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  • ラストシーン

    いきものがかり

    私事ですが、父が『いきものがかり』を好きなようだ。 70年代に10代の大半をすごし、EAGLESの大ファンを自認する古き良きロックオヤジである父だが、根っこはミーハーな人間で、ここ十年弱は家族の誰よりもAKBに詳しい日々を過ごしている。けなげな女の子に騙されるタイプのようで、例によって吉岡聖恵の素朴な佇まいにやられた口だ。PVのストーリー、吉岡聖恵、ブレス、裏声、ストリングス、吉岡聖恵、練られた

  • 恋をしたのは

    aiko

    aikoはメロディとコードが面白い。 それはよく言われていることだ。 『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロ

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • ハッピーエンド

    back number

    Mr.Children、コブクロ。 わかる。わかるよ、清水依与吏。 back numberが先達から非常に強い影響を受けているのがわかる。 いや、影響という言い方は間違っているかもしれない。 それは、遺伝に近い。 ハッピーエンドは、ドラマティックなバラードである。 他のback numberのバラードと同じように。 日本人好みのメロディライン、切ない恋心の歌詞。 ストリング

  • めぐり逢えたら

    おとぎ話

    古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。 最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。 独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。 新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時

  • 最高なしあわせ

    加藤ミリヤ

    サビの出だしが、「最高なしあわせ」ではじまる。その譜割りがとても良い。 「し」と「あ」が繋がって発音される様がとても洋楽的である。 奇抜一歩手前まで攻めるファッションからして、そんじゃそこらの可愛いだけの女とは違う、というパッションが伝わってくるだけあって、『最高のしあわせ』のようなバラードであっても、お茶の間のテレビには似合わさない大人っぽいアレンジである。 この世界には、加藤ミリ

  • 猫とアレルギー

    きのこ帝国

    猫である。そしてきのこである。テレキャスである。 ある種の人間はそれだけで何かに気づく。 あ、これ好きなヤツだ。と。 中堅監督が駆け出しの頃、地味な俳優陣と低予算なロケでとったモノローグの多い邦画。 きのこ帝国の持つ叙情性と、それへの親近感を言葉にするとき私はそれを思い浮かべた。 『猫とアレルギー』は、理性的でしっとりとしたロックバラードだ。 Aメロからいい具合に抑揚がきいたメ

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • Mr.Children、コブクロ。

    わかる。わかるよ、清水依与吏。
    back numberが先達から非常に強い影響を受けているのがわかる。
    いや、影響という言い方は間違っているかもしれない。
    それは、遺伝に近い。

    ハッピーエンドは、ドラマティックなバラードである。
    他のback numberのバラードと同じように。
    日本人好みのメロディライン、切ない恋心の歌詞。
    ストリングス but バンドサウンド。

    そして、PVの女の子。
    Jポップの発明、PVの女の子。
    back numberはPVにすごい勢いで女の子が出てくる。
    古くからJポップでは、ここぞという勝負曲のPVで女の子を出すのが通例だった。
    しかし、back numberはほぼすべての曲で女の子を出してくる。
    ここまでくると、確信犯なのだろう。
    バドル漫画の序盤なのにいきなり最強の技を繰り出してるけど、ここで白けちゃ負けだ!って読者が付いてくる。
    読者をそうさせる繊細な気概をちゃんと掴んでいるのだ。
    それを毎週の連載で繰り出している。
    神の一手も、何度も使ってしまえば、それはもうback numberの一手である。

    慎重に手を付けることで効果的であれた禁じ手を、back numberが無尽蔵に繰り出せるのはなにも偶然じゃない。他バンドでは、5年に一度の勝負曲を、back numberは3ヶ月に一度出しているだけである。

    では、なぜback numberはこう毎度毎度泣きどころで勝負できるのか。
    先輩のMr.Childrenを振り返ってみてほしい。彼らは、肩の力抜けた曲や、尖った曲で、ときどき足場整えているじゃないか。骨のある音楽家としての。


    思うに、back numberの強さは、足場を整えなくても全力を出せることになる。テイクバックが小さくても球速を出せる投手のようだ。それは現代の音楽業界が、自然発生的に生んだ最新型の作家性なのだと思う。


