。いつから聴いてると思ってるんだ。楽曲面では二点、良い意味で裏切られた。鮮やかなテンポチェンジが大胆で格好良かったことと、竹安のぎこちない掛け声だ。

    それにしても、この自分の物語を歌う『深夜高速』『ハイエース』の系譜。フラカンを解き明かす上で、もっとピックアップされるべきだと思う。この傾向は最近とくに色濃くなっている。『消えぞこない』も同じタイプだ。

    これらの楽曲は、フラワーカンパニーズというバンドのキャラクターやストーリーを知っていることで真に響いてくる。歌っている鈴木圭介を見て、歌詞を書いたときの彼の思いを探し出す。長年のファンはそうやって歌とバンドを紡ぎ合わせて、より強固な唯一無二のリスニング体験を仕立てていく。どのバンドでも少なからずあることだが、フラワーカンパニーズの場合、その回帰的とも言えるストーリーテリングが彼らのロックの核でさえあると捉えて良いと私は思う。回帰系ロックとでも呼ぼうか。

    こうなってくると、キャリアを積めば積むほど参照されるバンドの物語が強化され、新曲の重みが増していく。

    近年は、"メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!"と堂々と謳い、なんとも情けないネーミングの自主レーベル、チキン・スキン・レコードを立ち上げている。とどまることを知らない自己参照だ。自虐でありながら、それを誇る。泥臭い自分たちを創作の源とする。近年の再評価は、この芸風と、積み重ねた実績がいよいよ噛み合ってきたことを感じさせるものだ。

    ロックは落ちこぼれの音楽だ。"ヒット曲なし!"と叫んで尚武道館までリスナーがついてくるに至ったここからは、ある意味では本当のロックがはじまりつつあるのかもしれない。
    『深夜高速の系譜 回帰系ロック』 を詳しく ≫
  • 美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。

    コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。

    その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンクバンドときた。曲も良い。演奏も良い。ルックスも良い。若い。大人のバックアップを看破できれば、むしろそのプロフェッショナルなプロダクションを愛せたかもしれないけど、それもできないから、私はただこのバンドを深追いするのを辞めた。私は信じられなかったのだ。そして許せなかったのだ。こんな若く美しい男性たちが、それに到底似合わない本物の音楽に、自然と出会い自然と惹かれたという事実が。


    このバンドの司令塔は澤竜次である。
    良いギタリストはフォームで分かるが、澤竜次もそのご多分に漏れない。右手のポジショニングが柔らかく美しい。良いギタリストはネックを遊ばせる。しなやかに傾くストラトキャスターを見てるだけでこちらの気分も良くなってくる。良いギタリストは、つまり澤竜次は、歪みの深さを選ばず、複弦でも単弦でもぱりっと弾ける。ブルージーかつ破壊的、時々トリッキーな音作りは黒猫チェルシーのイメージに大きく寄与している。『サニー』でもリフにソロにと彼の良さが存分に顕れている。澤竜次のルーツはハードロックとジミ・ヘンドリクスのようだ。なるほど納得である。パンクが入り口でここまでの演奏力にたどり着く想像はなかなかできない。バンドがINUやスターリンと似てきたのは、日本語の歌との融合の結果であり、それは、引いては、黒猫チェルシーが渡辺大知のバンドであるただそれだけの帰結だったのだ。

    とはいえ、元来このバンドが澤竜次のバンドであったことを考えれば、合点がいくことも多い。華美な衣装はジミ・ヘンドリクスのサイケデリアであり、ガレージパンクな音も、種を明かされればハードロックだ。華がありすぎる渡辺大知をイチ抜けし、澤をフロントマンに置けば、バンドのルックスだってハードロックオタク集団に見えなくもない。しかしながら、その趣味的な世界に閉じこもらないところまでが澤の判断であることは留意したい。

    『サニー』において、作曲クレジットはバンド名だが、曲を引っ張っているのはやはり澤のギターだ。この時期は、澤についていくカタチで、渡辺大知が音楽性を深化させていく様がバンドに良いバランスを持ち込んでいる。リフ主体のイレギュラーな曲展開に制約された歌が、メロウでないのに異様にポップであるのは、異物同士を手探りでドッキングさせたときのマジック以外のなにものでもない。
    このバンドのポップネスは、澤がひっぱる研究家肌の楽器隊と、ミーハーな天才肌である渡辺との怪しいバランスが成立させ、成長させてきた。『サニー』はその幸福な関係が最良のカタチで具現化した時期の、彼らの代表曲だと思う。


