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  • Nipponia Nippon

    SALU

    ナショナリズムってのはいつの時代も問題だと思うけれど、ここ最近はとくに悪い意味での存在感を増している。日本という国の素晴らしさを日本人に向けてアピールする人や、コンテンツ、メディアが増えた。そのどれもが、見ているこっちが恥ずかしいほど幼稚な内容にも関わらず、確かにそれに癒され、勇気づけられている人たちがいる。政治や経済での機能を除いて、国家というものがなぜ必要なのか、という問いに答えるのは難しい。

  • Paris / 結局地元 feat.Y’S

    KOHH

    両親や二つ下の弟、中学や高校時代を共にした友人たちが、私が離れたあともずっとあの町でくらし続けていることを思うと不思議な感慨がある。 KOHHを聴いて、弟に聴かせたいと思った。 都会に憧れて18で上京した私とちがって、弟は地元の仲間や地元の店を愛し、そこで暮らし続けている。彼ならきっと、「結局地元」と発するKOHHのパフォーマンスが、開き直りでも諦めでもなく、むしろラディカルで本質的なもの

  • オーライオーライ

    呂布カルマ

    "小さい頃は 神様がいて   不思議に夢を かなえてくれた" "小さい頃は 神様がいて   毎日愛を 届けてくれた" (やさしさに包まれたなら) 荒井由実の歌った神様は小さい頃にだけ存在する。 夢をかなえ、愛を届ける神様だ。 荒井由実の歌った神様は何のために存在するのだろうか。それは私たちが、夢をかなえ、愛を届ける存在であることを、人生の始まりの子供時代に学ぶためだ。私たち

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  • ナショナリズムってのはいつの時代も問題だと思うけれど、ここ最近はとくに悪い意味での存在感を増している。日本という国の素晴らしさを日本人に向けてアピールする人や、コンテンツ、メディアが増えた。そのどれもが、見ているこっちが恥ずかしいほど幼稚な内容にも関わらず、確かにそれに癒され、勇気づけられている人たちがいる。政治や経済での機能を除いて、国家というものがなぜ必要なのか、という問いに答えるのは難しい。それはとても難しい。しかし、そこにひとつのヒントを与えてくれるのは、上述のように癒やしや勇気を必要としている人が事実存在しているということだ。彼らにとって、生まれついた国家、あるいは民族が肯定されることは、最も手っ取り早く、最も信頼の置ける己の肯定なのだ。

    SALUは、ヒップホップ界においてとりわけ明るく爽やかな曲調が印象的だ。中性的なルックスや、かわいらしい声も光っている。魂を揺さぶる男らしいメッセージとそれを裏付ける荒くれた生き方をある意味では運命づけられるヒップホップの世界で、クン付けで呼ばれることに何の違和感もないラッパーはSALUくらいではなかろうか。

    しかしながら、SALUが人畜無害で大衆的なアーティストでないことはその曲を聴けばわかる。そのラッパー魂が最も溢れ出たのがこの『Nipponia Nippon』だろう。

    この曲は通り一遍の反社会的な音楽とは一線を画している。リリックが巧みである背景には、次のようなSALUの冷静な現況認識がある。


    "たまに本当に心配だよ日本
    いいんだけど"


    "わかってる 本当に複雑だってこと"


    "やりたいことだけやりたいとかそれ本気?
    状況を変えようともがいてる若者を
    裏がどうのゆとりがどうのと叩こうと
    こういうことを言えばまた政治的
    宗教的とか言われてももういいからすぐにやろうよ"


    Noを突きつけるのではなく、"心配"をする。そして"いいんだけど"と捉え直し、あくまで自分の実存と日本の心配に繋がりはないことを確認する。この態度は上述ような、勇気や癒やしを国に求めてしまうナショナリストとは対極の知的で冷静な態度だ。そして"本当に複雑だってこと"をしっかりと"わかってる"。威勢良く格好をつけて毒を吐いているんじゃない。それがSALUだ。