    大衆音楽の歴史とは、区別とカウンターの歴史である。
    ブルース、ロックンロール、フォーク、サイケデリック、ハードロック、ヒップホップ、パンク、ニューウェーブ、テクノ、オルタナティブ。
    ジャンルとは、一世代上のジャンルへの、反省をもとにしたカウンターで生まれる。
    そこには先行ジャンルへの、明確な区別がある。先行世代との区別が、ニュージェネレーションの足場になる。

    ロックンロールの誕生から半世紀以上経過して、この時代のback numberを聴いて思うのは、今のリアルな音楽には、区別もカウンターも存在していないということである。だからback numberは足場を整えながら音楽活動をする必要なんてなかった。

    それがback numberの無節操な良曲志向の源泉にある。


    おそらく、大衆音楽の歴史は長く豊かになりすぎたのだろう。
    新型への進化とは、旧型の埋葬である。
    旧型を埋葬するためには、旧型を区別する必要があった。

    そして、ある時から、私たちは旧型の埋葬を必要としなくなり、その進化の在り方を変えたのだと思う。
    『良曲志向と女の子と区別の埋葬』 を詳しく ≫
  • 私事ですが、父が『いきものがかり』を好きなようだ。
    70年代に10代の大半をすごし、EAGLESの大ファンを自認する古き良きロックオヤジである父だが、根っこはミーハーな人間で、ここ十年弱は家族の誰よりもAKBに詳しい日々を過ごしている。けなげな女の子に騙されるタイプのようで、例によって吉岡聖恵の素朴な佇まいにやられた口だ。PVのストーリー、吉岡聖恵、ブレス、裏声、ストリングス、吉岡聖恵、練られた譜割り、メロディ、吉岡聖恵。どのシングルを切り取っても裏切らない、卵のような安定感が、『ラストシーン』にも健在だ。

    さて、水野良樹である。作詞作曲を担当するリーダー。それ以上の認識を彼に対して抱いたのは、ライターの柴那典なんかとTwitterで一時期よく絡んでいるところを見てからだ。

    なるほど、水野良樹は芸能人ではない。
    音楽業界の現状に対する、地に足の着いた、聡明な、一方で至極当たり前な言葉を発する常識人だった。
    いきものがかりのような、言ってしまえば小奇麗なユニットに属しておきながら、なんのフィルターを通さず、当たり前なことを当たり前に喋っているのが意外だった。

    彼を知れば、楽曲は逆算されて面白くなる。

    例えば、いきものがかりは良いユニットだが、果たしてそれは水野良樹の音楽的探究心に答えているのだろうか。余計なお世話が過ぎることは百も承知である。
    インディー界隈では彼ほどの知恵のないバンドだってセールスとバンドへの利益配分の関係をうまく調整して食えていたりする。
    ポップとコアの境目でバランスをとる余地は十分あるのに、いきものがかりがどうしてあれほど安全圏にいるのだろうか。余計なお世話が過ぎることは百も承知である。ただ、私なら彼のマインドセットの所在を妄想することで、いきものがかりの楽曲ははいかようにでも面白く聴くことができる。

    人工知能が「Beatlesっぽい曲」というお題で取り組んだ作曲のクオリティが高くて話題になった。
    では、もしも人工知能に「Jポップのバラード」というお題を出したらどうなるだろうか。
    私には『ラストシーン』のような曲が出来上がってくるように思える。そのくらい『ラストシーン』はJポップのバラードのつぼを抑えている。水野良樹ならBeatlesに擬態した曲だってつくれるだろう。Jポップに擬態した曲がつくれるように。

    水野良樹は人工知能なのだろうか。吉岡聖恵が危ない橋を渡る姿はとても魅力的だと思うのですが、いかがでしょうか人間の水野さん。
    『人工知能と水野良樹のバラード』 を詳しく ≫
  • aikoはメロディとコードが面白い。
    それはよく言われていることだ。

    『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロディを成り立たせているのは自由なコード進行である。違和感と納得感の狭間にあるコード感。リスナーの耳を違和感で引っ掛けつつ、強引に納得感に持っていくコード進行。

    『カブトムシ』には驚いた。


    "生涯忘れることはないでしょう"


