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拝啓、オルタナティブ夏の夜。 東京の冬は寒いです。 2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。 星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。 あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通
鈴木美早子は侮れない。 明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。 ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。 その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。 アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。 そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼
キャッチーで甘いメロディ。切ないディストーションギター。 それをところどころで、破壊する楽曲構成がすごい。 なんと途中で急にジャズになってしまう。 そのジャズは、取ってつけたような感があるんだけど、取ってつけたような感こそが面白く思えるのはなぜだろう。 結局どこがサビなのかわからなかった。 舌っ足らずなユニゾンが醸し出す素人感。 最後は咳き込んで終わる。 『すなっちゃん・なっぽー
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- キャッチーで甘いメロディ。切ないディストーションギター。『ジャズとアイドルは取ってつけろ』 を詳しく ≫
それをところどころで、破壊する楽曲構成がすごい。
なんと途中で急にジャズになってしまう。
そのジャズは、取ってつけたような感があるんだけど、取ってつけたような感こそが面白く思えるのはなぜだろう。
結局どこがサビなのかわからなかった。
舌っ足らずなユニゾンが醸し出す素人感。
最後は咳き込んで終わる。
『すなっちゃん・なっぽー』。Snatch an Apple。ペンパイナッポーアッポーペンを先取りしたようなタイトルだ。
結論としては、耳に残る良い曲だ。なぜ良いのかは分からない。
MVも尖っている。
富士山?をバックにした広大な空き地に、ひぐらしの鳴き声がサンプリングされている。
曲のイメージと見事にフィットしていない。
とりあえず楽器を弾いてアーティストぶるアイドルへの皮肉ともとれる、これ見よがしなあてふりバンド演奏。
ギャグではなくシュール。
アイドルにありがちなほっこりした笑いに背を向ける。
残念なことにBELLRING少女ハートは今年いっぱいで活動を休止する。
朝倉みずほは卒業、柳沢あやのは卒業し、ソロ活動に移行するのだ。
朝倉みずほがブログで次のように言っていた。
"私はね、ベルハーは
衣装と曲があればベルハーだど思ってます"
アイドル当の本人としては、ひどく冷静な認識だ。
これはある意味で正しいが、ある意味で間違っている。
先述したようにBELLRING少女ハートの初見でまず印象づけられるのが、一筋縄ではいかない魅力を持つ楽曲だ。
そして、「漆黒のセーラー服と異形の羽」という統一感のある衣装。
着ている人間が変わってもグループが変わらないのは、過去のたくさんのメンバー離脱が物語っている。
運営の田中紘治はすでに新メンバーの採用に動いているらしい。
しかし、朝倉みずほには朝倉みずほの物語がある。
"私はね、ベルハーは
衣装と曲があればベルハーだど思ってます"
こんな認識をさらっと持ててしまうメンバーを抱えていることはBELLRING少女ハートのアイデンティティだ。
そういう意味で、衣装と曲のみならず、朝倉みずほはベルハーの強力な武器だった。
『すなっちゃん・なっぽー』は実は歌詞も良い。
"瞳に泳ぐ ふらちな季節
くたびれた その横顔が
ずるく Snatch an Apple
奪い去るように手をつないでくれた
放課後を追われるように
胸騒ぎ 季節はずれの林檎ひとかじり"
ふらちな季節は胸騒ぎではじまる。
しかし、ドタバタと曲が展開した後の、静かなエンディングは次のように迎える。