    ところで最近はすっかり渡辺のバンドなので、また様相が変わっている。と言った捉え方はかなり乱暴だが、澤が自身の趣味性をFAIRY BRENDAという別バンドで発揮しはじめたのも示唆的だ。黒猫チェルシーは、より歌ものにシフトし、バンド自体の物語を歌うようになった。ドッキングを繰り返した異物たちは、遂に整理整頓され、収まるべき所に収まったと言える。黒猫チェルシーが幸福でユニークだったのは、整理整頓されないままの有り様を作品にできる環境を手にしていたことにある。それゆえの歪さが、私のような者の変な誤解を産んだが、一方で産み落とされた作品は永遠だ。これらの作品たちは、過大でも過小でもない評価に時間をかけて辿り着くだろう。個人的にも、ギタリスト澤のFAIRY BRENDAとともに、黒猫チェルシーの新時代と新解釈に出会い続けるつもりである。
    『過大でも過小でもない評価に』 を詳しく ≫

NEW MUSIC最新のおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • ハイエース

    フラワーカンパニーズ

    フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、 "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)" ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。 私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった

  • サニー

    黒猫チェルシー

    美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。 コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。 その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンク

  • BLINKSTONEの真実を

    BIGMAMA

    金井政人は非常にモチベーションの高い人間である。そして理想の高い人間である。 無理もない。この人は持てる者だ。 まず普通に顔が格好良い。 そして学がある。ポイントは最終学歴ではなく、付属高校から中央大学に進学していることだ。東京出身。私立の高校に進学できるだけの経済的余裕と、文化資本を備えた、いわゆる中流家庭の出身であると推察できる。 BIGMAMAの優美でクラシカルな世界観は

  • めぐり逢えたら

    おとぎ話

    古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。 最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。 独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。 新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時

  • セツナ

    サニーデイ・サービス

    曽我部恵一は紛れもないミュージシャンズミュージシャンズだ。先輩後輩問わず他のバンドマンや評論家に、曽我部恵一という人間はあまりに讃えられている。愛されすぎて逆に胡散臭いくらいだ。 同業者に愛されるにはいくつか理由がある。人柄もそうだろう。しかしそれよりも鍵になるのは、同じプロであってもなかなかマネできない、マネしようとしない音楽をやっていることだ。 他のミュージシャンに出来なくて、曽我

  • Good New Times

    Gotch

    バンドマンのソロを聴くのは好きだ。 その人が、バンドとソロ、公と私をどのように分断するのか。 その境目をどの地点に置くか。音なのか、歌詞なのか。仕事と趣味なのか。 一番好きなジャンルと、二番目に好きなジャンルなのか。 それまでのバンド作品では、プライベートな音楽を鳴らしていたのか。 そうではなかったのか。 ソロ作品をリリースするとたくさんのことが見えてくる。 『Good

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  • 若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。

    大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。
    では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。
    メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。

    私は、若者が書いたラブソングだと思う。
    恋愛は普遍的だ。
    だからこそ、その切り取り方に時代が見え隠れする。


    例えばSHISHAMOの『君と夏フェス』。夏フェスが社交の場として定着した今だからこそ歌になるラブソングだ。昔ならそれはビーチだったかもしれないし、映画館だったかもしれないし、ディスコだったかもしれない。


    My Hair is Badの『恋人ができたんだ』は、男性目線の歌だ。
    新しい恋人ができたことで、以前の恋人を思い出す歌。

    いかにも女々しく、色恋が世界のすべてでいられる年頃の青臭さを感じる。
    私自身が個人的に共感できるかと言えば、正直Noだ。
    大人の男になってしまった青年はもう、過去の恋愛をこれほどまでにウェットに振り返れない。美化こそすれど。

    過去に対してウェットになれるのは若者の特権だ。それは、過去を感傷の対象ではなく、情熱の対象として見ることができている証拠である。なぜそれができるかと言えば、若者はそもそも抱えている過去の絶対量が少なく(故に過去自体に神秘性があり)、その上過去といえども精々、二三年前程度のものだからだ。

    『恋人ができたんだ』において同時代性を感じるために、もうひとつのポイントに着目する。別れた後の恋人、という概念の新しい解釈だ。

    いまの若者の恋愛の主戦場は間違いなく、LINE、Twitter、Instagram、FaceBookなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。SNSの本質はアーカイブ性と、公共性だ。結論から言えば、別れた恋人と連絡をとろうとしなくても、SNSを覗けば、元カレ・元カノのその後が見えてしまう。