    ご存知、サビの最後のキメのフレーズだ。
    その頭のコードがAmになっている。曲のキーはD#だ。なんということだろう。曲の最大のピークになる決め所で、曲中最も違和感のあるコードを使っている。これはとても勇気のいることである。そこからAm→G#6→Gm7→F#6→Fm7と、ベースラインがきっかり半音刻みで下降する。
    わかりやすく半音下げてみる。キーはD。すると、G#m→G6→F#m7→F6→Em7だ。
    G#mはDに対するドミナントマイナー(5度)をさらに半音♭(フラット)している。これが和声学的にどう命名されているか調べたがわからなかった。ご存じの方がいれば教えて欲しい。明らかなのは、彼女はかなり尖った、コードの使い手だということだ。

    『恋をしたのは』は『カブトムシ』ほどではないが、やはり、きっかり半音刻みのルート下降が使われている。aikoはキーボードで作曲する。推測だが鍵盤でコードをつくっていくとこういうことが自然におこりやすいのだと思う。ギターではこうはならない。あるコードから連なる次のコードを選ぶとき、身体的に楽な形がギターと鍵盤では違っているからだ。半音の動きが効き、ストイックでジャジーなAメロが良い。AikoのAメロはこのパターンが多く、ためのあるギターのカッティングがさり気なく効果的に使われているところも好きなところだ。


    aikoの優れたコード感には、鍵盤というアーキテクチャや本人の音楽的素養がもちろん起因するが、注目したいのが歌詞先行で曲作りをするという点だ。歌詞が先に出来上がれば当然曲作りには制限が生まれる。その制限とaikoの強引かつ自在なコード感はとても相性が良いように感じる。譜割りの制限とそれを強引に完成に持っていくコードが相互作用をおこし、魅力的なメロディとなって産み落とされる。良いサイクルが無自覚に成立しているのだと思う。平板かつスモーキーで甘いボーカルも良い塩梅で曲の凹凸を均していることも指摘しておきたい。

    その意味では、aikoが歌詞を重視することがなにより作曲家としてのaikoを活かしていると言える。aikoのアイデンティティと言える「恋愛」というテーマも然りだ。穿った見方をすれば、aikoの恋が落ち着きを見せ、歌詞ではなく曲先行でイマジネーションが生まれるとき、そこにはひどく無難で冒険の無いメロディがある可能性だって無きにしもあらず。aikoにとって自身のプライベートの恋愛それ自体と、それを歌詞としてアウトプットすることが最大の関心事である限り、私たちは彼女のメロディを聴ける。aikoが生粋の恋愛体質であることは、aikoのメロディのクリエイティビティを高めるために備わった、まさに天賦の才能と言えるだろう。あえて、歌詞それ自体の分析は他に譲りたい。
    『恋愛体質は音楽の才能』 を詳しく ≫
  • サビの出だしが、「最高なしあわせ」ではじまる。その譜割りがとても良い。
    「し」と「あ」が繋がって発音される様がとても洋楽的である。

    奇抜一歩手前まで攻めるファッションからして、そんじゃそこらの可愛いだけの女とは違う、というパッションが伝わってくるだけあって、『最高のしあわせ』のようなバラードであっても、お茶の間のテレビには似合わさない大人っぽいアレンジである。

    この世界には、加藤ミリヤを熱狂的に支持する女性たちがいる。
    交友関係が狭いおかげで、彼女たちと友人になる機会を未だ得ていない私だが、かろうじて、旅先でひとり、加藤ミリヤのファンである女性と会ったことがある。

    まず印象的だったのは、彼女が加藤ミリヤのことを「ミリヤ」と呼んでいたことだ。
    まるでそれは友達を呼ぶようだった。

    しかし、後々、加藤ミリヤの公式ホームページを見て、その理解がもう一歩捗ることとなる。
    公式ホームページの記述は次のようなものだった。


    "「最高なしあわせ」Music Videoは「幸せ」な瞬間を切りとっていて
    一面の生花の前で歌うミリヤが印象的に出演しており、とても色彩豊かな映像に仕上がっています。"


    そう、自身のホームページでも加藤ミリヤはファーストネームで語られていた。
    それは、ファンにとって加藤ミリヤがどんな存在であるべきか、という加藤ミリヤ自身のプレゼンテーションなのだと思う。

    ファンたちにとって、「ミリヤ」はそういう意味で友達なのだと思う。


    しかし決してただそれだけはない。
    なぜなら、周知の通り「ミリヤ」は憧れの対象であり、可愛くて、歌が上手で、ダンスが上手で、繊細で、深く大きな恋愛を経験してきているのだから。

