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RANDOM MUSICランダムおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • 恐怖の大王

    人間椅子

    「日本語ロック」という言葉がある。 はっぴいえんどが開拓を進め、サザンオールスターズ、RCサクセション、ブルーハーツが各々の方法論で完成させたソレだ。 その言葉はいまでは廃れ、代わりに若い音楽ファンに親しまれているのは「邦楽ロック」だ。 日本でロックをやること。かつては、それ自体が事件であり挑戦だった。 いまはどうか。幸福なことに日本でロックは可能であることが証明されたと思う。それ

  • サニー

    黒猫チェルシー

    美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。 コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。 その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンク

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • 「日本語ロック」という言葉がある。
    はっぴいえんどが開拓を進め、サザンオールスターズ、RCサクセション、ブルーハーツが各々の方法論で完成させたソレだ。

    その言葉はいまでは廃れ、代わりに若い音楽ファンに親しまれているのは「邦楽ロック」だ。

    日本でロックをやること。かつては、それ自体が事件であり挑戦だった。
    いまはどうか。幸福なことに日本でロックは可能であることが証明されたと思う。それが「邦楽ロック」というビッグワードに象徴されている。

    それは日本国内での話。
    世界的な視点で見ると状況は変わる。ブリティッシュロック、アメリカンロックのような世界共通の認知は、邦楽ロックにおいてはゼロに等しい。
    ひとえに言語の問題もある。
    しかし目を留めたいのは、世界中の誰から見てもブリティッシュロックが確かにイギリスっぽく、アメリカンロックが確かにアメリカっぽいという事実だ。邦楽ロックは日本っぽいだろうか。その日本っぽさは世界的にポピュラーな日本のイメージだろうか。本当の邦楽ロックというやつは、まだ長い眠りの中にあるのだと私は考えたい。

    「ASIAN KUNG-FU GENERATION」「人間椅子」はわざわざ日本でロックをやることに強い自覚を持っているアーティストだと思っている。「BABYMETAL」「和楽器バンド」はどのくらい意識的だったかわからないが結果的に強い自覚をいま持っているアーティストだ。

    簡単に言えば、世界の周縁としての日本、という自覚だ。
    アメリカ人がブリティッシュロックをやるとき、その音には「なぜ?あえてイギリス風なのか?」という問いへのアンサーが自然に表象されるものだ。逆も然り。それは自国のロックを他国のロックと相対して見れる視点に起因する。世界では当たり前にできていることだが、日本は島国だからか、それをとても苦手とする。
    「ASIAN KUNG-FU GENERATION」「人間椅子」「BABYMETAL」「和楽器バンド」はそれができる人たちだ。

    その中でもポピュラリティでは最も劣る人間椅子に、私はひときわ強烈な客観性を感じる。そこには日本でロックやることが本質的に縮小再生産であることへの恐れがある。クールな理解がある。私はそれこそが本当の邦楽ロックの開花に必要だと思っている。


    歌詞だけではない。人間椅子は国文学の世界観がしっかり音やルックスに連結している。和装で、国産のメロディを歌う。ノエル・ギャラガーはユニオンジャックのシェラトンを弾き、スティービー・レイ・ヴォーンはカウボーイハットをかぶる。そういうことだ。

    日本という国のアイデンティティは少し格好悪い。サムライ、ちょんまげ、アニメ、満員電車、村社会。少なくとも欧米的ロックのフィーリングに一度でも憧れた人が、あえて取り組もうとはしないテーマだ。しかし、それと向き合った人間椅子がひとつの完成形に到達していることを知るべきだ。「恐怖の大王」はテンポチェンジしてからのギターソロが異常に格好良くてぶったまげる。なぜぶったまげるって、私たちの知るいつもの洋楽ハードロックとなにか違う匂いが鼻先を掠めるからだ。そしてその違いとレガシーとも言えるハードロックサウンドは見事に溶け合っている。

    なにが違うのだろう。
    それは日本的哀愁ではないだろうか。先述の歌詞とメロディだけでなく、リズムの溜めやボーカルの発声にもそれは持ち寄られている。人間椅子はハードロックサウンドに文芸の世界観を乗せているのではない。日本的哀愁の世界観からロックが発露しているのだ。ロックは狂気の音楽だ。そして狂気は目的ではなく結果だ。出自は個人の心の奥底であり、そういう意味で国民性や文化に強く依存する。キング・クリムゾンの狂気の起源を日本人は当然持ち合わせていない。ヨーロッパに哀愁があるように、日本にも哀愁がある。その日本的哀愁の風景が突破されたときの狂気が、恐怖の大王のギターソロなのだ。

