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  • Good New Times

    Gotch

    バンドマンのソロを聴くのは好きだ。 その人が、バンドとソロ、公と私をどのように分断するのか。 その境目をどの地点に置くか。音なのか、歌詞なのか。仕事と趣味なのか。 一番好きなジャンルと、二番目に好きなジャンルなのか。 それまでのバンド作品では、プライベートな音楽を鳴らしていたのか。 そうではなかったのか。 ソロ作品をリリースするとたくさんのことが見えてくる。 『Good

  • Swan

    [Alexandros]

    なんでこんなに顔がかっこいいのか、という疑問に対して誰も何も答えてくれないバンドナンバーワン。 曲もかっこいい。電子ビートとフェイザー?感のある揺らしたボーカルによる淡々とした始まりからして、新参者のパブリックイメージの外側から攻めてくる。この感触はどこから引っ張ってきたアイデアなのか。ボーカルの録音とミックスが良いだけなのか。 ドラマティックなサビで泣かせるまでに至らず、すぐAメロに

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

  • 最&高

    きゃりーぱみゅぱみゅ

    楽しいながらも落ち着きのある普通に良い曲。サビは「さぁいえんこぅ!」の語感一発で、こてこてになりがちなジャンルの中で逆に整然としたものを感じる。青文字系という文脈抜きにきゃりーぱみゅぱみゅは語れないが、この曲では"泣かない負けないうろたえない 宴会じみてる毎日に"という歌詞にその世界観がギュウギュウに詰まっている。 ゴールを設定しそこに積み上げる毎日を丁寧に暮らすのではなく、宴会じみてる毎日

  • さよならスカイライン

    ラッキーオールドサン

    圧倒的に聴きやすいのに圧倒的に独自性に満ちている。 あなたが古き良き温かい時代に生まれずに、絶望ばかりのこんな時代に生きていることを恨んでいるのなら、 あるいは、 失われた青春時代の自分から、今の自分はどうしてここまでかけ離れてしまったのかと嘆いているのなら、 あなたが聴くべき音楽は、 あなたにとっての懐メロではなく、 ラッキーオールドサンだ。 ラッキ

  • Summer Soul

    cero

    上質だ。これぞ真の音楽好きが真の音楽好きに自信をもってレコメンドできる最高に上質でソフィスティケートされたジャンル越境ポップロックミュージックだ。 ベースが良い。 超聴こえる。 ベースを聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 ドラムが良い。 タムで刻み、金物をキーボードのように聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 テクニカルなのに、編曲に嫌味がない。 こういうのをズルいと言う。

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • 美しい女の子は正義だが、美しい男の子も正義だ。

    コアな音楽性を気取るわりにいつだって洒脱な佇まいでいる彼らがあまり好きではなかったが、久しぶりに聴いてみればなんとも美しい若者たちだった。

    その初期はどうも、出来杉君のようで気に入らなかった。ハタチにもならず映画デビューした渡辺大知。メンバー皆十代なのに、バンドの音楽性は、INUやスターリンに影響を受けたと言われている硬派なガレージパンクバンドときた。曲も良い。演奏も良い。ルックスも良い。若い。大人のバックアップを看破できれば、むしろそのプロフェッショナルなプロダクションを愛せたかもしれないけど、それもできないから、私はただこのバンドを深追いするのを辞めた。私は信じられなかったのだ。そして許せなかったのだ。こんな若く美しい男性たちが、それに到底似合わない本物の音楽に、自然と出会い自然と惹かれたという事実が。