"奪い去るようにつないでくれた手で
成熟へ追われたんだ
明け方に 涙の味で林檎ひとかじり
瞳に泳ぐ つめたい空"
フリーダムな曲とシュールなMVで、堅牢に、歌詞の感傷は隠されている。
成熟へ終われ、明け方に、涙、つめたい空。
歌い出しとのコントラストを意識すれば、作詞家、空五倍子のセンスにも気づける。
ちなみに空五倍子は田中紘治の別名らしい。紛らわしいな。 - 田口淳之介は精悍になった。『KAT-TUNアフターストーリー』 を詳しく ≫
KAT-TUN全盛期の頃は、ワイルドなグループにおいて、ブラウンのロングヘアーがナチュラルにカールしている、甘い微笑みの優男という印象だった。
『Connect』のMVでダンスする田口淳之介と、公式ホームページのビジュアルイメージは統一されていて、ともにこれ以上さっぱりしようがないくらいにさっぱりした男になっている。
無駄なものが削ぎ落とされたかっこよさ。それはとてもシンプルでサラッとしたものであるはずなのに、ジャニーズという枠で考えると逆にユニークだと感じてしまうのが不思議だ。
KAT-TUNはアンチ・ジャニーズのグループだ。6人中3人がグループを脱退し、事務所を退社していることからそれは明らかである。事務所がそれを失敗と捉えているか、逆に戦略的に有効だと捉えているかはわからない。いずれにせよ、そこにアンチ・ジャニーズというひとつの価値観が存在していることは確からしい。
さて、脱退した赤西仁と田中聖を見てみよう。二人に共通しているのはその反骨精神以外にもう一つある。それは海外志向だ。
赤西は、KAT-TUN在籍時から語学留学を試みており、それは全米デビュー、全米主要都市ツアーとして結実している。
田中は、INKTを結成した。英語詞や英語タイトルが積極的に使われており、活動初期はブラジルでのフェスに大々的に出演している。サウンドからも感じ取れるが、海外展開に成功しているONE OK ROCKの立ち位置をひとつのランドマークとしていると読んで、間違ってはいないだろう。
それでは田口淳之介に海外志向はあるのだろうか。海外デビューの予定はリリースされていないが、実は公式ホームページのプロフィールにはすでに英訳が併記されている。そして『Connect』のスローでエレクトロで隙間を意識した、コンテンポラリーなダンスサウンドを聴いてみれば、海外のトレンドを強く意識していることは一目瞭然だ。音だけを聴く限り、新しいキャリアを築いた三名の中で、Jポップリスナーへの配慮が最も足りていないのが、実は田口淳之介である。もちろんこれは良い意味で、だ。
赤西の『TEST DRIVE featuring JASON DERULO』では、キャッチーなメロディと共に、日本人に向けた海外のかっこよさが存分に描かれていた。MVの最後のシーンが象徴的だ。赤西は左ハンドルのオープンカーに乗り、アメリカのハイウェイを大都市に向かってドライブする。アメリカに進出した赤西仁のカッコよさ。日本人の私たちがそれを意識せざるを得ないように、『TEST DRIVE』のMVは制作されているのだ。
他方、田口淳之介『Connect』のMVは、スケボー仲間とのコミュニティというモチーフが、ビルの屋上や街中の公園と共に全面に押し出されている。ローカルを大切にするというそのスタンスは、逆説的に、アメリカのストリートの音楽により近接できている。赤西と田口にはこのような興味深い対称性があったようだ。
その対称性の考察は今後の課題ということにしよう。
ひとまずは、アンチ・ジャニーズ三人衆の共通項は海外志向である、と結論付けることができる。
そこからさらに見方を反転させ、日本に残された側のことを考えてみたい。
国内志向文化としてのジャニーズ、という発想だ。
国内志向と海外志向、言い換えれば、日本が一番と思う人と日本は遅れていると思う人。昨今、両者の溝はより深くなり、両者の主張はより先鋭化されている気がする。その水面下での分裂の非常に象徴的な表面化として、新世代のアイドルを代表し日本の芸能シーンを支えていくはずだったKAT-TUNの分裂劇を捉えると、一連の事象は一段と興味深い。少女漫画の王子様のようだった田口が徐々にシンプルに洗練されていった事実すらも、見落としてはいけない気がしてくる。
以上を踏まえて、今後のKAT-TUN、赤西、田中、田口の動向は注目に値する。