    他方で、"やりたいことだけやりたい"という一見ラジカルで本質的な態度にも、疑いの目を向ける。この問いかけはリスキーだ。なぜなら、"政治的 宗教的"と言われてしまうから。事実そういう目的で個人主義から全体主義へ煽動するアジテーターも存在する。SALUはそういうこともよく分かっている。

    こうしてリリックを見て分かるように、複数の立場、複数のイデオロギーを横断した上で、SALUの反社会的なメッセージは紡がれている。

    今敢えて日本について歌うことは、それ自体も非常にリスキーである。安易な応援歌と受け取られるリスクも、安易な社会批判と受け取られるリスクもある。軽やかな自由さがウリだったSALUにとってはアーティストとしてのイメージを損なうリスクもあった。それでもあらゆる立場をクールに見渡して、優しく、厳しく、"心配だよ"と心地良いラップにしたこの曲を私は真にラジカルで魅力的だと思う。


    最後にもう一つリリックを見てみよう。


    "俺には幸いこの声がある
    このラップがある"


    "俺には幸い
    会ったことのない同士がいる"


    "君には幸い俺がいる"


    ここで、SALUは"幸い"を歌っている。SALUが自己の実存の問題に揺さぶられず、冷静に社会を直視しラップにできる理由は、SALUには"幸い"があるからだ。

    ナショナリストは自国を肯定されることで、己の肯定を手に入れた。SALUを肯定するのは、"声"と"ラップ"と"同士"だ。そして私たちにはSALUがいるから、SALUのラップで己を肯定し"状況を変えようともがいて"みることができる。さすれば国には何も求めない強さを持ちながら、それでも国に働きかけ、国を変えることができるかもれない。
    『日本を心配するラップの心地良さ』 を詳しく ≫
  • "小さい頃は 神様がいて
      不思議に夢を かなえてくれた"

    "小さい頃は 神様がいて
      毎日愛を 届けてくれた" (やさしさに包まれたなら)


    荒井由実の歌った神様は小さい頃にだけ存在する。
    夢をかなえ、愛を届ける神様だ。
    荒井由実の歌った神様は何のために存在するのだろうか。それは私たちが、夢をかなえ、愛を届ける存在であることを、人生の始まりの子供時代に学ぶためだ。私たちはその教えを胸に、神様がいなくなったあとの人生を渡ってゆく。あたかも神様が、私たちに80年効く魔法をかけて去って行く存在であるかのように。



    それでは呂布カルマにとっての神様とはなんだろうか。
    このような問いを立てるのも、『オーライオーライ』ではユーミンに負けず劣らず、神様という単語が印象的に使用されているからだ。


    "神様が僕にだけ秘密で教えてくれた呪文
    世界中の人が幸せになる代わりに歌うことがなくなるよう

    神様が僕にだけ秘密で教えてくれた呪文
    世界中の涙が笑顔になるがしかし芸術はくたばるよう" (オーライオーライ)


    フックにあたるこのリリックでは、"世界中の人が幸せ"で、"世界中の涙が笑顔になる"世界を理念として掲げていることがわかる。神様はそれを叶える呪文を知っており、その呪文を呂布カルマが授かったというストーリーが描かれる。

    呂布カルマが授かる呪文なのだからそれはヒップホップだろう。
    ここでの主たる主張は、以下の三点にまとめられる。


    1.選ばれし者としての呂布カルマ
    2.呪文 = ヒップホップが世界を幸せに導くという理念
    3.そして理念が成就した暁には芸術はくたばり、歌うことはなくなり、すなわちヒップホップがくたばるという歴史観


    ここには驚くべき、宗教との相似がある。一般に宗教は、幸福の理念を持ち(2)、その実現のための歴史を持ち(3)、それを広めるための使徒(1)を持つからだ。

    ここで述べたいのは、呂布カルマが特定の宗教を信仰しているという話ではない。期せずしてその構図が似てしまっているという点だ。



    紐解こう。
    キーワードはやはり神様である。
    クライマックスのフックを引用する。


    "すれ違う瞬間に何か見た
    神様と目が合って理解した

    全部わかった" (オーライオーライ)