    このバンドの司令塔は澤竜次である。
    良いギタリストはフォームで分かるが、澤竜次もそのご多分に漏れない。右手のポジショニングが柔らかく美しい。良いギタリストはネックを遊ばせる。しなやかに傾くストラトキャスターを見てるだけでこちらの気分も良くなってくる。良いギタリストは、つまり澤竜次は、歪みの深さを選ばず、複弦でも単弦でもぱりっと弾ける。ブルージーかつ破壊的、時々トリッキーな音作りは黒猫チェルシーのイメージに大きく寄与している。『サニー』でもリフにソロにと彼の良さが存分に顕れている。澤竜次のルーツはハードロックとジミ・ヘンドリクスのようだ。なるほど納得である。パンクが入り口でここまでの演奏力にたどり着く想像はなかなかできない。バンドがINUやスターリンと似てきたのは、日本語の歌との融合の結果であり、それは、引いては、黒猫チェルシーが渡辺大知のバンドであるただそれだけの帰結だったのだ。

    とはいえ、元来このバンドが澤竜次のバンドであったことを考えれば、合点がいくことも多い。華美な衣装はジミ・ヘンドリクスのサイケデリアであり、ガレージパンクな音も、種を明かされればハードロックだ。華がありすぎる渡辺大知をイチ抜けし、澤をフロントマンに置けば、バンドのルックスだってハードロックオタク集団に見えなくもない。しかしながら、その趣味的な世界に閉じこもらないところまでが澤の判断であることは留意したい。

    『サニー』において、作曲クレジットはバンド名だが、曲を引っ張っているのはやはり澤のギターだ。この時期は、澤についていくカタチで、渡辺大知が音楽性を深化させていく様がバンドに良いバランスを持ち込んでいる。リフ主体のイレギュラーな曲展開に制約された歌が、メロウでないのに異様にポップであるのは、異物同士を手探りでドッキングさせたときのマジック以外のなにものでもない。
    このバンドのポップネスは、澤がひっぱる研究家肌の楽器隊と、ミーハーな天才肌である渡辺との怪しいバランスが成立させ、成長させてきた。『サニー』はその幸福な関係が最良のカタチで具現化した時期の、彼らの代表曲だと思う。


    ところで最近はすっかり渡辺のバンドなので、また様相が変わっている。と言った捉え方はかなり乱暴だが、澤が自身の趣味性をFAIRY BRENDAという別バンドで発揮しはじめたのも示唆的だ。黒猫チェルシーは、より歌ものにシフトし、バンド自体の物語を歌うようになった。ドッキングを繰り返した異物たちは、遂に整理整頓され、収まるべき所に収まったと言える。黒猫チェルシーが幸福でユニークだったのは、整理整頓されないままの有り様を作品にできる環境を手にしていたことにある。それゆえの歪さが、私のような者の変な誤解を産んだが、一方で産み落とされた作品は永遠だ。これらの作品たちは、過大でも過小でもない評価に時間をかけて辿り着くだろう。個人的にも、ギタリスト澤のFAIRY BRENDAとともに、黒猫チェルシーの新時代と新解釈に出会い続けるつもりである。
    『過大でも過小でもない評価に』 を詳しく ≫
  • 拝啓、オルタナティブ夏の夜。


    東京の冬は寒いです。
    2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。
    星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。


    あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通り過ぎるものを追いかけて一生を終えるのでしょう。
    大きくて長い自然のうねりや空を飛ぶ魚に目を留めたり、それに恐れおののいたり。そんなことができたのはインプットの少ない子どもだけの特権だったのでしょう。


    それでも考えてみたいです。
    あの頃に感じたあれは何だったのか。
    すっかり見かけることもなくなったいま、それはひっそりとどこかで冷凍保存されているものなのか。


    "街が寝息を立てるころに"

    "夜風にドキドキ高鳴る胸で"

    "どこかきっと違う世界に"


    違う世界の存在を信じていたあの頃こそが、いまの私にとっては違う世界のできごとの様です。
    街が寝息を立てるころは、明日に備えて、私も寝息を立てるようになりました。夜の畏れに怯え、夜風に胸を高鳴らせるようなことは、寒いこの冬ではなかなか困難です。未来はすべからく過去になります。その意味で私たちは、最良の過去を手に入れるために、未来に向かって歩いているのだとも言えます。