だれがどこで成功するのか。溝は深まるのか。あるいは、もしかしたら、再結成はあるのか。
どのような結果になろうと、KAT-TUNはそのときまた、未来の日本人の生き方を反映してくれるかもしれない。 - 拝啓、オルタナティブ夏の夜。『拝啓、オルタナティブ夏の夜。』 を詳しく ≫
東京の冬は寒いです。
2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。
星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。
あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通り過ぎるものを追いかけて一生を終えるのでしょう。
大きくて長い自然のうねりや空を飛ぶ魚に目を留めたり、それに恐れおののいたり。そんなことができたのはインプットの少ない子どもだけの特権だったのでしょう。
それでも考えてみたいです。
あの頃に感じたあれは何だったのか。
すっかり見かけることもなくなったいま、それはひっそりとどこかで冷凍保存されているものなのか。
"街が寝息を立てるころに"
"夜風にドキドキ高鳴る胸で"
"どこかきっと違う世界に"
違う世界の存在を信じていたあの頃こそが、いまの私にとっては違う世界のできごとの様です。
街が寝息を立てるころは、明日に備えて、私も寝息を立てるようになりました。夜の畏れに怯え、夜風に胸を高鳴らせるようなことは、寒いこの冬ではなかなか困難です。未来はすべからく過去になります。その意味で私たちは、最良の過去を手に入れるために、未来に向かって歩いているのだとも言えます。
硬質なギターの轟音が好きです。性急なリズムが好きです。澄んだ声が好きです。アメンボのように張り付いて飛び跳ねるピアノが好きです。流星のように身を削って流れる優しくないメロディが好きです。
瞬間蒼い風が吹いて、あの頃というやつが私の身体に乗り移ります。古いSFアニメのようなノスタルジーが全身の血液を発火させます。後ろ向きな感傷だと思われるでしょうか。それはありがちな勘違いです。
音楽が私たちの体感時間を拡張するとき、過去に伸びた射程と同じだけ、未来にも届いているのです。ブラックホールのそばに漸近するように、時間は引き伸ばされるのです。iPhoneの画面で、いまこの瞬間とだけ交信していた私の時間が、急に本来の姿を取り戻すのです。それはオルタナティブな体験です。音楽か、夏の夜くらいしか、その魔法は使えません。 - 鈴木美早子は侮れない。『鈴姫みさこは侮れない。』 を詳しく ≫
明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。
ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。
その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。
アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。
そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼女のことがわからなくなった。出来過ぎのような紅一点の適正は、天性のものではなく、コントロールする余地のあるものだったのか。ひとまず結論付けた、私にとってのみさこのキャラクターは、まだまだ洞察の足りないものだった。
鈴姫みさこは侮れない。
バンドじゃないもん!は、ひょっとしたら、ゲスの極み乙女よりもよっぽどゲスなサブプロジェクトかもしれない、と今になって思っている。もちろんこれは褒め言葉だ。
『しゅっとこどっこい』を聴いた印象をひとことで言うと、全盛期のモーニング娘。だった。
共通して描かれているのは、ハチャメチャ感だ。ハチャメチャ感は、スムーズさを意図的に無視した落差のある曲展開や、過剰なセリフ、合いの手、シュールな単語のリフレインなどにある。ハチャメチャ感を演出する理由は、ひとえにハッピーなテンションそのものが曲のメッセージであるからだ。
モーニング娘。は二十世紀から二十一世紀への結節点での、トップアイドルだった。
