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  • 恋をしたのは

    aiko

    aikoはメロディとコードが面白い。 それはよく言われていることだ。 『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロ

  • ロミオとシンデレラ 歌:小林幸子

    doriko feat.初音ミク

    熱い。 低音の艶、ビブラート、リズム感。これぞロックボーカリストの本懐。 思えば遠くへ来たもんだ。 dorikoも私も。そしてきっと小林幸子も。 dorikoは9年のキャリアを詰め込んだベスト盤をリリースした。 ボーカロイド創成期、私は大学生になった。 その頃よく聴いていたボカロPのひとりがdorikoであり、ニコニコ動画だけでなく、アルバム『unformed』を購入し

  • ニューロマンサー

    おやすみホログラム

    ウィリアム・ギブスン! 近代的なダンスビートと、キッチュなメロディラインは、そのタイトルに相応しいSF的高揚感に満ちている。 "ありふれた感情の墓場って 全くこんな感じだって" クールに怪しく激走するイントロからのハスキーな歌い出しがむちゃくちゃ格好良い。 ワンコーラス終わった後、自由に展開しはじめる主旋律も、曲の混沌を深め、いい具合にリスナーを迷わせる。 工場?を舞台に撮

  • 最高なしあわせ

    加藤ミリヤ

    サビの出だしが、「最高なしあわせ」ではじまる。その譜割りがとても良い。 「し」と「あ」が繋がって発音される様がとても洋楽的である。 奇抜一歩手前まで攻めるファッションからして、そんじゃそこらの可愛いだけの女とは違う、というパッションが伝わってくるだけあって、『最高のしあわせ』のようなバラードであっても、お茶の間のテレビには似合わさない大人っぽいアレンジである。 この世界には、加藤ミリ

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

  • すなっちゃん・なっぽー

    BELLRING少女ハート

    キャッチーで甘いメロディ。切ないディストーションギター。 それをところどころで、破壊する楽曲構成がすごい。 なんと途中で急にジャズになってしまう。 そのジャズは、取ってつけたような感があるんだけど、取ってつけたような感こそが面白く思えるのはなぜだろう。 結局どこがサビなのかわからなかった。 舌っ足らずなユニゾンが醸し出す素人感。 最後は咳き込んで終わる。 『すなっちゃん・なっぽー

  • STARTING NOW!

    水樹奈々

    アニソン界の覇権を握ったまま長いが、そのボーカルスタイルはアニメ声とは程遠い。当初から、声優ではなく本格的な歌手を志していた背景からして後続とは一線を画している。 『STARTING NOW!』はストイックでハードなロックサウンドがかっこいい。 水樹奈々の十八番といえるこのスタイル。無論、歌唱技術には余裕しか感じない。 ハードロック出自のヘヴィーな楽器隊とポップなボーカルの対比は、Jud

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  • 拝啓、オルタナティブ夏の夜。


    東京の冬は寒いです。
    2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。
    星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。


    あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通り過ぎるものを追いかけて一生を終えるのでしょう。
    大きくて長い自然のうねりや空を飛ぶ魚に目を留めたり、それに恐れおののいたり。そんなことができたのはインプットの少ない子どもだけの特権だったのでしょう。


    それでも考えてみたいです。
    あの頃に感じたあれは何だったのか。
    すっかり見かけることもなくなったいま、それはひっそりとどこかで冷凍保存されているものなのか。


    "街が寝息を立てるころに"

    "夜風にドキドキ高鳴る胸で"

    "どこかきっと違う世界に"


    違う世界の存在を信じていたあの頃こそが、いまの私にとっては違う世界のできごとの様です。
    街が寝息を立てるころは、明日に備えて、私も寝息を立てるようになりました。夜の畏れに怯え、夜風に胸を高鳴らせるようなことは、寒いこの冬ではなかなか困難です。未来はすべからく過去になります。その意味で私たちは、最良の過去を手に入れるために、未来に向かって歩いているのだとも言えます。


    硬質なギターの轟音が好きです。性急なリズムが好きです。澄んだ声が好きです。アメンボのように張り付いて飛び跳ねるピアノが好きです。流星のように身を削って流れる優しくないメロディが好きです。
    瞬間蒼い風が吹いて、あの頃というやつが私の身体に乗り移ります。古いSFアニメのようなノスタルジーが全身の血液を発火させます。後ろ向きな感傷だと思われるでしょうか。それはありがちな勘違いです。