    硬質なギターの轟音が好きです。性急なリズムが好きです。澄んだ声が好きです。アメンボのように張り付いて飛び跳ねるピアノが好きです。流星のように身を削って流れる優しくないメロディが好きです。
    瞬間蒼い風が吹いて、あの頃というやつが私の身体に乗り移ります。古いSFアニメのようなノスタルジーが全身の血液を発火させます。後ろ向きな感傷だと思われるでしょうか。それはありがちな勘違いです。


    音楽が私たちの体感時間を拡張するとき、過去に伸びた射程と同じだけ、未来にも届いているのです。ブラックホールのそばに漸近するように、時間は引き伸ばされるのです。iPhoneの画面で、いまこの瞬間とだけ交信していた私の時間が、急に本来の姿を取り戻すのです。それはオルタナティブな体験です。音楽か、夏の夜くらいしか、その魔法は使えません。
    『拝啓、オルタナティブ夏の夜。』 を詳しく ≫
  • メロコアと言われる音楽が持つポップ感ってわりと様式美的なものがあって、どんなにメロディックであろうと刺さらない人には全く刺さらなかったりする。かく言う私も、メロコアを聴くときは、「あーメロコアのメロコア感気持ち良いー」的なチャネルが活性化されている状態に無意識に合わせているもので、言うなればそれは一種の敷居だったりする。

    『ANOTHER STARTING LINE』がスゴく良かったのは、メロコアの様式美に確信犯的に倣っていながら、それに楽曲が全く依存していなかったことだ。

    もしかしたらこの言い方は正しくないかもしれない。
    事実、『ANOTHER STARTING LINE』の武器は間違いなくメロコアのハーモニーであり、メロコアのコーラスであり、メロコアの歪みであり、メロコアのブリッジミュートであり、メロコアのビートだ。その意味で、その構成要素は何から何までおなじみのもので出来ている。

    しかし次のような明白な差異もある。
    Aメロ、Bメロ、サビ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、Bメロ、サビ。

    『ANOTHER STARTING LINE』は構成が明確だ。
    そして、メロディがロングトーンだ。

    私が初めて、Hi-STANDARDを知ったのは『My First Kiss』だった。
    御存知の通りこの代表曲はカバー曲だ。彼らの本来の持ち味は『Stay Gold』に代表される、もっともっと性急でタイトな譜割り、ストイックな曲構成、ビューティーになりすぎないハッピーなメロディにある。

    『ANOTHER STARTING LINE』で思い出した非メロコア的な普遍性は『My First Kiss』だった。


    メンバーが口に出しているかは分からないが、90年代のパンクシーンを通過した人々が共通して使う言葉がある。
    「キッズ」だ。90'パンクの人たちは、イノセントでピースフルなアティチュードとして、キッズという言葉を大切にしている。

    『ANOTHER STARTING LINE』が持ち合わせて"いない"のは「キッズ」なのだと思う。逆説的に次のことが言える。キッズの音楽のアイデンティティとなっているのは上記三つの要素、性急でタイトな譜割り、ストイックな曲構成、ビューティーになりすぎないハッピーなメロディなのだ。

    大人になったHi-STANDARDのなにが評価できるって、それは「キッズ」に固執しなかったことだ。パンクは年齢に宿る魔法ではない。当たり前のことだが、誰よりもHi-STANDARDがそれを実践したことは、私たちにとって堪らなく心強い。
    『キッズとメロコアの様式美』 を詳しく ≫
  • 猫である。そしてきのこである。テレキャスである。
    ある種の人間はそれだけで何かに気づく。
    あ、これ好きなヤツだ。と。

    中堅監督が駆け出しの頃、地味な俳優陣と低予算なロケでとったモノローグの多い邦画。
    きのこ帝国の持つ叙情性と、それへの親近感を言葉にするとき私はそれを思い浮かべた。
    『猫とアレルギー』は、理性的でしっとりとしたロックバラードだ。