    人間椅子が実現しているのは、コンセプトロックと言えるかもしれない。日本人による日本人のコスプレ。まさにその屈折すらも日本独特の狂気と言える。日本でロックをやるのに、日本をコンセプトにするのは皮肉なことかもしれない。自然でいること自体が困難なら、徹底してその宿命を背負ったバンドこそがこの国のロックをつくってくれる。
    『日本人による日本人のコスプレ』 を詳しく ≫
  • 美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。

    コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。

    その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンクバンドときた。曲も良い。演奏も良い。ルックスも良い。若い。大人のバックアップを看破できれば、むしろそのプロフェッショナルなプロダクションを愛せたかもしれないけど、それもできないから、私はただこのバンドを深追いするのを辞めた。私は信じられなかったのだ。そして許せなかったのだ。こんな若く美しい男性たちが、それに到底似合わない本物の音楽に、自然と出会い自然と惹かれたという事実が。


    このバンドの司令塔は澤竜次である。
    良いギタリストはフォームで分かるが、澤竜次もそのご多分に漏れない。右手のポジショニングが柔らかく美しい。良いギタリストはネックを遊ばせる。しなやかに傾くストラトキャスターを見てるだけでこちらの気分も良くなってくる。良いギタリストは、つまり澤竜次は、歪みの深さを選ばず、複弦でも単弦でもぱりっと弾ける。ブルージーかつ破壊的、時々トリッキーな音作りは黒猫チェルシーのイメージに大きく寄与している。『サニー』でもリフにソロにと彼の良さが存分に顕れている。澤竜次のルーツはハードロックとジミ・ヘンドリクスのようだ。なるほど納得である。パンクが入り口でここまでの演奏力にたどり着く想像はなかなかできない。バンドがINUやスターリンと似てきたのは、日本語の歌との融合の結果であり、それは、引いては、黒猫チェルシーが渡辺大知のバンドであるただそれだけの帰結だったのだ。

    とはいえ、元来このバンドが澤竜次のバンドであったことを考えれば、合点がいくことも多い。華美な衣装はジミ・ヘンドリクスのサイケデリアであり、ガレージパンクな音も、種を明かされればハードロックだ。華がありすぎる渡辺大知をイチ抜けし、澤をフロントマンに置けば、バンドのルックスだってハードロックオタク集団に見えなくもない。しかしながら、その趣味的な世界に閉じこもらないところまでが澤の判断であることは留意したい。

    『サニー』において、作曲クレジットはバンド名だが、曲を引っ張っているのはやはり澤のギターだ。この時期は、澤についていくカタチで、渡辺大知が音楽性を深化させていく様がバンドに良いバランスを持ち込んでいる。リフ主体のイレギュラーな曲展開に制約された歌が、メロウでないのに異様にポップであるのは、異物同士を手探りでドッキングさせたときのマジック以外のなにものでもない。
    このバンドのポップネスは、澤がひっぱる研究家肌の楽器隊と、ミーハーな天才肌である渡辺との怪しいバランスが成立させ、成長させてきた。『サニー』はその幸福な関係が最良のカタチで具現化した時期の、彼らの代表曲だと思う。


    ところで最近はすっかり渡辺のバンドなので、また様相が変わっている。と言った捉え方はかなり乱暴だが、澤が自身の趣味性をFAIRY BRENDAという別バンドで発揮しはじめたのも示唆的だ。黒猫チェルシーは、より歌ものにシフトし、バンド自体の物語を歌うようになった。ドッキングを繰り返した異物たちは、遂に整理整頓され、収まるべき所に収まったと言える。黒猫チェルシーが幸福でユニークだったのは、整理整頓されないままの有り様を作品にできる環境を手にしていたことにある。それゆえの歪さが、私のような者の変な誤解を産んだが、一方で産み落とされた作品は永遠だ。これらの作品たちは、過大でも過小でもない評価に時間をかけて辿り着くだろう。個人的にも、ギタリスト澤のFAIRY BRENDAとともに、黒猫チェルシーの新時代と新解釈に出会い続けるつもりである。
    『過大でも過小でもない評価に』 を詳しく ≫