    音楽が私たちの体感時間を拡張するとき、過去に伸びた射程と同じだけ、未来にも届いているのです。ブラックホールのそばに漸近するように、時間は引き伸ばされるのです。iPhoneの画面で、いまこの瞬間とだけ交信していた私の時間が、急に本来の姿を取り戻すのです。それはオルタナティブな体験です。音楽か、夏の夜くらいしか、その魔法は使えません。
    『拝啓、オルタナティブ夏の夜。』 を詳しく ≫
  • aikoはメロディとコードが面白い。
    それはよく言われていることだ。

    『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロディを成り立たせているのは自由なコード進行である。違和感と納得感の狭間にあるコード感。リスナーの耳を違和感で引っ掛けつつ、強引に納得感に持っていくコード進行。

    『カブトムシ』には驚いた。


    "生涯忘れることはないでしょう"


    ご存知、サビの最後のキメのフレーズだ。
    その頭のコードがAmになっている。曲のキーはD#だ。なんということだろう。曲の最大のピークになる決め所で、曲中最も違和感のあるコードを使っている。これはとても勇気のいることである。そこからAm→G#6→Gm7→F#6→Fm7と、ベースラインがきっかり半音刻みで下降する。
    わかりやすく半音下げてみる。キーはD。すると、G#m→G6→F#m7→F6→Em7だ。
    G#mはDに対するドミナントマイナー(5度)をさらに半音♭(フラット)している。これが和声学的にどう命名されているか調べたがわからなかった。ご存じの方がいれば教えて欲しい。明らかなのは、彼女はかなり尖った、コードの使い手だということだ。

    『恋をしたのは』は『カブトムシ』ほどではないが、やはり、きっかり半音刻みのルート下降が使われている。aikoはキーボードで作曲する。推測だが鍵盤でコードをつくっていくとこういうことが自然におこりやすいのだと思う。ギターではこうはならない。あるコードから連なる次のコードを選ぶとき、身体的に楽な形がギターと鍵盤では違っているからだ。半音の動きが効き、ストイックでジャジーなAメロが良い。AikoのAメロはこのパターンが多く、ためのあるギターのカッティングがさり気なく効果的に使われているところも好きなところだ。


    aikoの優れたコード感には、鍵盤というアーキテクチャや本人の音楽的素養がもちろん起因するが、注目したいのが歌詞先行で曲作りをするという点だ。歌詞が先に出来上がれば当然曲作りには制限が生まれる。その制限とaikoの強引かつ自在なコード感はとても相性が良いように感じる。譜割りの制限とそれを強引に完成に持っていくコードが相互作用をおこし、魅力的なメロディとなって産み落とされる。良いサイクルが無自覚に成立しているのだと思う。平板かつスモーキーで甘いボーカルも良い塩梅で曲の凹凸を均していることも指摘しておきたい。

    その意味では、aikoが歌詞を重視することがなにより作曲家としてのaikoを活かしていると言える。aikoのアイデンティティと言える「恋愛」というテーマも然りだ。穿った見方をすれば、aikoの恋が落ち着きを見せ、歌詞ではなく曲先行でイマジネーションが生まれるとき、そこにはひどく無難で冒険の無いメロディがある可能性だって無きにしもあらず。aikoにとって自身のプライベートの恋愛それ自体と、それを歌詞としてアウトプットすることが最大の関心事である限り、私たちは彼女のメロディを聴ける。aikoが生粋の恋愛体質であることは、aikoのメロディのクリエイティビティを高めるために備わった、まさに天賦の才能と言えるだろう。あえて、歌詞それ自体の分析は他に譲りたい。
    『恋愛体質は音楽の才能』 を詳しく ≫
  • 楽しいながらも落ち着きのある普通に良い曲。サビは「さぁいえんこぅ!」の語感一発で、こてこてになりがちなジャンルの中で逆に整然としたものを感じる。青文字系という文脈抜きにきゃりーぱみゅぱみゅは語れないが、この曲では"泣かない負けないうろたえない 宴会じみてる毎日に"という歌詞にその世界観がギュウギュウに詰まっている。