    Aメロからいい具合に抑揚がきいたメロディが続く。
    コロコロとしたエレピと、スカスカ故に相対的に浮き出てくるベースライン。
    白玉ギターと乾いたドラム。クールなボーカル。彩るのはカラフルというよりはクリアーなストリングス。

    歌詞は大事。
    影のある美女が書く切ないラブソングは、間違いなくきのこ帝国の最大の強みだ。
    "話せなくていい 会えなくてもいい"
    テレキャス美女が恋の喜びを歌っていたらまた話は違っていたと思う。
    オルタナやシューゲイズ寄りのストイックなポジションを確立しているが、
    テイストとしては、奥華子やAiko、あるいはサンボマスターのような報われなさへの憧憬と世界観が、その広範な人気に大きく寄与していると思う。

    アウトロのギターソロで骨のあるところを見せる。『東京』ライクだ。
    それでも可憐ではある。その点、良きも悪きも田渕ひさ子とは違う。

    きのこ帝国のようなバンドがスマートにシェアを獲得しているところに、時代の変化、邦楽ロックというやつの成熟を感じる。ついてくるファンに恵まれていると思う。

    インディーズ時代からの変化を嘆くファンもいるようだ。
    しかし、個人的にはそう変わっていないと思う。
    オルタナティブな音使いは、彼らにとって本質ではなくて、むしろ外殻だっただろう。
    シーンでけちょんけちょんにされないための。

    あとで知ったことだが、ボーカル&ギターの佐藤千亜妃は女優だったらしい。
    低予算な邦画を想起させる佇まいは、印象としてはそう間違ってもいなかったようだ。
    『猫とテレキャスと邦楽ロックの成熟』 を詳しく ≫

NEW MUSIC最新のおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • Turning Up

    嵐(ARASHI)

    嵐がインターネット (YouTube、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、Weibo) を解禁したことは2019年のJポップ最大のニュースだ。彼らがただのアイドルから一皮むけたのはもう十年くらい前だったと記憶している。斜に構えていることの多い私の大学の友人たち (男性) の間では、その頃同じようにチャートを席巻していたAKBグループやEXILE TRIBEと比較し

  • Ride My Car

    The ManRay

    ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。 The ManRayはそんなバンドだ。 だから安心して聴ける。 メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。 それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。 良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。 ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための

  • RE-FAURÉ

    Jessica × Mizuha Nakagawa × Prefuse73

    クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。 いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。 クラシック音楽は、格好良い。 尊敬される、良質な趣味だ。 日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。 果たして。 そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。 Y

  • ニューゲームがはじまる

    水野智広

    幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。 ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。 水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。 それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • ハイエース

    フラワーカンパニーズ

    フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、 "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)" ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。 私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

NEW REVIEW最新レビューから音楽をみつける

  • 嵐がインターネット (YouTube、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、Weibo) を解禁したことは2019年のJポップ最大のニュースだ。彼らがただのアイドルから一皮むけたのはもう十年くらい前だったと記憶している。斜に構えていることの多い私の大学の友人たち (男性) の間では、その頃同じようにチャートを席巻していたAKBグループやEXILE TRIBEと比較して、「逆に嵐は格好いい」「嵐はむしろアリ」「なんかハマった」などといった謎のポジティブオーラが醸成されていたことを覚えている。その空気は今も驚くほど変わらない。嵐はなぜかリスペクトされたのだ。

    今回の嵐のネットアクションでまず初めに目に付いたのは、SNSで発信されるメッセージに必ず英語が併記されていることだった。また、まるでそれがSNS解禁と「同格」のトピックであるかのように大々的に、「東アジア・東南アジアへのJET STORMツアー」と「北京公演」が告知されたことが、私にはひとつの象徴的な出来事に思えてならない。