    だから、ファンたちが「ミリヤ」と呼ぶとき、そこには親しみだけではない、歓びと誇りがある。
    歓びは、少し憧れていたクラスメイトと友達になって、その子を名前で呼べるようになったときの歓びだ。
    誇りは、繊細で孤高なミリヤに自分だけはしっかりと共感できるプライドだ。

    ファンからの愛され方にこそ、そのアーティストのアイデンティティが現れる。加藤ミリヤの「憧れていた同性の友達」というキャラクターは唯一無二だ。
    だから、彼女のファンは長く、一途に「ミリヤ」を聴き続けるのだ。
    その行いがまるで、歌の主人公とミリヤと自分自身の、一途な恋愛と夢を成就させるための祈りであるかのように。
    『ファーストネームで呼んで』 を詳しく ≫

NEW MUSIC最新のおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • めぐり逢えたら

    おとぎ話

    古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。 最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。 独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。 新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時

  • 恋をしたのは

    aiko

    aikoはメロディとコードが面白い。 それはよく言われていることだ。 『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロ

  • ハッピーエンド

    back number

    Mr.Children、コブクロ。 わかる。わかるよ、清水依与吏。 back numberが先達から非常に強い影響を受けているのがわかる。 いや、影響という言い方は間違っているかもしれない。 それは、遺伝に近い。 ハッピーエンドは、ドラマティックなバラードである。 他のback numberのバラードと同じように。 日本人好みのメロディライン、切ない恋心の歌詞。 ストリング

  • 最高なしあわせ

    加藤ミリヤ

    サビの出だしが、「最高なしあわせ」ではじまる。その譜割りがとても良い。 「し」と「あ」が繋がって発音される様がとても洋楽的である。 奇抜一歩手前まで攻めるファッションからして、そんじゃそこらの可愛いだけの女とは違う、というパッションが伝わってくるだけあって、『最高のしあわせ』のようなバラードであっても、お茶の間のテレビには似合わさない大人っぽいアレンジである。 この世界には、加藤ミリ

  • 猫とアレルギー

    きのこ帝国

    猫である。そしてきのこである。テレキャスである。 ある種の人間はそれだけで何かに気づく。 あ、これ好きなヤツだ。と。 中堅監督が駆け出しの頃、地味な俳優陣と低予算なロケでとったモノローグの多い邦画。 きのこ帝国の持つ叙情性と、それへの親近感を言葉にするとき私はそれを思い浮かべた。 『猫とアレルギー』は、理性的でしっとりとしたロックバラードだ。 Aメロからいい具合に抑揚がきいたメ

  • ラストシーン

    いきものがかり

    私事ですが、父が『いきものがかり』を好きなようだ。 70年代に10代の大半をすごし、EAGLESの大ファンを自認する古き良きロックオヤジである父だが、根っこはミーハーな人間で、ここ十年弱は家族の誰よりもAKBに詳しい日々を過ごしている。けなげな女の子に騙されるタイプのようで、例によって吉岡聖恵の素朴な佇まいにやられた口だ。PVのストーリー、吉岡聖恵、ブレス、裏声、ストリングス、吉岡聖恵、練られた

NEW REVIEW最新レビューから音楽をみつける

  • 若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。

    大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。
    では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。
    メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。

    私は、若者が書いたラブソングだと思う。
    恋愛は普遍的だ。
    だからこそ、その切り取り方に時代が見え隠れする。


    例えばSHISHAMOの『君と夏フェス』。夏フェスが社交の場として定着した今だからこそ歌になるラブソングだ。昔ならそれはビーチだったかもしれないし、映画館だったかもしれないし、ディスコだったかもしれない。


    My Hair is Badの『恋人ができたんだ』は、男性目線の歌だ。
    新しい恋人ができたことで、以前の恋人を思い出す歌。

    いかにも女々しく、色恋が世界のすべてでいられる年頃の青臭さを感じる。
    私自身が個人的に共感できるかと言えば、正直Noだ。
    大人の男になってしまった青年はもう、過去の恋愛をこれほどまでにウェットに振り返れない。美化こそすれど。

    過去に対してウェットになれるのは若者の特権だ。それは、過去を感傷の対象ではなく、情熱の対象として見ることができている証拠である。なぜそれができるかと言えば、若者はそもそも抱えている過去の絶対量が少なく(故に過去自体に神秘性があり)、その上過去といえども精々、二三年前程度のものだからだ。