NEW MUSIC最新のおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • サニー

    黒猫チェルシー

    美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。 コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。 その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンク

  • 恐怖の大王

    人間椅子

    「日本語ロック」という言葉がある。 はっぴいえんどが開拓を進め、サザンオールスターズ、RCサクセション、ブルーハーツが各々の方法論で完成させたソレだ。 その言葉はいまでは廃れ、代わりに若い音楽ファンに親しまれているのは「邦楽ロック」だ。 日本でロックをやること。かつては、それ自体が事件であり挑戦だった。 いまはどうか。幸福なことに日本でロックは可能であることが証明されたと思う。それ

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  • 美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。

    コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。

    その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンクバンドときた。曲も良い。演奏も良い。ルックスも良い。若い。大人のバックアップを看破できれば、むしろそのプロフェッショナルなプロダクションを愛せたかもしれないけど、それもできないから、私はただこのバンドを深追いするのを辞めた。私は信じられなかったのだ。そして許せなかったのだ。こんな若く美しい男性たちが、それに到底似合わない本物の音楽に、自然と出会い自然と惹かれたという事実が。


    このバンドの司令塔は澤竜次である。
    良いギタリストはフォームで分かるが、澤竜次もそのご多分に漏れない。右手のポジショニングが柔らかく美しい。良いギタリストはネックを遊ばせる。しなやかに傾くストラトキャスターを見てるだけでこちらの気分も良くなってくる。良いギタリストは、つまり澤竜次は、歪みの深さを選ばず、複弦でも単弦でもぱりっと弾ける。ブルージーかつ破壊的、時々トリッキーな音作りは黒猫チェルシーのイメージに大きく寄与している。『サニー』でもリフにソロにと彼の良さが存分に顕れている。澤竜次のルーツはハードロックとジミ・ヘンドリクスのようだ。なるほど納得である。パンクが入り口でここまでの演奏力にたどり着く想像はなかなかできない。バンドがINUやスターリンと似てきたのは、日本語の歌との融合の結果であり、それは、引いては、黒猫チェルシーが渡辺大知のバンドであるただそれだけの帰結だったのだ。

    とはいえ、元来このバンドが澤竜次のバンドであったことを考えれば、合点がいくことも多い。華美な衣装はジミ・ヘンドリクスのサイケデリアであり、ガレージパンクな音も、種を明かされればハードロックだ。華がありすぎる渡辺大知をイチ抜けし、澤をフロントマンに置けば、バンドのルックスだってハードロックオタク集団に見えなくもない。しかしながら、その趣味的な世界に閉じこもらないところまでが澤の判断であることは留意したい。

    『サニー』において、作曲クレジットはバンド名だが、曲を引っ張っているのはやはり澤のギターだ。この時期は、澤についていくカタチで、渡辺大知が音楽性を深化させていく様がバンドに良いバランスを持ち込んでいる。リフ主体のイレギュラーな曲展開に制約された歌が、メロウでないのに異様にポップであるのは、異物同士を手探りでドッキングさせたときのマジック以外のなにものでもない。
    このバンドのポップネスは、澤がひっぱる研究家肌の楽器隊と、ミーハーな天才肌である渡辺との怪しいバランスが成立させ、成長させてきた。『サニー』はその幸福な関係が最良のカタチで具現化した時期の、彼らの代表曲だと思う。


    ところで最近はすっかり渡辺のバンドなので、また様相が変わっている。と言った捉え方はかなり乱暴だが、澤が自身の趣味性をFAIRY BRENDAという別バンドで発揮しはじめたのも示唆的だ。黒猫チェルシーは、より歌ものにシフトし、バンド自体の物語を歌うようになった。ドッキングを繰り返した異物たちは、遂に整理整頓され、収まるべき所に収まったと言える。黒猫チェルシーが幸福でユニークだったのは、整理整頓されないままの有り様を作品にできる環境を手にしていたことにある。それゆえの歪さが、私のような者の変な誤解を産んだが、一方で産み落とされた作品は永遠だ。これらの作品たちは、過大でも過小でもない評価に時間をかけて辿り着くだろう。個人的にも、ギタリスト澤のFAIRY BRENDAとともに、黒猫チェルシーの新時代と新解釈に出会い続けるつもりである。
    『過大でも過小でもない評価に』 を詳しく ≫
  • 「日本語ロック」という言葉がある。
    はっぴいえんどが開拓を進め、サザンオールスターズ、RCサクセション、ブルーハーツが各々の方法論で完成させたソレだ。