    英語を併記することは一見すれば英語圏を射程に入れているように思えなくもない。しかしそれは正確な見立てだろうか。
    先進国 (米・欧・日・韓) のポップカルチャーを先進国の若者と対等に消費し、対等に熱狂する東アジア・東南アジア在住の若者が今急速に増加し大きな存在感を持ち始めていることにもっと着眼すべきだと私は考える。英語であるが、ターゲットはアジアなのだ。

    アジアの中流以上の若者は同水準の生活をする日本人よりも明らかに上手な英語を話す。先進国 (米・欧・日・韓) のポップカルチャーをバリバリ消費する彼らの背景には家庭の経済力がある。彼らは特権的な教育を受けているから英語を話すし、外国のポップカルチャーへの飢えを満たす武器として「英語でググる」現場力を習慣として養っている。
    嵐の公式Twitterが始動してから五つ目にTweetされた内容が興味深かった。


    僕たちは世界中のファンの皆さんが大好きです。 あなたがどこに住んでいるか知りたいです! 教えて下さい!
    We love all of our fans across the globe. We want to know where you are from! Let us know!
    #ARASHI #嵐


    このTweetに5万を越えるリプライがついている。そのリプライを辿るとほとんどが日本人ではない東アジア・東南アジア人による英語で書かれたTweetだった。台湾。中国。香港。フィリピン。インドネシア。マレーシア。シンガポール。韓国。日本人の「黄色い声」がもうそこでは「黄色い声」としての存在感を持っていなかった。
    『Turning Up』の歌詞を見てみると、


    世界中に放て
    Turning up with the J-pop!


    がサビの最後をキメる。
    MVでは日本のパスポートにスタンプを押して飛行機に乗り、世界へ飛び出してはじけるメンバー五人が描かれている。

    嵐はアジアを見て、インターネットに打って出た。日本国内に限れば秘密主義・閉鎖主義もブランディングになったが、世界から見ればただの時代遅れだ。彼らはそのうち台湾で流行している髪型にカットして、マレーシアで最先端の曲調を取り入れて、インドネシア語混じりの曲を歌うことになるかもしれない。
    今回の一斉解禁は一見すると積極攻勢のようだが、見方によっては「外圧」にやられた「開国」と言うこともできる。市場としての「外」を無視できなくなり、そのパワーで「内」の論理の破壊を迫られた形になるからだ。
    だがそれは希望的な開国であり希望的な破壊である。ガラパゴス化した、世界第二位の音楽市場を持つJポップが世界に放たれるときが来たのだ。
    『アジアの黄色い声がJポップを変える』 を詳しく ≫
  • ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。
    The ManRayはそんなバンドだ。
    だから安心して聴ける。
    メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。
    それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。

    良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。
    ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための道筋を歌が引いている。
    The ManRayはきっと一曲への拘りは薄いのだと思う。
    まるで、世紀の大名曲なら、いくつか既に世に送り出してきたベテランバンドのように。
    その余裕が塩梅の良い編曲に繋がっている。
    Beatlesの『Drive My Car』を彷彿とさせる『Ride My Car』ではとくにそれが顕著だ。

    まず曲が短い。終わり方は崩れ落ちるようにあっさりだ。
    一番盛り上がるのはギターソロ。
    泣きのフックもない。
    BPMもゆっくりだ。
    粘っこいリズム。
    こんな小品。なかなかリード曲にできない。
    要するに一般人には結構レベル高い。

    彼らの楽曲に一貫するこの手の美意識は、何を原動力に成り立っているのだろうか。

    それは自らのバンドコンセプトへの徹底した信頼なのかもしれない。
    Profileには次のように書かれている。


    "荒々しく土臭いサウンドに気怠いなかに苦みを 効かせたヴォーカル。クールかつルードな佇まいで、時代に媚びないロック美学を熱く貫くリアル・ロックバンド!!"