    不気味なほどの全能感であるが、実は先程のリリックとは大きな違いがある。それは、呂布カルマ個人の、プライベートな"理解"に比重が置かれている点だ。加えて、"すれ違う"という言葉が、呂布カルマが街中を歩き回るだけのMVと親和し、その宗教的体験が日常に潜むものであることをリスナーは唐突に知らされる。要するに、ヒップホップで世界を幸せにする壮大な歴史だったはずが、個人としてすべてを理解し何かを悟ることへと、劇的にスケールダウンされている。

    その劇的なスケールダウンが、安易な着地点として位置づけられず、むしろこの曲の不気味さを際立たせていることに注目する必要がある。

    これはおそらく多分にテクニカルな手法である。トラックの良さやリリック全体の刷り込みも効いている。もちろんパフォーマンスもある。しかし決定打は、世界への使命を負った使徒である呂布カルマから、自分への使命を負った個人としての呂布カルマへのモードチェンジである。このモードチェンジが上記のスケールダウンに内在されている。そのスケールダウン、落とし込みを目の当たりにし、リスナーはあたかも世界全体を幸福にするという宗教的なストーリーが呂布カルマ個人へと落とし込まれたかのような錯覚を覚え、凄みとともに不気味さを感じるのである。

    ここでは神様の位置づけも変わっている。使徒に呪文を授け、遣わす支配的な存在から、日常のストリートに潜み、すれ違いざまに"全部わか"らせる脱支配的な存在に変わっている。


    さて、ユーミンをもう一度思い出そう。
    ユーミンの神様は、『オーライオーライ』で呂布カルマが行ったアクロバティックなモードチェンジの、結論だけを切り取ったものと実は似ている。ユーミンの神様も、日常に潜み、個人へ気づきを与える、脱支配的な神様だからだ。

    そして『オーライオーライ』のすごさは、超越的で絶対的な幸福の理念と歴史の存在に今一度チャレンジしていることにある。それは永らく人類がチャレンジし続け、そして現代では諦められつつあることだ。

    そのチャレンジのために呂布カルマは、逆説的にユーミン風の現代的で脱支配的な神様を導入している。

    さきほどは、両者を繋ぐに際してモードチェンジと称したが、正確には違う。呂布カルマのモードはチェンジしていない。二つのモードは一曲の中に併存されているのだ。そしてその目的は、双方の強度を高め合うことにあり、それこそが詩人、呂布カルマの説得力の源泉である。
    『神様の存在 ユーミンとの比較』 を詳しく ≫
  • 両親や二つ下の弟、中学や高校時代を共にした友人たちが、私が離れたあともずっとあの町でくらし続けていることを思うと不思議な感慨がある。

    KOHHを聴いて、弟に聴かせたいと思った。
    都会に憧れて18で上京した私とちがって、弟は地元の仲間や地元の店を愛し、そこで暮らし続けている。彼ならきっと、「結局地元」と発するKOHHのパフォーマンスが、開き直りでも諦めでもなく、むしろラディカルで本質的なものだと読み取れるだろう。

    私も弟も、ラディカルな考え方が好きだ。
    それは二人ともロックから学んだものだと思う。
    とはいえ、二人の人生は全く異なる道を歩んでいる。


    "海外とか行ってみても楽しいのは結局地元"


    とKOHHは言う。私は東京に出ただけでなく、「海外とか行ってみる」ことがとても好きだ。最も好きなことのひとつと言って良い。弟はそんなことよりも、仲間と田舎の廃屋を貸し切ってクラブイベントを開催するようなやつだ。そこは覇気のない田舎町にも関わらず、面白いことの好きな享楽的な若者たちはどこからともなく集まってくるようだ。深く太い地元のアンダーグラウンドネットワークは、地上の世界で生活していた高校生の私には全く見えないものだった。