『恋愛レボリューション21』にハチャメチャ感は顕著である。不景気と言われながら日本中がそれを楽観視していた時代の空気を忠実に掬い上げている。ハッピーなテンションが最大級であることを表現するためにつんく♂は、歌詞でハジけるだけでなく、サウンドと歌唱を過剰に、ハチャメチャにした。それはまさに時代との真っ向勝負であり、結果としてつんく♂はアイドル天下統一時代を築き上げた。
他方、いまはアイドル戦国時代と言われ、アイドルたちの楽曲も多様化を極めている。そんな中、『しゅっとこどっこい』に代表されるバンもん!のハチャメチャ感に、私はオールディーズへの憧憬にも似た懐かしさを感じた。唐突に挿入されるラップ、曲名を連呼するだけのリフ、ランドセルのようにツルピカなディストーションギター、PVの最後にお決まりのように挿入されるディレクターの「カット!」という声などに、久しく見なかったセンスを感じた。21世紀が真新しかった頃のそれだ。
そのような作風になった要因として挙げられるのが、みさこやメンバー、作曲者であるゆよゆっぺが、モーニング娘。の時代に育った世代であること、そしてバンドじゃないもん!がベタなアイドルではなく、アイドルそのものへのパロディ的メタ視点を抱えたアーティストであるということである。
例えば、バンもん公式のメンバープロフィールは過剰なアイドルっぽさで溢れている。
みさこの公式な年齢は「精神年齢13歳」であり、血液型は「黒足アヒル型」。望月みゆの年齢は「1こした」、大桃子サンライズの出身地は「プレアデス星団」だ。
モーニング娘。の全盛期と同時代、小倉優子というアイドルが、こりん星からきたというキャラ設定で活躍していた。それがユーモアであると受け入れられつつも、ときに本人が窮屈さを感じているように見えたのとは対象的な軽やかさと余裕がバンもんにはある。バンもんにとってアイドルは、自分自身であると同時にパロディの対象でもあるからだ。
そう考えるとやはり、鈴木美早子は侮れない。
媚びないのか媚びるのか分からないし、隙があるのかないのかも分からない、壁がないのかあるのかもわからない。ただ明るく愛嬌があることは確かである。ひょっとしたらそれこそが音楽で人を楽しませるための決定的な才能なのだろうか。
彼女が、天才的な紅一点という私の断定に収まらずにいてしまったことが恐ろしく、悔しく、しかしそれは必然だったのだろう。考えてみれば鈴木美早子その人自身がミクストメディアを地で行っていたのである。
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鈴木美早子は侮れない。 明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。 ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。 その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。 アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。 そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼
拝啓、オルタナティブ夏の夜。 東京の冬は寒いです。 2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。 星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。 あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通
キャッチーで甘いメロディ。切ないディストーションギター。 それをところどころで、破壊する楽曲構成がすごい。 なんと途中で急にジャズになってしまう。 そのジャズは、取ってつけたような感があるんだけど、取ってつけたような感こそが面白く思えるのはなぜだろう。 結局どこがサビなのかわからなかった。 舌っ足らずなユニゾンが醸し出す素人感。 最後は咳き込んで終わる。 『すなっちゃん・なっぽー
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- 田口淳之介は精悍になった。『KAT-TUNアフターストーリー』 を詳しく ≫
KAT-TUN全盛期の頃は、ワイルドなグループにおいて、ブラウンのロングヘアーがナチュラルにカールしている、甘い微笑みの優男という印象だった。