    なるほど、まさしくその通りである。
    良いバンドには良いコンセプトがある。
    良いコンセプトとは、わかりやすいコンセプトだ。
    人のキャラクターと同様で、パッと見で理解しやすいと人は心の障壁を取り除く。
    たくさんの顔と趣味を持っている男が、ラーメンの食べ歩きが趣味です、と自己紹介するように、多様なジャンルの音楽制作に精通したクリエイターが、パワーコードのパンクロッカーとして生きていくことはありえるし、それはとてもクールなことなのだ。私はThe ManRayにはそれと似た佇まいを感じている。

    今後、あくまで友好的に見守りたい課題があるとすれば、The ManRayのコンセプトがあまりに、"時代に媚びないロック"にすぎるところかもしれない。おそらく、一般人には理解できなくても、多くの音楽好きにThe ManRayのセンスは愛されるだろう。全く別のジャンルからもリスペクトされ得る"媚びないロック"がそこにある。
    しかしロックバンドたるもの、時代に媚びずとも、時代が媚びてくるくらいのポピュラリティをどこかで獲得する可能性を秘めて欲しいものだと、私は思っている。
    安心して聴ける良質のロックアルバムを3枚くらい出した暁には、獲得したファンと自らのキャッチコピーを裏切るような動きをしてみては、と思っていたりする。
    『バンドコンセプトへの徹底した信頼』 を詳しく ≫
  • クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。
    いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。

    クラシック音楽は、格好良い。
    尊敬される、良質な趣味だ。
    日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。

    果たして。
    そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。

    YouTube、TSUTAYA、タワーレコード。
    ベートーヴェン、モーツァルト、ショパン。
    知っている名前をつかって、馴染みの場所でそれを探して、音源に辿り着く。きっと彼らは感動したはずだ。

    やっぱり、クラシック音楽は良い。

    自分はクラシック音楽を好きになれる。

    自分はクラシック音楽の良さを理解できる……。


    さて、さらにその後は、いかがだろうか。
    私の周りを見渡した限り、そして私自身を振り返った限りにおいて、ほんとうの意味でクラシック音楽を趣味として確立できている人は見当たらない。少しばかり詳しくなって、それきりだ。

    面白いことに、音楽それ自体にどれだけハマっていたかは問題にならない。私のように、創作側に片足を突っ込んで人生を棒に振った輩から、ポップスすら聴かない真っさらな状態でクラシックにチャレンジした人まで。みな同じようにして、クラシックに接近し、そして無かったことにしていった。


    さて、そんな問題に意識的にアプローチしただけでも、good umbrella recordのRE-CLASSIC STUDIESは値千金である。私たちはクラシック音楽を聴きたい。クラシック音楽は私たちに聴かれたい。相思相愛にも関わらず引き裂かれた両者を繋ぐことを、このプロジェクトは目的としている。

    RE-FAURÉではまず、パッケージングの妙を聴いてほしい。
    全40分の音源に、Prefuse73(スコット・ヘレン)による7つのInterlude(幕間)が含まれている。ピアノと歌で再現された13のガブリエル・フォーレの歌曲の間に、適宜、Interludeが挟まるのだ。それがなんとも心強い安心感と、興味をそそるストーリーを与えてくれる。


    ベストアルバムではなくオリジナルアルバムを聴いてこそ、そのアーティストを知れる理由があるとすれば、そこにパッケージングがあるからだ。パッケージングにはアーティストの文脈が顕れる。文脈への理解と、文脈に身を委ねる安心感が、音楽への愛着を強化し私たちを音楽に没入させる。クラシック音楽の敷居が高くなってしまった背景には、クラシック音楽の持つ文脈が、他の音楽に比べて見えづらいことがある。だから、愛着が持続しないのだ。

    Prefuse73の功績だけではない。RE-CLASSIC STUDIESと銘打ったこと自体にも、強い文脈を宿らせる力がある。コンセプトを打ち出し、シリーズをつくったことで、クラシック音楽にトライするときの拠り所の無さが解消されていることに私は気づく。