    SNSは恋愛に新しい観点を持ち込む。自分を振った元カレがまだ自分をフォローしているのを知った上で、あえて落ち込んで見せることもあるだろう。逆に、他の男なんていくらでもいることを見てほしくて、遊んでいることを匂わせた写真をいつも以上にアップロードするかもしれない。切り替えたことを知ってほしくて、アイコンを変えることもあるだろう。シェアした音楽を深読みしてしまうかもしれない。沈黙することすらひとつのメッセージになってしまう。

    SNSは、別れた後の恋人たちをアーカイブし続けることで、恋愛に対して新しい角度でスポットライトを当ててしまった。『恋人ができたんだ』はこの時代に生まれた、そんな新しい恋愛の機微を切り取った、同時代性のあるラブソングである。

    この歌が椎木知仁の実体験にもとづいているかどうかは分からない。いやおそらくそうではないだろう。なぜならあまりにリアルだからだ。

    リアルで写実的な描写を持ち込んだ理由は、生活感を持ち込みたかったからだ。別れた恋人を想う歌、という平凡なテーマを、現代の若者の当たり前の生活感で描けば、それが新奇性のあるラブソングになる。椎木知仁はそんな風にして、平凡なテーマを新しいラブソングに仕上げるソングライターなのだと思う。
    『SNS時代のラブソング』 を詳しく ≫
  • フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、

    "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)"

    ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。

    私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった。当時からこの曲には特別な存在感があったが、人気はその後も加速し、遂にはこの曲のみで構成されたトリビュートアルバムがリリースされるまでに至った。スターダムにのし上がったことはなくても、確固たる人気をキープしていたフラカンだが、ここにきて新しい波がきていた。そのピークはデビュー20年にして初の武道館ワンマン公演だ。

    曲を聴く前から、『ハイエース』が『深夜高速』の系譜にあることはわかった。フラワーカンパニーズのメンバーはハイエースに乗って真昼の高速も深夜の高速も走り抜け、日本全国を旅したのだろう。ひとつの車にメンバーやスタッフが乗り、永遠とも言える、楽しく、退屈な時間を過ごしたのだろう。そんな自分たちのやってきたことを、振り返り、自嘲しながらも、間違っていなかったと、これからもそうしていくのだと、再確認する決意の歌だ。つまり『ハイエース』の主人公はフラワーカンパニーズだ。

    正解。歌詞世界の面で、私の予想は一ミリもずれていなかった。いつから聴いてると思ってるんだ。楽曲面では二点、良い意味で裏切られた。鮮やかなテンポチェンジが大胆で格好良かったことと、竹安のぎこちない掛け声だ。

    それにしても、この自分の物語を歌う『深夜高速』『ハイエース』の系譜。フラカンを解き明かす上で、もっとピックアップされるべきだと思う。この傾向は最近とくに色濃くなっている。『消えぞこない』も同じタイプだ。

    これらの楽曲は、フラワーカンパニーズというバンドのキャラクターやストーリーを知っていることで真に響いてくる。歌っている鈴木圭介を見て、歌詞を書いたときの彼の思いを探し出す。長年のファンはそうやって歌とバンドを紡ぎ合わせて、より強固な唯一無二のリスニング体験を仕立てていく。どのバンドでも少なからずあることだが、フラワーカンパニーズの場合、その回帰的とも言えるストーリーテリングが彼らのロックの核でさえあると捉えて良いと私は思う。回帰系ロックとでも呼ぼうか。

    こうなってくると、キャリアを積めば積むほど参照されるバンドの物語が強化され、新曲の重みが増していく。

    近年は、"メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!"と堂々と謳い、なんとも情けないネーミングの自主レーベル、チキン・スキン・レコードを立ち上げている。とどまることを知らない自己参照だ。自虐でありながら、それを誇る。泥臭い自分たちを創作の源とする。近年の再評価は、この芸風と、積み重ねた実績がいよいよ噛み合ってきたことを感じさせるものだ。

    ロックは落ちこぼれの音楽だ。"ヒット曲なし!"と叫んで尚武道館までリスナーがついてくるに至ったここからは、ある意味では本当のロックがはじまりつつあるのかもしれない。
    『深夜高速の系譜 回帰系ロック』 を詳しく ≫
  • 美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。

    コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。

    その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンクバンドときた。曲も良い。演奏も良い。ルックスも良い。若い。大人のバックアップを看破できれば、むしろそのプロフェッショナルなプロダクションを愛せたかもしれないけど、それもできないから、私はただこのバンドを深追いするのを辞めた。私は信じられなかったのだ。そして許せなかったのだ。こんな若く美しい男性たちが、それに到底似合わない本物の音楽に、自然と出会い自然と惹かれたという事実が。


    このバンドの司令塔は澤竜次である。
    良いギタリストはフォームで分かるが、澤竜次もそのご多分に漏れない。右手のポジショニングが柔らかく美しい。良いギタリストはネックを遊ばせる。しなやかに傾くストラトキャスターを見てるだけでこちらの気分も良くなってくる。良いギタリストは、つまり澤竜次は、歪みの深さを選ばず、複弦でも単弦でもぱりっと弾ける。ブルージーかつ破壊的、時々トリッキーな音作りは黒猫チェルシーのイメージに大きく寄与している。『サニー』でもリフにソロにと彼の良さが存分に顕れている。澤竜次のルーツはハードロックとジミ・ヘンドリクスのようだ。なるほど納得である。パンクが入り口でここまでの演奏力にたどり着く想像はなかなかできない。バンドがINUやスターリンと似てきたのは、日本語の歌との融合の結果であり、それは、引いては、黒猫チェルシーが渡辺大知のバンドであるただそれだけの帰結だったのだ。

    とはいえ、元来このバンドが澤竜次のバンドであったことを考えれば、合点がいくことも多い。華美な衣装はジミ・ヘンドリクスのサイケデリアであり、ガレージパンクな音も、種を明かされればハードロックだ。華がありすぎる渡辺大知をイチ抜けし、澤をフロントマンに置けば、バンドのルックスだってハードロックオタク集団に見えなくもない。しかしながら、その趣味的な世界に閉じこもらないところまでが澤の判断であることは留意したい。

    『サニー』において、作曲クレジットはバンド名だが、曲を引っ張っているのはやはり澤のギターだ。この時期は、澤についていくカタチで、渡辺大知が音楽性を深化させていく様がバンドに良いバランスを持ち込んでいる。リフ主体のイレギュラーな曲展開に制約された歌が、メロウでないのに異様にポップであるのは、異物同士を手探りでドッキングさせたときのマジック以外のなにものでもない。
    このバンドのポップネスは、澤がひっぱる研究家肌の楽器隊と、ミーハーな天才肌である渡辺との怪しいバランスが成立させ、成長させてきた。『サニー』はその幸福な関係が最良のカタチで具現化した時期の、彼らの代表曲だと思う。


    ところで最近はすっかり渡辺のバンドなので、また様相が変わっている。と言った捉え方はかなり乱暴だが、澤が自身の趣味性をFAIRY BRENDAという別バンドで発揮しはじめたのも示唆的だ。黒猫チェルシーは、より歌ものにシフトし、バンド自体の物語を歌うようになった。ドッキングを繰り返した異物たちは、遂に整理整頓され、収まるべき所に収まったと言える。黒猫チェルシーが幸福でユニークだったのは、整理整頓されないままの有り様を作品にできる環境を手にしていたことにある。それゆえの歪さが、私のような者の変な誤解を産んだが、一方で産み落とされた作品は永遠だ。これらの作品たちは、過大でも過小でもない評価に時間をかけて辿り着くだろう。個人的にも、ギタリスト澤のFAIRY BRENDAとともに、黒猫チェルシーの新時代と新解釈に出会い続けるつもりである。
    『過大でも過小でもない評価に』 を詳しく ≫
  • 金井政人は非常にモチベーションの高い人間である。そして理想の高い人間である。
    無理もない。この人は持てる者だ。


    まず普通に顔が格好良い。
    そして学がある。ポイントは最終学歴ではなく、付属高校から中央大学に進学していることだ。東京出身。私立の高校に進学できるだけの経済的余裕と、文化資本を備えた、いわゆる中流家庭の出身であると推察できる。

    BIGMAMAの優美でクラシカルな世界観は、金井のこうした育ちの良さが大きく寄与している。メンバーの確かな演奏力にも、きっと同様のことが言える。


    金井政人は理想が高く、そこへ向かう努力を怠らない。彼はある種のナルシストであり、それが彼の人生に完全にポジティブにフィードバックされている稀有なタイプだ。


    金井政人はいくつものカードを持っている。その中でも、彼がバンドに夢中になって以降最も念入りに育てているカードが、作家性という名のカードだ。作家性というキーワードはインタビューなどでも本人の口から触れられている。