『Connect』のMVでダンスする田口淳之介と、公式ホームページのビジュアルイメージは統一されていて、ともにこれ以上さっぱりしようがないくらいにさっぱりした男になっている。
無駄なものが削ぎ落とされたかっこよさ。それはとてもシンプルでサラッとしたものであるはずなのに、ジャニーズという枠で考えると逆にユニークだと感じてしまうのが不思議だ。
KAT-TUNはアンチ・ジャニーズのグループだ。6人中3人がグループを脱退し、事務所を退社していることからそれは明らかである。事務所がそれを失敗と捉えているか、逆に戦略的に有効だと捉えているかはわからない。いずれにせよ、そこにアンチ・ジャニーズというひとつの価値観が存在していることは確からしい。
さて、脱退した赤西仁と田中聖を見てみよう。二人に共通しているのはその反骨精神以外にもう一つある。それは海外志向だ。
赤西は、KAT-TUN在籍時から語学留学を試みており、それは全米デビュー、全米主要都市ツアーとして結実している。
田中は、INKTを結成した。英語詞や英語タイトルが積極的に使われており、活動初期はブラジルでのフェスに大々的に出演している。サウンドからも感じ取れるが、海外展開に成功しているONE OK ROCKの立ち位置をひとつのランドマークとしていると読んで、間違ってはいないだろう。
それでは田口淳之介に海外志向はあるのだろうか。海外デビューの予定はリリースされていないが、実は公式ホームページのプロフィールにはすでに英訳が併記されている。そして『Connect』のスローでエレクトロで隙間を意識した、コンテンポラリーなダンスサウンドを聴いてみれば、海外のトレンドを強く意識していることは一目瞭然だ。音だけを聴く限り、新しいキャリアを築いた三名の中で、Jポップリスナーへの配慮が最も足りていないのが、実は田口淳之介である。もちろんこれは良い意味で、だ。
赤西の『TEST DRIVE featuring JASON DERULO』では、キャッチーなメロディと共に、日本人に向けた海外のかっこよさが存分に描かれていた。MVの最後のシーンが象徴的だ。赤西は左ハンドルのオープンカーに乗り、アメリカのハイウェイを大都市に向かってドライブする。アメリカに進出した赤西仁のカッコよさ。日本人の私たちがそれを意識せざるを得ないように、『TEST DRIVE』のMVは制作されているのだ。
他方、田口淳之介『Connect』のMVは、スケボー仲間とのコミュニティというモチーフが、ビルの屋上や街中の公園と共に全面に押し出されている。ローカルを大切にするというそのスタンスは、逆説的に、アメリカのストリートの音楽により近接できている。赤西と田口にはこのような興味深い対称性があったようだ。
その対称性の考察は今後の課題ということにしよう。
ひとまずは、アンチ・ジャニーズ三人衆の共通項は海外志向である、と結論付けることができる。
そこからさらに見方を反転させ、日本に残された側のことを考えてみたい。
国内志向文化としてのジャニーズ、という発想だ。
国内志向と海外志向、言い換えれば、日本が一番と思う人と日本は遅れていると思う人。昨今、両者の溝はより深くなり、両者の主張はより先鋭化されている気がする。その水面下での分裂の非常に象徴的な表面化として、新世代のアイドルを代表し日本の芸能シーンを支えていくはずだったKAT-TUNの分裂劇を捉えると、一連の事象は一段と興味深い。少女漫画の王子様のようだった田口が徐々にシンプルに洗練されていった事実すらも、見落としてはいけない気がしてくる。
以上を踏まえて、今後のKAT-TUN、赤西、田中、田口の動向は注目に値する。
だれがどこで成功するのか。溝は深まるのか。あるいは、もしかしたら、再結成はあるのか。
どのような結果になろうと、KAT-TUNはそのときまた、未来の日本人の生き方を反映してくれるかもしれない。 - 鈴木美早子は侮れない。『鈴姫みさこは侮れない。』 を詳しく ≫
明るく愛嬌があって、媚びないけど隙があって壁がない。
ロックバンドの紅一点として、バンドを壊さないままメンバーをモチベートし躍進させるために生まれてきたかのような女性だと思う。
その意味ではみさこは本質的にアイドルではないかもしれない。
アイドルは一般的に、媚びるけど、隙がなくて、壁があるからだ。