    その言葉はいまでは廃れ、代わりに若い音楽ファンに親しまれているのは「邦楽ロック」だ。

    日本でロックをやること。かつては、それ自体が事件であり挑戦だった。
    いまはどうか。幸福なことに日本でロックは可能であることが証明されたと思う。それが「邦楽ロック」というビッグワードに象徴されている。

    それは日本国内での話。
    世界的な視点で見ると状況は変わる。ブリティッシュロック、アメリカンロックのような世界共通の認知は、邦楽ロックにおいてはゼロに等しい。
    ひとえに言語の問題もある。
    しかし目を留めたいのは、世界中の誰から見てもブリティッシュロックが確かにイギリスっぽく、アメリカンロックが確かにアメリカっぽいという事実だ。邦楽ロックは日本っぽいだろうか。その日本っぽさは世界的にポピュラーな日本のイメージだろうか。本当の邦楽ロックというやつは、まだ長い眠りの中にあるのだと私は考えたい。

    「ASIAN KUNG-FU GENERATION」「人間椅子」はわざわざ日本でロックをやることに強い自覚を持っているアーティストだと思っている。「BABYMETAL」「和楽器バンド」はどのくらい意識的だったかわからないが結果的に強い自覚をいま持っているアーティストだ。

    簡単に言えば、世界の周縁としての日本、という自覚だ。
    アメリカ人がブリティッシュロックをやるとき、その音には「なぜ?あえてイギリス風なのか?」という問いへのアンサーが自然に表象されるものだ。逆も然り。それは自国のロックを他国のロックと相対して見れる視点に起因する。世界では当たり前にできていることだが、日本は島国だからか、それをとても苦手とする。
    「ASIAN KUNG-FU GENERATION」「人間椅子」「BABYMETAL」「和楽器バンド」はそれができる人たちだ。

    その中でもポピュラリティでは最も劣る人間椅子に、私はひときわ強烈な客観性を感じる。そこには日本でロックやることが本質的に縮小再生産であることへの恐れがある。クールな理解がある。私はそれこそが本当の邦楽ロックの開花に必要だと思っている。


    歌詞だけではない。人間椅子は国文学の世界観がしっかり音やルックスに連結している。和装で、国産のメロディを歌う。ノエル・ギャラガーはユニオンジャックのシェラトンを弾き、スティービー・レイ・ヴォーンはカウボーイハットをかぶる。そういうことだ。

    日本という国のアイデンティティは少し格好悪い。サムライ、ちょんまげ、アニメ、満員電車、村社会。少なくとも欧米的ロックのフィーリングに一度でも憧れた人が、あえて取り組もうとはしないテーマだ。しかし、それと向き合った人間椅子がひとつの完成形に到達していることを知るべきだ。「恐怖の大王」はテンポチェンジしてからのギターソロが異常に格好良くてぶったまげる。なぜぶったまげるって、私たちの知るいつもの洋楽ハードロックとなにか違う匂いが鼻先を掠めるからだ。そしてその違いとレガシーとも言えるハードロックサウンドは見事に溶け合っている。

    なにが違うのだろう。
    それは日本的哀愁ではないだろうか。先述の歌詞とメロディだけでなく、リズムの溜めやボーカルの発声にもそれは持ち寄られている。人間椅子はハードロックサウンドに文芸の世界観を乗せているのではない。日本的哀愁の世界観からロックが発露しているのだ。ロックは狂気の音楽だ。そして狂気は目的ではなく結果だ。出自は個人の心の奥底であり、そういう意味で国民性や文化に強く依存する。キング・クリムゾンの狂気の起源を日本人は当然持ち合わせていない。ヨーロッパに哀愁があるように、日本にも哀愁がある。その日本的哀愁の風景が突破されたときの狂気が、恐怖の大王のギターソロなのだ。

    人間椅子が実現しているのは、コンセプトロックと言えるかもしれない。日本人による日本人のコスプレ。まさにその屈折すらも日本独特の狂気と言える。日本でロックをやるのに、日本をコンセプトにするのは皮肉なことかもしれない。自然でいること自体が困難なら、徹底してその宿命を背負ったバンドこそがこの国のロックをつくってくれる。
    『日本人による日本人のコスプレ』 を詳しく ≫
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