    KOHHは、私たち兄弟のハイブリッドと言える。そしてその両方の価値観を、客観的に見つめる頭の良さを持っている。


    "オラオラ系のあいつがやってるのは黒い仕事"


    こういった身内の相対化が適宜リリックに挟まれる。だからKOHHのMCには説得力がある。客観化し相対化してもなお、発信することを選んだメッセージだとわかるからだ。そしてその選択には歴とした同時代性があると私は感じる。同時代性という言葉を言い換えれば、今の時代に即しており現状への批評的な観点を持っている、ということだ。つまりラディカルなのである。地元を離れた私と、地元に残った弟、双方の人生に批評的に突き刺さる普遍性をKOHHのMCは持っている。

    KOHHはあらゆる面でラディカルだ。
    例えば、公式ホームページに着目したい。
    KOHHは国内用と海外用、二つの公式ホームページを持っている。国内用のドメインは『やばいっす.com』。海外用には別ドメインを切っている。『kohh.tokyo』だ。世界的には.comの方が普遍的であるのも関わらず、あえて.tokyoのドメインを利用する戦略がとても上手い。内容においても、ただ英訳するだけでなく、見せ方、構成を完全に変えている。

    尖っているもの、アナーキーなものに触れたときに湧いてくる勇気。
    本当に進むべき方向を向くことができれば、そこは全くもって希望に満ちているのだという啓発。人類史が続く限り、継承されてきた啓発。それはもはや啓発ではなく、生物学的な習性と言っても良いかもしれない。しかし私たちは、それを必ず忘れてしまう習性も同時にそなえている。だからいつの時代もだれかが人々にそれを思い出させてきた。その煽動者をこそ、私たちはアーティストと呼ぶべきだ。現代においてその役目はKOHHと、もしかしたらヒップホップが担っているのかもしれない。
    『弟に聴かせたいと思った』 を詳しく ≫

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  • Nipponia Nippon

    SALU

    ナショナリズムってのはいつの時代も問題だと思うけれど、ここ最近はとくに悪い意味での存在感を増している。日本という国の素晴らしさを日本人に向けてアピールする人や、コンテンツ、メディアが増えた。そのどれもが、見ているこっちが恥ずかしいほど幼稚な内容にも関わらず、確かにそれに癒され、勇気づけられている人たちがいる。政治や経済での機能を除いて、国家というものがなぜ必要なのか、という問いに答えるのは難しい。

  • オーライオーライ

    呂布カルマ

    "小さい頃は 神様がいて   不思議に夢を かなえてくれた" "小さい頃は 神様がいて   毎日愛を 届けてくれた" (やさしさに包まれたなら) 荒井由実の歌った神様は小さい頃にだけ存在する。 夢をかなえ、愛を届ける神様だ。 荒井由実の歌った神様は何のために存在するのだろうか。それは私たちが、夢をかなえ、愛を届ける存在であることを、人生の始まりの子供時代に学ぶためだ。私たち

  • Paris / 結局地元 feat.Y’S

    KOHH

    両親や二つ下の弟、中学や高校時代を共にした友人たちが、私が離れたあともずっとあの町でくらし続けていることを思うと不思議な感慨がある。 KOHHを聴いて、弟に聴かせたいと思った。 都会に憧れて18で上京した私とちがって、弟は地元の仲間や地元の店を愛し、そこで暮らし続けている。彼ならきっと、「結局地元」と発するKOHHのパフォーマンスが、開き直りでも諦めでもなく、むしろラディカルで本質的なもの