そのみさこがバンドじゃないもん!をはじめたとき、私はまた彼女のことがわからなくなった。出来過ぎのような紅一点の適正は、天性のものではなく、コントロールする余地のあるものだったのか。ひとまず結論付けた、私にとってのみさこのキャラクターは、まだまだ洞察の足りないものだった。
鈴姫みさこは侮れない。
バンドじゃないもん!は、ひょっとしたら、ゲスの極み乙女よりもよっぽどゲスなサブプロジェクトかもしれない、と今になって思っている。もちろんこれは褒め言葉だ。
『しゅっとこどっこい』を聴いた印象をひとことで言うと、全盛期のモーニング娘。だった。
共通して描かれているのは、ハチャメチャ感だ。ハチャメチャ感は、スムーズさを意図的に無視した落差のある曲展開や、過剰なセリフ、合いの手、シュールな単語のリフレインなどにある。ハチャメチャ感を演出する理由は、ひとえにハッピーなテンションそのものが曲のメッセージであるからだ。
モーニング娘。は二十世紀から二十一世紀への結節点での、トップアイドルだった。
『恋愛レボリューション21』にハチャメチャ感は顕著である。不景気と言われながら日本中がそれを楽観視していた時代の空気を忠実に掬い上げている。ハッピーなテンションが最大級であることを表現するためにつんく♂は、歌詞でハジけるだけでなく、サウンドと歌唱を過剰に、ハチャメチャにした。それはまさに時代との真っ向勝負であり、結果としてつんく♂はアイドル天下統一時代を築き上げた。
他方、いまはアイドル戦国時代と言われ、アイドルたちの楽曲も多様化を極めている。そんな中、『しゅっとこどっこい』に代表されるバンもん!のハチャメチャ感に、私はオールディーズへの憧憬にも似た懐かしさを感じた。唐突に挿入されるラップ、曲名を連呼するだけのリフ、ランドセルのようにツルピカなディストーションギター、PVの最後にお決まりのように挿入されるディレクターの「カット!」という声などに、久しく見なかったセンスを感じた。21世紀が真新しかった頃のそれだ。
そのような作風になった要因として挙げられるのが、みさこやメンバー、作曲者であるゆよゆっぺが、モーニング娘。の時代に育った世代であること、そしてバンドじゃないもん!がベタなアイドルではなく、アイドルそのものへのパロディ的メタ視点を抱えたアーティストであるということである。
例えば、バンもん公式のメンバープロフィールは過剰なアイドルっぽさで溢れている。
みさこの公式な年齢は「精神年齢13歳」であり、血液型は「黒足アヒル型」。望月みゆの年齢は「1こした」、大桃子サンライズの出身地は「プレアデス星団」だ。
モーニング娘。の全盛期と同時代、小倉優子というアイドルが、こりん星からきたというキャラ設定で活躍していた。それがユーモアであると受け入れられつつも、ときに本人が窮屈さを感じているように見えたのとは対象的な軽やかさと余裕がバンもんにはある。バンもんにとってアイドルは、自分自身であると同時にパロディの対象でもあるからだ。
そう考えるとやはり、鈴木美早子は侮れない。
媚びないのか媚びるのか分からないし、隙があるのかないのかも分からない、壁がないのかあるのかもわからない。ただ明るく愛嬌があることは確かである。ひょっとしたらそれこそが音楽で人を楽しませるための決定的な才能なのだろうか。
彼女が、天才的な紅一点という私の断定に収まらずにいてしまったことが恐ろしく、悔しく、しかしそれは必然だったのだろう。考えてみれば鈴木美早子その人自身がミクストメディアを地で行っていたのである。 - 拝啓、オルタナティブ夏の夜。『拝啓、オルタナティブ夏の夜。』 を詳しく ≫
東京の冬は寒いです。
2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。
星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。
あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通り過ぎるものを追いかけて一生を終えるのでしょう。
大きくて長い自然のうねりや空を飛ぶ魚に目を留めたり、それに恐れおののいたり。そんなことができたのはインプットの少ない子どもだけの特権だったのでしょう。
それでも考えてみたいです。
あの頃に感じたあれは何だったのか。
すっかり見かけることもなくなったいま、それはひっそりとどこかで冷凍保存されているものなのか。
"街が寝息を立てるころに"
"夜風にドキドキ高鳴る胸で"
"どこかきっと違う世界に"