    彼の高いモチベーションと豊かな文化資本と感の良さが、ヤンチャなイケメンのレベルでしかなかった作家性を、プロのソングライターという看板に耐えるところまで引き上げた。アーティストかくあるべし。金井政人は、自身の潜在的な作家性を肯定せず、生真面目に理想を追った上で努力する。読書については、次のように豪語している。


    "日課の読書は言葉を知らないバカでありたくない義務感にのみ由来している"(ブログ)


    最新アルバム『Fabula Fibula』でも作家性へのチャレンジが行われている。
    『Fabula Fibula』は、"収録されている全ての曲に街の物語とテーマがあり、アルバム1枚で一つの地図ができあがる"(リアルサウンド)というコンセプトを持ったアルバムだ。


    サージェント・ペパーズ以降、ロックは若者の遊びから離れ、芸術になっていく。その象徴がコンセプトアルバムという試みだ。金井にとって今のBIGMAMAは、芸術のステージにあると言える。


    『BLINKSTONEの真実を』では、フィクショナルな雰囲気がむんむんであることをまず指摘したい。
    美術館で撮影したMVは言わずもがな、冷たくヨーロピアンなメロディラインは、ポップミュージックとして落ち着いてしまうことを拒む強さがある。
    面白いのは、ハードロックなギターリフをガッツリ組み上げた上で、このような雰囲気に持っていくところだ。当然だが、作家性への拘りが第一に追求するのは歌詞ではない。オリジナリティだ。
    その点、チャレンジングなサウンドや編曲は金井にとってマスト事項となり、それは『BLINKSTONEの真実を』に象徴的である。


    歌詞にも一見の価値がある。


    "Don't look into her eyes
    dangerous It's a sweet trap
    決してその目を合わせてはいけない"

    "目と目が合えばその瞬間に
    氷のような冷たい接吻
    恋と地獄の底なし沼へ"

    "Medusa she is Medusa
    criminal she is criminal
    BLINKSTONEの真実を"


    BLINKはまばたきだ。見たものを石に変えてしまう、ギリシア神話のメデューサをモチーフにした物語だと分かる。
    気になるのは、"she is criminal"というセンテンスだ。メデューサがある種害悪のある存在であることは周知の事実である。つまり、彼女がcriminalであることを客観的に指摘する行為は、原理的には伝えるべき情報から省かれている。
    逆説的に解釈できるのは、メデューサ、あるいはメデューサに例えられている女性は、crinimalな存在ではないということである。そして彼女をcriminalと主張するのは、あくまで物語の語り手であり、それはひとつの主観でしか無いことを覚えておきたい。
    冒頭には次のような歌詞がある。


    "決してその目を合わせてはいけない"


    "その目"は、メデューサの目ではなく語り手の目を指す。
    ここにおいても、客観的にメデューサをフィーチャーするのであれば、「その目を見てはいけない」あるいは「その目に合わせてはいけない」と表現するほうがより自然な表現だと感じる。メデューサの目でなく、語り手の目が目的語となっていることに、客観ではなく主観に力点が置かれていることが象徴される。


    最後に、"BLINKSTONEの真実を"について。
    BLINK、まばたきをするのはやはり物語の語り手だ。
    そして"真実"があると説く。
    真実は物語が主観で描かれるときのみ脚光を浴びる。なぜなら主観から真実は隠れるから。
    逆に、客観とは神の視点であり、客観である限り真実は開かれている。


    まとめると、この曲の物語は、極度に語り手の主観に依存しており、それがひとつの仕掛けになっている。
    メデューサを一方的に、criminalな存在にしているのは、物語の語り手だ。

    そして真実はいつだって主観の外側に在る。この曲は、主観とは異なった真実を、間接的に読み取らせる構造になっている。ちなみにその真実がなんなのかは描かれていない。とはいえ、主観の記述を全面的に反転させることがヒントになるだろう。そこでボンヤリと見えるのは、メデューサという外的な危機ではなく、語り手自身の内的な退廃と、それがある状況に陥ったときの人間の宿命的なものであるという諦観、そして破滅的なロマンである。


    以上が、金井政人にとってどれだけ意識的なアプローチであったかは大した問題ではない。なぜなら、真実は金井政人の主観の外側にあるからだ。金井政人の作家性に誓って。
    『金井政人の作家性 メデューサの真実』 を詳しく ≫
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