    『恋人ができたんだ』において同時代性を感じるために、もうひとつのポイントに着目する。別れた後の恋人、という概念の新しい解釈だ。

    いまの若者の恋愛の主戦場は間違いなく、LINE、Twitter、Instagram、FaceBookなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。SNSの本質はアーカイブ性と、公共性だ。結論から言えば、別れた恋人と連絡をとろうとしなくても、SNSを覗けば、元カレ・元カノのその後が見えてしまう。

    SNSは恋愛に新しい観点を持ち込む。自分を振った元カレがまだ自分をフォローしているのを知った上で、あえて落ち込んで見せることもあるだろう。逆に、他の男なんていくらでもいることを見てほしくて、遊んでいることを匂わせた写真をいつも以上にアップロードするかもしれない。切り替えたことを知ってほしくて、アイコンを変えることもあるだろう。シェアした音楽を深読みしてしまうかもしれない。沈黙することすらひとつのメッセージになってしまう。

    SNSは、別れた後の恋人たちをアーカイブし続けることで、恋愛に対して新しい角度でスポットライトを当ててしまった。『恋人ができたんだ』はこの時代に生まれた、そんな新しい恋愛の機微を切り取った、同時代性のあるラブソングである。

    この歌が椎木知仁の実体験にもとづいているかどうかは分からない。いやおそらくそうではないだろう。なぜならあまりにリアルだからだ。

    リアルで写実的な描写を持ち込んだ理由は、生活感を持ち込みたかったからだ。別れた恋人を想う歌、という平凡なテーマを、現代の若者の当たり前の生活感で描けば、それが新奇性のあるラブソングになる。椎木知仁はそんな風にして、平凡なテーマを新しいラブソングに仕上げるソングライターなのだと思う。
    『SNS時代のラブソング』 を詳しく ≫
  • 古い家具のようなギターの音色でドリーミーなアルペジオを組み立てる。
    最後まで厚くならない音像に、盛り上がりに欠ける空虚なメロディが滑っていく。
    独特な音楽は多々あれど、その独特さのベクトルにおいて有識者が認知できないような角度で『めぐり逢えたら』を繰り出すおとぎ話は、損極まりない。
    新しいジャンルとの融合や、時代のアーキテクチャの有効活用は本当のところオリジナルでもなんでもない。進んでいる時代のフィーリング、それを選び取る尖った感性。そんなものと縁のないおとぎ話が私は好きだ。
    そして、そんなおとぎ話は損極まりない。

    『めぐり逢えたら』。この曲の特徴のひとつは、何故別れ何故めぐり逢うのかという情報が抜け落ちているセカイ系的な歌詞だ。この曲が湿っぽくもならなければ温かくもならない理由は曲調だけでなく、その歌詞にある。似ている。透明感のあるエモーションだけが情景とともに燃え尽きる様がまさにセカイ系フィクションと似ている。

    "さよならのむこう"
    "泣き顔の先"
    "別れを捧げる"

    モチーフとされるのは、別れるという概念それ自体と、その先にある概念的で幸福な何かそれ自体だ。別れも、めぐり逢いもふたり以上いなければできないことなのに、MVで描かれるのは女の子のみであることも指摘しておきたい。語り手は黒子として画面外にフェードアウトしているのだ。社会的背景が抜け落ち、離別や出逢い、破滅という概念がドラマティックに美少女のロードムービーとして独り歩きするのがセカイ系のストーリーだとまとめるなら、まさにどストライクのセカイ系ロックである。

    おとぎ話が損極まりない理由は、そのわかりづらさにある。何を言っているんだと思われるかもしれない。有馬和樹はポップで綺麗なメロディを書くじゃないかと。バンドはそれを最大限に引き立てる演奏ができるじゃないかと。牛尾健太の美形はかなり目立つじゃないかと。

    おとぎ話のわかりづらさは、ポップでピースフルな長所にユニークでストレンジな別の長所が埋もれてしまっている構造にある。おとぎ話に気づかず通り過ぎる人は、『めぐり逢えたら』の奇妙なメロディ展開や音像のアイデアに驚かず、ただ優しいだけの曲と感じるはずだ。わかりやすいよね、と。