違う世界の存在を信じていたあの頃こそが、いまの私にとっては違う世界のできごとの様です。
街が寝息を立てるころは、明日に備えて、私も寝息を立てるようになりました。夜の畏れに怯え、夜風に胸を高鳴らせるようなことは、寒いこの冬ではなかなか困難です。未来はすべからく過去になります。その意味で私たちは、最良の過去を手に入れるために、未来に向かって歩いているのだとも言えます。
硬質なギターの轟音が好きです。性急なリズムが好きです。澄んだ声が好きです。アメンボのように張り付いて飛び跳ねるピアノが好きです。流星のように身を削って流れる優しくないメロディが好きです。
瞬間蒼い風が吹いて、あの頃というやつが私の身体に乗り移ります。古いSFアニメのようなノスタルジーが全身の血液を発火させます。後ろ向きな感傷だと思われるでしょうか。それはありがちな勘違いです。
音楽が私たちの体感時間を拡張するとき、過去に伸びた射程と同じだけ、未来にも届いているのです。ブラックホールのそばに漸近するように、時間は引き伸ばされるのです。iPhoneの画面で、いまこの瞬間とだけ交信していた私の時間が、急に本来の姿を取り戻すのです。それはオルタナティブな体験です。音楽か、夏の夜くらいしか、その魔法は使えません。 - キャッチーで甘いメロディ。切ないディストーションギター。『ジャズとアイドルは取ってつけろ』 を詳しく ≫
それをところどころで、破壊する楽曲構成がすごい。
なんと途中で急にジャズになってしまう。
そのジャズは、取ってつけたような感があるんだけど、取ってつけたような感こそが面白く思えるのはなぜだろう。
結局どこがサビなのかわからなかった。
舌っ足らずなユニゾンが醸し出す素人感。
最後は咳き込んで終わる。
『すなっちゃん・なっぽー』。Snatch an Apple。ペンパイナッポーアッポーペンを先取りしたようなタイトルだ。
結論としては、耳に残る良い曲だ。なぜ良いのかは分からない。
MVも尖っている。
富士山?をバックにした広大な空き地に、ひぐらしの鳴き声がサンプリングされている。
曲のイメージと見事にフィットしていない。
とりあえず楽器を弾いてアーティストぶるアイドルへの皮肉ともとれる、これ見よがしなあてふりバンド演奏。
ギャグではなくシュール。
アイドルにありがちなほっこりした笑いに背を向ける。
残念なことにBELLRING少女ハートは今年いっぱいで活動を休止する。
朝倉みずほは卒業、柳沢あやのは卒業し、ソロ活動に移行するのだ。
朝倉みずほがブログで次のように言っていた。
"私はね、ベルハーは
衣装と曲があればベルハーだど思ってます"
アイドル当の本人としては、ひどく冷静な認識だ。
これはある意味で正しいが、ある意味で間違っている。
先述したようにBELLRING少女ハートの初見でまず印象づけられるのが、一筋縄ではいかない魅力を持つ楽曲だ。
そして、「漆黒のセーラー服と異形の羽」という統一感のある衣装。
着ている人間が変わってもグループが変わらないのは、過去のたくさんのメンバー離脱が物語っている。
運営の田中紘治はすでに新メンバーの採用に動いているらしい。
しかし、朝倉みずほには朝倉みずほの物語がある。
"私はね、ベルハーは
衣装と曲があればベルハーだど思ってます"
こんな認識をさらっと持ててしまうメンバーを抱えていることはBELLRING少女ハートのアイデンティティだ。
そういう意味で、衣装と曲のみならず、朝倉みずほはベルハーの強力な武器だった。
『すなっちゃん・なっぽー』は実は歌詞も良い。
"瞳に泳ぐ ふらちな季節
くたびれた その横顔が
ずるく Snatch an Apple
奪い去るように手をつないでくれた
放課後を追われるように
胸騒ぎ 季節はずれの林檎ひとかじり"
ふらちな季節は胸騒ぎではじまる。
しかし、ドタバタと曲が展開した後の、静かなエンディングは次のように迎える。
"奪い去るようにつないでくれた手で
成熟へ追われたんだ
明け方に 涙の味で林檎ひとかじり
瞳に泳ぐ つめたい空"
フリーダムな曲とシュールなMVで、堅牢に、歌詞の感傷は隠されている。
成熟へ終われ、明け方に、涙、つめたい空。
歌い出しとのコントラストを意識すれば、作詞家、空五倍子のセンスにも気づける。
ちなみに空五倍子は田中紘治の別名らしい。紛らわしいな。
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