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  • ナショナリズムってのはいつの時代も問題だと思うけれど、ここ最近はとくに悪い意味での存在感を増している。日本という国の素晴らしさを日本人に向けてアピールする人や、コンテンツ、メディアが増えた。そのどれもが、見ているこっちが恥ずかしいほど幼稚な内容にも関わらず、確かにそれに癒され、勇気づけられている人たちがいる。政治や経済での機能を除いて、国家というものがなぜ必要なのか、という問いに答えるのは難しい。それはとても難しい。しかし、そこにひとつのヒントを与えてくれるのは、上述のように癒やしや勇気を必要としている人が事実存在しているということだ。彼らにとって、生まれついた国家、あるいは民族が肯定されることは、最も手っ取り早く、最も信頼の置ける己の肯定なのだ。

    SALUは、ヒップホップ界においてとりわけ明るく爽やかな曲調が印象的だ。中性的なルックスや、かわいらしい声も光っている。魂を揺さぶる男らしいメッセージとそれを裏付ける荒くれた生き方をある意味では運命づけられるヒップホップの世界で、クン付けで呼ばれることに何の違和感もないラッパーはSALUくらいではなかろうか。

    しかしながら、SALUが人畜無害で大衆的なアーティストでないことはその曲を聴けばわかる。そのラッパー魂が最も溢れ出たのがこの『Nipponia Nippon』だろう。

    この曲は通り一遍の反社会的な音楽とは一線を画している。リリックが巧みである背景には、次のようなSALUの冷静な現況認識がある。


    "たまに本当に心配だよ日本
    いいんだけど"


    "わかってる 本当に複雑だってこと"


    "やりたいことだけやりたいとかそれ本気?
    状況を変えようともがいてる若者を
    裏がどうのゆとりがどうのと叩こうと
    こういうことを言えばまた政治的
    宗教的とか言われてももういいからすぐにやろうよ"


    Noを突きつけるのではなく、"心配"をする。そして"いいんだけど"と捉え直し、あくまで自分の実存と日本の心配に繋がりはないことを確認する。この態度は上述ような、勇気や癒やしを国に求めてしまうナショナリストとは対極の知的で冷静な態度だ。そして"本当に複雑だってこと"をしっかりと"わかってる"。威勢良く格好をつけて毒を吐いているんじゃない。それがSALUだ。

    他方で、"やりたいことだけやりたい"という一見ラジカルで本質的な態度にも、疑いの目を向ける。この問いかけはリスキーだ。なぜなら、"政治的 宗教的"と言われてしまうから。事実そういう目的で個人主義から全体主義へ煽動するアジテーターも存在する。SALUはそういうこともよく分かっている。

    こうしてリリックを見て分かるように、複数の立場、複数のイデオロギーを横断した上で、SALUの反社会的なメッセージは紡がれている。

    今敢えて日本について歌うことは、それ自体も非常にリスキーである。安易な応援歌と受け取られるリスクも、安易な社会批判と受け取られるリスクもある。軽やかな自由さがウリだったSALUにとってはアーティストとしてのイメージを損なうリスクもあった。それでもあらゆる立場をクールに見渡して、優しく、厳しく、"心配だよ"と心地良いラップにしたこの曲を私は真にラジカルで魅力的だと思う。


    最後にもう一つリリックを見てみよう。


    "俺には幸いこの声がある
    このラップがある"


    "俺には幸い
    会ったことのない同士がいる"


    "君には幸い俺がいる"


    ここで、SALUは"幸い"を歌っている。SALUが自己の実存の問題に揺さぶられず、冷静に社会を直視しラップにできる理由は、SALUには"幸い"があるからだ。

    ナショナリストは自国を肯定されることで、己の肯定を手に入れた。SALUを肯定するのは、"声"と"ラップ"と"同士"だ。そして私たちにはSALUがいるから、SALUのラップで己を肯定し"状況を変えようともがいて"みることができる。さすれば国には何も求めない強さを持ちながら、それでも国に働きかけ、国を変えることができるかもれない。
    『日本を心配するラップの心地良さ』 を詳しく ≫
  • "小さい頃は 神様がいて
      不思議に夢を かなえてくれた"

    "小さい頃は 神様がいて
      毎日愛を 届けてくれた" (やさしさに包まれたなら)