    そして、おとぎ話が損極まりないもう一つの理由は、そのわかりやすさにある。『めぐり逢えたら』の歌詞がセカイ系的であることは先程指摘した。同じようにして曲のテーマが直球の恋であれば、有馬はやはりリアリティを捉えず、概念としての恋心を、言葉を変え、メロディを変え畳み掛ける曲を作る。『理由なき反抗』収録の『SMILE』を引用する。

    "終わり無き今は 光に溢れて"
    "季節を超えて 僕は君と旅にでるのさ"
    "恋をした瞬間に 涙があふれる"
    "広がる青空に 僕らのメロディが溶けてゆく"

    先日ドナルド・トランプのVictory Speechを英語で読んだ。それがとてもわかりやすかった。英語が簡単なのだ。トランプ政権自体の是非は置いといて、その言葉のポップさは分析に値する。限りなく平易で概念的でいかようにも解釈できるビッグワードだが感情が高ぶる。有馬が作詞で狙っているポップネスもまさにそれだと思う。トランプがインテリの自尊心を満たさないように、おとぎ話もインテリの自尊心を満たさない。わかりやすいからだ。もちろん有馬もトランプもそんなインテリよりも一枚上手なのだが、それはまた別の話。

    わかりやすさとわかりづらさのさじ加減で、バンドは過大評価されたり過小評価されたりする。おとぎ話の評価が過小かどうかは定かではないが、おとぎ話の持つ難解さと平易さが共にユニークなものであることをそれなりの数のコアを自認するロックファンが認知できていないのは間違いない。ここにはマーケティングの問題もあるかもしれないが、その点、希望もある。

    人にとってなにがわかりやすく何がわかりづらいかは、時代によって変わっていく。バンドの定性的な音楽の魅力をそのままにして。女心は秋の空というように、ロックファンの関心も秋の空だ。大したものじゃない。深みのあるポップバンドの最王手として、おとぎ話がコロッとトップに躍り出るなんてことは、それこそトランプの当選ほどには番狂わせではないだろう。
    『ロックンロールは秋の空』 を詳しく ≫
  • aikoはメロディとコードが面白い。
    それはよく言われていることだ。

    『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロディを成り立たせているのは自由なコード進行である。違和感と納得感の狭間にあるコード感。リスナーの耳を違和感で引っ掛けつつ、強引に納得感に持っていくコード進行。

    『カブトムシ』には驚いた。


    "生涯忘れることはないでしょう"


    ご存知、サビの最後のキメのフレーズだ。
    その頭のコードがAmになっている。曲のキーはD#だ。なんということだろう。曲の最大のピークになる決め所で、曲中最も違和感のあるコードを使っている。これはとても勇気のいることである。そこからAm→G#6→Gm7→F#6→Fm7と、ベースラインがきっかり半音刻みで下降する。
    わかりやすく半音下げてみる。キーはD。すると、G#m→G6→F#m7→F6→Em7だ。
    G#mはDに対するドミナントマイナー(5度)をさらに半音♭(フラット)している。これが和声学的にどう命名されているか調べたがわからなかった。ご存じの方がいれば教えて欲しい。明らかなのは、彼女はかなり尖った、コードの使い手だということだ。

    『恋をしたのは』は『カブトムシ』ほどではないが、やはり、きっかり半音刻みのルート下降が使われている。aikoはキーボードで作曲する。推測だが鍵盤でコードをつくっていくとこういうことが自然におこりやすいのだと思う。ギターではこうはならない。あるコードから連なる次のコードを選ぶとき、身体的に楽な形がギターと鍵盤では違っているからだ。半音の動きが効き、ストイックでジャジーなAメロが良い。AikoのAメロはこのパターンが多く、ためのあるギターのカッティングがさり気なく効果的に使われているところも好きなところだ。


    aikoの優れたコード感には、鍵盤というアーキテクチャや本人の音楽的素養がもちろん起因するが、注目したいのが歌詞先行で曲作りをするという点だ。歌詞が先に出来上がれば当然曲作りには制限が生まれる。その制限とaikoの強引かつ自在なコード感はとても相性が良いように感じる。譜割りの制限とそれを強引に完成に持っていくコードが相互作用をおこし、魅力的なメロディとなって産み落とされる。良いサイクルが無自覚に成立しているのだと思う。平板かつスモーキーで甘いボーカルも良い塩梅で曲の凹凸を均していることも指摘しておきたい。