    ゴールを設定しそこに積み上げる毎日を丁寧に暮らすのではなく、宴会じみてる毎日こそが表舞台であるという矜持。泣いて笑ってうろたえて、その毎日をすごすこと。ソレ以外になにもないこと。ある種の女子の価値観を、その悲哀と喜びを、端的に表現した一文だと思う。

    原宿文化の求心力は、一時期ほどは最先端ではなくなっていて、その意味で文化の保存を担うことがまず彼女に求められることだと思う。最先端の若者でいるためには、なにも原宿でなくても良い。そんな時代だからこそ、原宿でいようとすることに意味はあるのではないか。
    『宴会じみてる毎日こそ』 を詳しく ≫
  • 圧倒的に聴きやすいのに圧倒的に独自性に満ちている。


    あなたが古き良き温かい時代に生まれずに、絶望ばかりのこんな時代に生きていることを恨んでいるのなら、

    あるいは、

    失われた青春時代の自分から、今の自分はどうしてここまでかけ離れてしまったのかと嘆いているのなら、


    あなたが聴くべき音楽は、
    あなたにとっての懐メロではなく、
    ラッキーオールドサンだ。


    ラッキーオールドサンを聴けば、
    この世のすべての過去は、
    いま目の前のこの現実こそが、
    セピア色で、
    温かく、
    愛おしさに溢れたレトロな世界へと、
    断続的に変わっていったものだったのだと、
    知ることができる。



    ある意味、このバンドは非常にテクニカルだと思っている。
    月島雫が大人になったような、唱歌のようなナナの歌声も、どこまでもクリーンにこだわり抜かれた篠原良彰の美学的なギターも、カーステレオ、木綿のハンカチーフ、十三回忌の母、といった言葉選びも、サングラス、ホテル・カリフォルニア、追憶のハイウェイ61、A LONG VACATION、カッタウェイの無いエレキギターといったMVの小道具も、ある雰囲気を表現するための意匠として申し分なさすぎて怖いくらいだ。ここまでアジャストされた意匠を取り揃えたセンスに、ラッキーオールドサンの、演出家としての、高等なテクニックを感じざるを得ない。


    ところで、ラッキーオールドサンは、優しいだけの音楽だろうか。癒されるだけの音楽だろうか。現状をただ肯定するだけの音楽だろうか。前向きに生活へと向き合うためのサプリメントのような音楽だろうか。私は、それは違うと思っている。

    ラッキーオールドサンは確かに、三丁目の夕日的な直線的な癒やしのノスタルジーとして消費されてしまう可能性を常にはらんでいる。また、批判的に捉えたい人は、そのように誤解すれば、たやすく批判できてしまう。その種のガードの弱さが、ラッキーオールドサンにはある。上述の無数のレガシーな意匠たちこそ、批判されるとき、槍玉に挙げられてしまうだろう。

    しかし、その意匠たちはあくまでテクニカルな産物である。私が思うに、ラッキーオールドサンの本質は別のところにある。彼らの本質は、ライブハウスではなく、カフェや飲食店と併設されたイベントスペースでのパフォーマンスを頻繁に行っているところに隠れている。

    どういうことか。
    次のことを再確認したい。
    ライブハウスは音楽が必要とされている空間ではないということだ。

    例えば、飲食店は音楽を必要とする。なぜなら私たちは気分良く食事をしたいし、店主は私たちが気分良く食事することを望んでいるからだ。バーは音楽を必要とする。私たちは気分良くお酒を楽しみたいし、マスターは私たちがバーでお酒を片手に最高のひとときを過ごすことを望んでいるからだ。大半の飲食店はBGMを流す。そして、特別な居心地を提供したい飲食店は、音楽家を招き、生演奏を披露する。

    立ち戻ろう。ライブハウスは、音楽が必要でないのに、わざわざ音楽を鳴らしにいく場所である。コンサートの日になると演奏家と聴衆が一斉にからっぽのライブハウスに集結する。そこに初めから音楽を待っている人はいない。


    結論に行こう。要するに、ラッキーオールドサンは、音楽が必要とされている場所に、音楽を届けることを生業としている。必要としていない人に自分の音楽をなんとか聴いてもらい、ライブハウスに来てもらうのではなく、必要としている人のもとにフワリと音楽を置きにいく。それは音楽の慣性に倣った音楽との関わり方である。
    二人は意識的に選んでいるわけではないかもしれない。しかし、この差異はとても重要なことだ。
    音楽の慣性に倣うことで自ずと、つくる曲も、演奏も変わってくる。ラッキーオールドサンのオーガニックな音楽性は、音楽の慣性への、身体的、精神的な適応がもたらしたものである。