    楽曲の再評価はそれこそ音源を聴くに任せておこう。
    RE-FAURÉでは、Jessicaのボーカルも良かった。良い意味で気安く、カジュアル。若々しく無垢な声。大作家を歌いこなそうという気負いをあまり感じさせず、だから古典に寄り添いすぎず、成熟しすぎず、瑞々しい現代の音楽になっている。中川瑞葉のピアノはとびきりメロディックだ。流麗だったり軽快だったりする前半から、聴き進むにつれ次第に陰影が強くなっていく後半への流れは、主張を増していくPrefuse73のInterludeとともに、中川瑞葉の熱量が大役を果たしている。

    それにしてもRE-CLASSIC STUDIESは、何もかもが易きに流れるいまの世の中にしては、随分と足腰の強さを感じるプロジェクトだ。WEBページには次のような惹句がある。


    "モーツァルトも、ドビュッシーも、フォーレも、(ビートルズやレディオヘッドのように)素晴らしいメロディーメーカーであり、「ソングライター」です。"WEBページより)


    まったく素晴らしい惹句だ。クラシックもロックもジャズも、どれが良いわけでもないのだ。分断された世界を、再解釈で繋ぐ、真の意味で実験的で批評的なこのプロジェクトを楽しみたい。
    『クラシック音楽は私たちに聴かれたい』 を詳しく ≫
  • 幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。

    ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。
    水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。
    それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。


    ホラー小説、ホラー映画。ホラーは人々に恐怖をあたえるジャンルだ。

    恐怖は原始的な感情だ。かつて世界は恐怖に満ちていた。自然災害、獣、暗闇、大海、炎、死、死者、未知数の共同体、敵対する部族、民族。生命の脅威に怯えるとき、人々は恐怖を感じる。

    病気や交通事故などを除いて、生命の脅威がほとんど取り払われたユートピアのような現代社会で、私たちは恐怖以外の些細なものに囚われて生きている。エンターテイメントとしてのホラーは、偉大なる恐怖という感情を利用して、恐怖以外の些細なものごとから私たちを解き放ち、カタルシスを与える力を持っている。

    恐怖以外の些細なものごと。それらは、不安という形で私たちに巣食っている。どう転んでも死にはしないものごとに囚われて、私たちは不安とともに生きている。

    水野智広の音楽が不安を解毒する理由は、現実世界に付きまとう即物的な不安とはまるで異質な、ヒヤッとした社会の裏側をつきつけてくることによる。彼の曲の中ではやすやすと人が死んでしまうが、それをシュールなギャグだと笑い飛ばしてしまうのはちがう。彼の曲には、そうやって笑い飛ばしてしまう自分自身を冷ややかに見ている視線が存在する。
    見えている世界が、一瞬だけネガを反転させて、やがてもとに戻る。戻ってきたときに私たちにはネガの残像が強く焼き付いている。その残像で、目の前に在る当たり前の世界が少しだけ嘘くさく見える。そこに、ホラー短編の読後のような非日常感と、カタルシスがある。そしてその余韻の中でふと気づく。私たちの日常生活に巣食っていた不安たちがそのときとても小さくなっていることに。なぜなら、ネガの反転した世界の恐ろしさが、よほど強烈な印象を残しているからだ。



    音楽的には、メロディ、リフ共に、ひとつの印象的なアイデアだけで一曲を貫き通すことが多く、少し物足りないくらいの小品に仕上げている。短いのに、いや短いからこそ、曲が終わった後に変な余韻を残している。そのあたりも短編小説の趣きだ。抽象度は高いが上述のようにばりばりコンセプチュアルな歌詞世界と曲調がリンクし、オリジナリティは抜群だ。

    音楽にドラマティックな感情の高ぶりを求める癖がついていると、それとは全く異質のベクトルに戸惑うかもしれない。しかし、日常に振り回されていることの小ささを感じてしまうほどの、もっとおおきなものへの畏怖を彼の曲は呼び覚ましてくれる。それは図らずしも、古来からあらゆる芸術の根幹に必要とされてきたものである。
    『反転したネガの残像』 を詳しく ≫
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