    その意味では、aikoが歌詞を重視することがなにより作曲家としてのaikoを活かしていると言える。aikoのアイデンティティと言える「恋愛」というテーマも然りだ。穿った見方をすれば、aikoの恋が落ち着きを見せ、歌詞ではなく曲先行でイマジネーションが生まれるとき、そこにはひどく無難で冒険の無いメロディがある可能性だって無きにしもあらず。aikoにとって自身のプライベートの恋愛それ自体と、それを歌詞としてアウトプットすることが最大の関心事である限り、私たちは彼女のメロディを聴ける。aikoが生粋の恋愛体質であることは、aikoのメロディのクリエイティビティを高めるために備わった、まさに天賦の才能と言えるだろう。あえて、歌詞それ自体の分析は他に譲りたい。
    『恋愛体質は音楽の才能』 を詳しく ≫
  • Mr.Children、コブクロ。

    わかる。わかるよ、清水依与吏。
    back numberが先達から非常に強い影響を受けているのがわかる。
    いや、影響という言い方は間違っているかもしれない。
    それは、遺伝に近い。

    ハッピーエンドは、ドラマティックなバラードである。
    他のback numberのバラードと同じように。
    日本人好みのメロディライン、切ない恋心の歌詞。
    ストリングス but バンドサウンド。

    そして、PVの女の子。
    Jポップの発明、PVの女の子。
    back numberはPVにすごい勢いで女の子が出てくる。
    古くからJポップでは、ここぞという勝負曲のPVで女の子を出すのが通例だった。
    しかし、back numberはほぼすべての曲で女の子を出してくる。
    ここまでくると、確信犯なのだろう。
    バドル漫画の序盤なのにいきなり最強の技を繰り出してるけど、ここで白けちゃ負けだ!って読者が付いてくる。
    読者をそうさせる繊細な気概をちゃんと掴んでいるのだ。
    それを毎週の連載で繰り出している。
    神の一手も、何度も使ってしまえば、それはもうback numberの一手である。

    慎重に手を付けることで効果的であれた禁じ手を、back numberが無尽蔵に繰り出せるのはなにも偶然じゃない。他バンドでは、5年に一度の勝負曲を、back numberは3ヶ月に一度出しているだけである。

    では、なぜback numberはこう毎度毎度泣きどころで勝負できるのか。
    先輩のMr.Childrenを振り返ってみてほしい。彼らは、肩の力抜けた曲や、尖った曲で、ときどき足場整えているじゃないか。骨のある音楽家としての。


    思うに、back numberの強さは、足場を整えなくても全力を出せることになる。テイクバックが小さくても球速を出せる投手のようだ。それは現代の音楽業界が、自然発生的に生んだ最新型の作家性なのだと思う。


    大衆音楽の歴史とは、区別とカウンターの歴史である。
    ブルース、ロックンロール、フォーク、サイケデリック、ハードロック、ヒップホップ、パンク、ニューウェーブ、テクノ、オルタナティブ。
    ジャンルとは、一世代上のジャンルへの、反省をもとにしたカウンターで生まれる。
    そこには先行ジャンルへの、明確な区別がある。先行世代との区別が、ニュージェネレーションの足場になる。

    ロックンロールの誕生から半世紀以上経過して、この時代のback numberを聴いて思うのは、今のリアルな音楽には、区別もカウンターも存在していないということである。だからback numberは足場を整えながら音楽活動をする必要なんてなかった。

    それがback numberの無節操な良曲志向の源泉にある。


    おそらく、大衆音楽の歴史は長く豊かになりすぎたのだろう。
    新型への進化とは、旧型の埋葬である。
    旧型を埋葬するためには、旧型を区別する必要があった。

    そして、ある時から、私たちは旧型の埋葬を必要としなくなり、その進化の在り方を変えたのだと思う。
    『良曲志向と女の子と区別の埋葬』 を詳しく ≫
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  • RT @gotch_akg: 僕は今、もうひとつ社会人のバンドと一緒に録音をしてる。メンバーは同い年。休みがバラバラだから、ゆっくりとしたペースで。インディーズレーベルを主宰するのは学生からの夢のひとつだった。いつしか僕は働きながら音楽をする人たちの手助けをしたいと思った。まあ… by @ZeroBeat_BOT