    音楽の慣性との付き合い方については、また別の場所で掘り下げる価値があると思っている。ラッキーオールドサンの活動スタイルは、その際の問題提起として起票するに値する批評的なものだ。

    最後に、
    MVでスカイラインを運転している男性がいい味を出している。
    この曲をシングルカットするなら、CDジャケットはタバコに火をつける彼の横顔で決まりではないだろうか。
    『あなたにとっての懐メロではなく』 を詳しく ≫

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  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

  • さよならスカイライン

    ラッキーオールドサン

    圧倒的に聴きやすいのに圧倒的に独自性に満ちている。 あなたが古き良き温かい時代に生まれずに、絶望ばかりのこんな時代に生きていることを恨んでいるのなら、 あるいは、 失われた青春時代の自分から、今の自分はどうしてここまでかけ離れてしまったのかと嘆いているのなら、 あなたが聴くべき音楽は、 あなたにとっての懐メロではなく、 ラッキーオールドサンだ。 ラッキ

  • しゅっとこどっこい

    バンドじゃないもん!

    鈴木美早子は侮れない。 明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。 ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。 その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。 アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。 そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼

  • 夜空を全部

    sora tob sakana

    拝啓、オルタナティブ夏の夜。 東京の冬は寒いです。 2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。 星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。 あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通

  • 生きていたんだよな

    あいみょん

    あいみょんは、影のある少年のような声をしている。あいみょんの最大の個性は、ハイパフォーマンスなこの声にある。尖った強いエゴや、その奥で守られている心の震えを、言葉を乗せずとも伝えてしまう蒼い声だ。 アコースティックギターのストロークよりもスピーディーに畳み掛けるメロディは、声の次に独特だ。野狐禅の竹原ピストルに似ていると指摘されているが正しいと思う。フォークの流儀だ。声質も相まってすこぶる気

  • 恋をしたのは

    aiko

    aikoはメロディとコードが面白い。 それはよく言われていることだ。 『恋をしたのは』はコンセプチュアルなロングトーンや、イレギュラーな展開を取り入れた曲だ。一度きりの大サビのために、aikoは確信犯的に楽曲をセーブしている。遊んでいるなあと思う。曲で。とても実験的な曲だが、それをポップスとして組み立てる接着剤になっているのは、変幻自在なコード感とそれに溶け込んだメロディだ。aikoのメロ

  • ロミオとシンデレラ 歌:小林幸子

    doriko feat.初音ミク

    熱い。 低音の艶、ビブラート、リズム感。これぞロックボーカリストの本懐。 思えば遠くへ来たもんだ。 dorikoも私も。そしてきっと小林幸子も。 dorikoは9年のキャリアを詰め込んだベスト盤をリリースした。 ボーカロイド創成期、私は大学生になった。 その頃よく聴いていたボカロPのひとりがdorikoであり、ニコニコ動画だけでなく、アルバム『unformed』を購入し

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  • ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。

    トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェクト。このパートはサビではないのに、サビのように聴かせる。とにかく曲のセンスが良いという印象。

    その後のAメロも良い。ラウドな開放感ですべるように展開していくと思いきや、歪んだキックとボーカルで無防備になって良質なブレーキ。そして、間髪いれずにブリッジミュートを効かせて冒頭と同じメロディへ。

    フェス受けしそうなハッピーなパーティー感もちゃんとある一方で、最後の最後ではじけきらないコシの太さが楽曲にある。アナログで渋い。歌ものになりきらないのにポップ。今時のバンドに珍しいバランスの良さがある。


    その秘密のひとつはどうやら作曲手法にあるようだ。彼らは、メロディでも歌詞でもなく、オケからつくることが多いそうだ。シンセとバンドががっつり絡む音楽性を持つバンドは、結局のところサビでブチ上げてシンガロングを叩き出すことを楽曲制作の目標にしている場合が多いようにみえる。