    荒井由実の歌った神様は小さい頃にだけ存在する。
    夢をかなえ、愛を届ける神様だ。
    荒井由実の歌った神様は何のために存在するのだろうか。それは私たちが、夢をかなえ、愛を届ける存在であることを、人生の始まりの子供時代に学ぶためだ。私たちはその教えを胸に、神様がいなくなったあとの人生を渡ってゆく。あたかも神様が、私たちに80年効く魔法をかけて去って行く存在であるかのように。



    それでは呂布カルマにとっての神様とはなんだろうか。
    このような問いを立てるのも、『オーライオーライ』ではユーミンに負けず劣らず、神様という単語が印象的に使用されているからだ。


    "神様が僕にだけ秘密で教えてくれた呪文
    世界中の人が幸せになる代わりに歌うことがなくなるよう

    神様が僕にだけ秘密で教えてくれた呪文
    世界中の涙が笑顔になるがしかし芸術はくたばるよう" (オーライオーライ)


    フックにあたるこのリリックでは、"世界中の人が幸せ"で、"世界中の涙が笑顔になる"世界を理念として掲げていることがわかる。神様はそれを叶える呪文を知っており、その呪文を呂布カルマが授かったというストーリーが描かれる。

    呂布カルマが授かる呪文なのだからそれはヒップホップだろう。
    ここでの主たる主張は、以下の三点にまとめられる。


    1.選ばれし者としての呂布カルマ
    2.呪文 = ヒップホップが世界を幸せに導くという理念
    3.そして理念が成就した暁には芸術はくたばり、歌うことはなくなり、すなわちヒップホップがくたばるという歴史観


    ここには驚くべき、宗教との相似がある。一般に宗教は、幸福の理念を持ち(2)、その実現のための歴史を持ち(3)、それを広めるための使徒(1)を持つからだ。

    ここで述べたいのは、呂布カルマが特定の宗教を信仰しているという話ではない。期せずしてその構図が似てしまっているという点だ。



    紐解こう。
    キーワードはやはり神様である。
    クライマックスのフックを引用する。


    "すれ違う瞬間に何か見た
    神様と目が合って理解した

    全部わかった" (オーライオーライ)


    不気味なほどの全能感であるが、実は先程のリリックとは大きな違いがある。それは、呂布カルマ個人の、プライベートな"理解"に比重が置かれている点だ。加えて、"すれ違う"という言葉が、呂布カルマが街中を歩き回るだけのMVと親和し、その宗教的体験が日常に潜むものであることをリスナーは唐突に知らされる。要するに、ヒップホップで世界を幸せにする壮大な歴史だったはずが、個人としてすべてを理解し何かを悟ることへと、劇的にスケールダウンされている。

    その劇的なスケールダウンが、安易な着地点として位置づけられず、むしろこの曲の不気味さを際立たせていることに注目する必要がある。

    これはおそらく多分にテクニカルな手法である。トラックの良さやリリック全体の刷り込みも効いている。もちろんパフォーマンスもある。しかし決定打は、世界への使命を負った使徒である呂布カルマから、自分への使命を負った個人としての呂布カルマへのモードチェンジである。このモードチェンジが上記のスケールダウンに内在されている。そのスケールダウン、落とし込みを目の当たりにし、リスナーはあたかも世界全体を幸福にするという宗教的なストーリーが呂布カルマ個人へと落とし込まれたかのような錯覚を覚え、凄みとともに不気味さを感じるのである。

    ここでは神様の位置づけも変わっている。使徒に呪文を授け、遣わす支配的な存在から、日常のストリートに潜み、すれ違いざまに"全部わか"らせる脱支配的な存在に変わっている。


    さて、ユーミンをもう一度思い出そう。
    ユーミンの神様は、『オーライオーライ』で呂布カルマが行ったアクロバティックなモードチェンジの、結論だけを切り取ったものと実は似ている。ユーミンの神様も、日常に潜み、個人へ気づきを与える、脱支配的な神様だからだ。