    その点、トライアンパサンディは違う。以前、G-YUNcoSANDYはインタビューで明確に次のように言っている。


    「ただ、“踊れる、のれる、あがる音楽!”というだけの音楽にはなりたくなかった」


    彼らの音楽があがりきらないのは確信犯である。
    踊って、のって、あがるだけではない何か。
    それを掴むために、シンガロングを目論んだメロディをでっち上げるより先に、オケをつくる必要があった。私はそう結論づけたい。展開と構成とコード(ハーモニー)とリズム、これらの妙が音楽の豊かさであり、それを駆使してトライアンパサンディはその曲で表現したいものを形にする。

    オケ先行ゆえに、歌メロは後手に回り、制約される。そのために、逆説的に他バンドと一線を画すオルタナティヴなメロディを産んでいることも見落とせない。


    もうひとつ、彼らのハイセンスを裏付けるのは、G-YUNcoSANDYがそもそもスカパンク畑の人間だったことだ。トライアンパサンディでは、表面こそエレクトロになったが、良い意味で軽さのあるパンキッシュなアレンジの遺伝子が引き継がれている。
    女性ボーカルのロックバンドには、下手にメタル風な重いギターをフィーチャーしたリフやソロで背伸びしているものが多々ある。彼女たちは、格好良さ、というベクトルへの拘りがあるのだ。気持ちはわかる。でもラウドであることは格好良いことではないのだ。
    トライアンパサンディにはそういった気負いがない。G-YUNcoSANDYがパンクを知っているからだ。


    サビでメロディはひとときの開放感につつまれるが、「宣戦布告しなきゃね」でキリッとそれを畳む。何メロなのかラップなのか良くわからないパートを挟み、再びサビではないサビへ。


    "カガミヨカガミさあ答えてめくるめく未来をおしえて
    カガミヨカガミさあ答えてめくらます世界で"


    このリフレインがなんとも使い勝手の良いフックになり、自由な曲展開を生み出している。その後も最後まで、読めない展開がいとも自然に展開する。

    個人的には作曲面でのブレーンがいるのかどうか気になるところ。もしいるのだとしたらその人のルーツはいかなるものなのだろうか。また、元ベーシストがバンドのアレンジャーに転身したというのも面白い。良いタイアップがつけばひとっ飛びでトップシーンで見かけるようになりそうだが、果たしていかがなものか。
    『歌ものになりきらないのにポップ』 を詳しく ≫
  • 圧倒的に聴きやすいのに圧倒的に独自性に満ちている。


    あなたが古き良き温かい時代に生まれずに、絶望ばかりのこんな時代に生きていることを恨んでいるのなら、

    あるいは、

    失われた青春時代の自分から、今の自分はどうしてここまでかけ離れてしまったのかと嘆いているのなら、


    あなたが聴くべき音楽は、
    あなたにとっての懐メロではなく、
    ラッキーオールドサンだ。


    ラッキーオールドサンを聴けば、
    この世のすべての過去は、
    いま目の前のこの現実こそが、
    セピア色で、
    温かく、
    愛おしさに溢れたレトロな世界へと、
    断続的に変わっていったものだったのだと、
    知ることができる。



    ある意味、このバンドは非常にテクニカルだと思っている。
    月島雫が大人になったような、唱歌のようなナナの歌声も、どこまでもクリーンにこだわり抜かれた篠原良彰の美学的なギターも、カーステレオ、木綿のハンカチーフ、十三回忌の母、といった言葉選びも、サングラス、ホテル・カリフォルニア、追憶のハイウェイ61、A LONG VACATION、カッタウェイの無いエレキギターといったMVの小道具も、ある雰囲気を表現するための意匠として申し分なさすぎて怖いくらいだ。ここまでアジャストされた意匠を取り揃えたセンスに、ラッキーオールドサンの、演出家としての、高等なテクニックを感じざるを得ない。


    ところで、ラッキーオールドサンは、優しいだけの音楽だろうか。癒されるだけの音楽だろうか。現状をただ肯定するだけの音楽だろうか。前向きに生活へと向き合うためのサプリメントのような音楽だろうか。私は、それは違うと思っている。

    ラッキーオールドサンは確かに、三丁目の夕日的な直線的な癒やしのノスタルジーとして消費されてしまう可能性を常にはらんでいる。また、批判的に捉えたい人は、そのように誤解すれば、たやすく批判できてしまう。その種のガードの弱さが、ラッキーオールドサンにはある。上述の無数のレガシーな意匠たちこそ、批判されるとき、槍玉に挙げられてしまうだろう。

    しかし、その意匠たちはあくまでテクニカルな産物である。私が思うに、ラッキーオールドサンの本質は別のところにある。彼らの本質は、ライブハウスではなく、カフェや飲食店と併設されたイベントスペースでのパフォーマンスを頻繁に行っているところに隠れている。

    どういうことか。
    次のことを再確認したい。
    ライブハウスは音楽が必要とされている空間ではないということだ。

    例えば、飲食店は音楽を必要とする。なぜなら私たちは気分良く食事をしたいし、店主は私たちが気分良く食事することを望んでいるからだ。バーは音楽を必要とする。私たちは気分良くお酒を楽しみたいし、マスターは私たちがバーでお酒を片手に最高のひとときを過ごすことを望んでいるからだ。大半の飲食店はBGMを流す。そして、特別な居心地を提供したい飲食店は、音楽家を招き、生演奏を披露する。

    立ち戻ろう。ライブハウスは、音楽が必要でないのに、わざわざ音楽を鳴らしにいく場所である。コンサートの日になると演奏家と聴衆が一斉にからっぽのライブハウスに集結する。そこに初めから音楽を待っている人はいない。


    結論に行こう。要するに、ラッキーオールドサンは、音楽が必要とされている場所に、音楽を届けることを生業としている。必要としていない人に自分の音楽をなんとか聴いてもらい、ライブハウスに来てもらうのではなく、必要としている人のもとにフワリと音楽を置きにいく。それは音楽の慣性に倣った音楽との関わり方である。
    二人は意識的に選んでいるわけではないかもしれない。しかし、この差異はとても重要なことだ。
    音楽の慣性に倣うことで自ずと、つくる曲も、演奏も変わってくる。ラッキーオールドサンのオーガニックな音楽性は、音楽の慣性への、身体的、精神的な適応がもたらしたものである。

    音楽の慣性との付き合い方については、また別の場所で掘り下げる価値があると思っている。ラッキーオールドサンの活動スタイルは、その際の問題提起として起票するに値する批評的なものだ。

    最後に、
    MVでスカイラインを運転している男性がいい味を出している。
    この曲をシングルカットするなら、CDジャケットはタバコに火をつける彼の横顔で決まりではないだろうか。
    『あなたにとっての懐メロではなく』 を詳しく ≫
  • 鈴木美早子は侮れない。
    明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。
    ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。

    その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。
    アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。

    そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼女のことがわからなくなった。出来過ぎのような紅一点の適正は、天性のものではなく、コントロールする余地のあるものだったのか。ひとまず結論付けた、私にとってのみさこのキャラクターは、まだまだ洞察の足りないものだった。

    鈴姫みさこは侮れない。
    バンドじゃないもん!は、ひょっとしたら、ゲスの極み乙女よりもよっぽどゲスなサブプロジェクトかもしれない、と今になって思っている。もちろんこれは褒め言葉だ。


    『しゅっとこどっこい』を聴いた印象をひとことで言うと、全盛期のモーニング娘。だった。
    共通して描かれているのは、ハチャメチャ感だ。ハチャメチャ感は、スムーズさを意図的に無視した落差のある曲展開や、過剰なセリフ、合いの手、シュールな単語のリフレインなどにある。ハチャメチャ感を演出する理由は、ひとえにハッピーなテンションそのものが曲のメッセージであるからだ。

    モーニング娘。は二十世紀から二十一世紀への結節点での、トップアイドルだった。
    『恋愛レボリューション21』にハチャメチャ感は顕著である。不景気と言われながら日本中がそれを楽観視していた時代の空気を忠実に掬い上げている。ハッピーなテンションが最大級であることを表現するためにつんく♂は、歌詞でハジけるだけでなく、サウンドと歌唱を過剰に、ハチャメチャにした。それはまさに時代との真っ向勝負であり、結果としてつんく♂はアイドル天下統一時代を築き上げた。

    他方、いまはアイドル戦国時代と言われ、アイドルたちの楽曲も多様化を極めている。そんな中、『しゅっとこどっこい』に代表されるバンもん!のハチャメチャ感に、私はオールディーズへの憧憬にも似た懐かしさを感じた。唐突に挿入されるラップ、曲名を連呼するだけのリフ、ランドセルのようにツルピカなディストーションギター、PVの最後にお決まりのように挿入されるディレクターの「カット!」という声などに、久しく見なかったセンスを感じた。21世紀が真新しかった頃のそれだ。