    そして『オーライオーライ』のすごさは、超越的で絶対的な幸福の理念と歴史の存在に今一度チャレンジしていることにある。それは永らく人類がチャレンジし続け、そして現代では諦められつつあることだ。

    そのチャレンジのために呂布カルマは、逆説的にユーミン風の現代的で脱支配的な神様を導入している。

    さきほどは、両者を繋ぐに際してモードチェンジと称したが、正確には違う。呂布カルマのモードはチェンジしていない。二つのモードは一曲の中に併存されているのだ。そしてその目的は、双方の強度を高め合うことにあり、それこそが詩人、呂布カルマの説得力の源泉である。
    『神様の存在 ユーミンとの比較』 を詳しく ≫
  • 両親や二つ下の弟、中学や高校時代を共にした友人たちが、私が離れたあともずっとあの町でくらし続けていることを思うと不思議な感慨がある。

    KOHHを聴いて、弟に聴かせたいと思った。
    都会に憧れて18で上京した私とちがって、弟は地元の仲間や地元の店を愛し、そこで暮らし続けている。彼ならきっと、「結局地元」と発するKOHHのパフォーマンスが、開き直りでも諦めでもなく、むしろラディカルで本質的なものだと読み取れるだろう。

    私も弟も、ラディカルな考え方が好きだ。
    それは二人ともロックから学んだものだと思う。
    とはいえ、二人の人生は全く異なる道を歩んでいる。


    "海外とか行ってみても楽しいのは結局地元"


    とKOHHは言う。私は東京に出ただけでなく、「海外とか行ってみる」ことがとても好きだ。最も好きなことのひとつと言って良い。弟はそんなことよりも、仲間と田舎の廃屋を貸し切ってクラブイベントを開催するようなやつだ。そこは覇気のない田舎町にも関わらず、面白いことの好きな享楽的な若者たちはどこからともなく集まってくるようだ。深く太い地元のアンダーグラウンドネットワークは、地上の世界で生活していた高校生の私には全く見えないものだった。

    KOHHは、私たち兄弟のハイブリッドと言える。そしてその両方の価値観を、客観的に見つめる頭の良さを持っている。


    "オラオラ系のあいつがやってるのは黒い仕事"


    こういった身内の相対化が適宜リリックに挟まれる。だからKOHHのMCには説得力がある。客観化し相対化してもなお、発信することを選んだメッセージだとわかるからだ。そしてその選択には歴とした同時代性があると私は感じる。同時代性という言葉を言い換えれば、今の時代に即しており現状への批評的な観点を持っている、ということだ。つまりラディカルなのである。地元を離れた私と、地元に残った弟、双方の人生に批評的に突き刺さる普遍性をKOHHのMCは持っている。

    KOHHはあらゆる面でラディカルだ。
    例えば、公式ホームページに着目したい。
    KOHHは国内用と海外用、二つの公式ホームページを持っている。国内用のドメインは『やばいっす.com』。海外用には別ドメインを切っている。『kohh.tokyo』だ。世界的には.comの方が普遍的であるのも関わらず、あえて.tokyoのドメインを利用する戦略がとても上手い。内容においても、ただ英訳するだけでなく、見せ方、構成を完全に変えている。

    尖っているもの、アナーキーなものに触れたときに湧いてくる勇気。
    本当に進むべき方向を向くことができれば、そこは全くもって希望に満ちているのだという啓発。人類史が続く限り、継承されてきた啓発。それはもはや啓発ではなく、生物学的な習性と言っても良いかもしれない。しかし私たちは、それを必ず忘れてしまう習性も同時にそなえている。だからいつの時代もだれかが人々にそれを思い出させてきた。その煽動者をこそ、私たちはアーティストと呼ぶべきだ。現代においてその役目はKOHHと、もしかしたらヒップホップが担っているのかもしれない。
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