    そのような作風になった要因として挙げられるのが、みさこやメンバー、作曲者であるゆよゆっぺが、モーニング娘。の時代に育った世代であること、そしてバンドじゃないもん!がベタなアイドルではなく、アイドルそのものへのパロディ的メタ視点を抱えたアーティストであるということである。

    例えば、バンもん公式のメンバープロフィールは過剰なアイドルっぽさで溢れている。
    みさこの公式な年齢は「精神年齢13歳」であり、血液型は「黒足アヒル型」。望月みゆの年齢は「1こした」、大桃子サンライズの出身地は「プレアデス星団」だ。

    モーニング娘。の全盛期と同時代、小倉優子というアイドルが、こりん星からきたというキャラ設定で活躍していた。それがユーモアであると受け入れられつつも、ときに本人が窮屈さを感じているように見えたのとは対象的な軽やかさと余裕がバンもんにはある。バンもんにとってアイドルは、自分自身であると同時にパロディの対象でもあるからだ。

    そう考えるとやはり、鈴木美早子は侮れない。
    媚びないのか媚びるのか分からないし、隙があるのかないのかも分からない、壁がないのかあるのかもわからない。ただ明るく愛嬌があることは確かである。ひょっとしたらそれこそが音楽で人を楽しませるための決定的な才能なのだろうか。
    彼女が、天才的な紅一点という私の断定に収まらずにいてしまったことが恐ろしく、悔しく、しかしそれは必然だったのだろう。考えてみれば鈴木美早子その人自身がミクストメディアを地で行っていたのである。
    『鈴姫みさこは侮れない。』 を詳しく ≫
  • 拝啓、オルタナティブ夏の夜。


    東京の冬は寒いです。
    2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。
    星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。


    あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通り過ぎるものを追いかけて一生を終えるのでしょう。
    大きくて長い自然のうねりや空を飛ぶ魚に目を留めたり、それに恐れおののいたり。そんなことができたのはインプットの少ない子どもだけの特権だったのでしょう。


    それでも考えてみたいです。
    あの頃に感じたあれは何だったのか。
    すっかり見かけることもなくなったいま、それはひっそりとどこかで冷凍保存されているものなのか。


    "街が寝息を立てるころに"

    "夜風にドキドキ高鳴る胸で"

    "どこかきっと違う世界に"


    違う世界の存在を信じていたあの頃こそが、いまの私にとっては違う世界のできごとの様です。
    街が寝息を立てるころは、明日に備えて、私も寝息を立てるようになりました。夜の畏れに怯え、夜風に胸を高鳴らせるようなことは、寒いこの冬ではなかなか困難です。未来はすべからく過去になります。その意味で私たちは、最良の過去を手に入れるために、未来に向かって歩いているのだとも言えます。


    硬質なギターの轟音が好きです。性急なリズムが好きです。澄んだ声が好きです。アメンボのように張り付いて飛び跳ねるピアノが好きです。流星のように身を削って流れる優しくないメロディが好きです。
    瞬間蒼い風が吹いて、あの頃というやつが私の身体に乗り移ります。古いSFアニメのようなノスタルジーが全身の血液を発火させます。後ろ向きな感傷だと思われるでしょうか。それはありがちな勘違いです。


    音楽が私たちの体感時間を拡張するとき、過去に伸びた射程と同じだけ、未来にも届いているのです。ブラックホールのそばに漸近するように、時間は引き伸ばされるのです。iPhoneの画面で、いまこの瞬間とだけ交信していた私の時間が、急に本来の姿を取り戻すのです。それはオルタナティブな体験です。音楽か、夏の夜くらいしか、その魔法は使えません。
    『拝啓、オルタナティブ夏の夜。』 を詳しく ≫
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  • RT @ryotamoriyama: 段取りから目を背けるってことは、目標から目を背けるってことだぜBOY的な話をした夜でした。 by @ZeroBeat_BOT

  • RT @kanaboonmaguro: バンプのツアー初日、グッときた〜〜! こんな良いライブ見せられたらたまらんぜ!俺達も最高のツアーにしようぜ!と無言の車内でメンバーにテレパシーを送っています。 by @ZeroBeat_BOT