ZeroBeat自分でみつける音楽のためのWEBメディア

TAG SEARCH(複数選択可)

RANDOM MUSICランダムおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • ニューゲームがはじまる

    水野智広

    幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。 ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。 水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。 それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。

  • Be Noble

    ぼくのりりっくのぼうよみ

    音楽業界という謎の機関による絶賛を除いて、「ぼくのりりっくのぼうよみ」が絶賛されているところを見たことがない。 いきなり口がわるく申し訳ないがぼくはそう思う。 ただ、ぼくにとって音楽業界という謎の機関は、芸能関係者という謎の関係者と同じくらい情報に通じているという認識なので、ぼくは絶大な信頼を置いている。 だから、ぼくは「ぼくのりりっくのぼうよみ」を全面的に信頼している。もしも「ぼく

  • サママ・フェスティバル!

    Mrs. GREEN APPLE

    ハイトーンヴォイス。童顔。リードを分け合うソロ。裏声。カラフルなMV。子供。目線。ダンス。メンバーのダンス。子供のダンス。サンサン太陽。ギラギラ浴びて。イェイイェイイェ。ハタチでのメジャーデビュー。 このバンドの青写真を最初に思い描いたのは、誰なのだろうか。バンド自身なのか、フロントマン大森元貴なのか、テアトルアカデミーなのか。 所属事務所のテアトルアカデミーが、主にタレントの養成を行

  • 最高なしあわせ

    加藤ミリヤ

    サビの出だしが、「最高なしあわせ」ではじまる。その譜割りがとても良い。 「し」と「あ」が繋がって発音される様がとても洋楽的である。 奇抜一歩手前まで攻めるファッションからして、そんじゃそこらの可愛いだけの女とは違う、というパッションが伝わってくるだけあって、『最高のしあわせ』のようなバラードであっても、お茶の間のテレビには似合わさない大人っぽいアレンジである。 この世界には、加藤ミリ

  • 自意識不明

    nervous light of sunday

    カオティックという言葉がある。 その言葉の選ばれ方において、カオティックと、カオスは全く別物である。 カオスは字義通り混沌の意味。 ジャンルレスであったり、特にそれが無秩序な印象につながっていたりすると人は、カオスな曲だ、と表現する。 他方、カオティックはむしろ秩序だ。 具体的には、スクリーモ、あるいはスクリーモ系のエモ、ハードコア、メタルコア、ミクスチャーロックなどを主戦場とするバ

  • 夜空を全部

    sora tob sakana

    拝啓、オルタナティブ夏の夜。 東京の冬は寒いです。 2017年は特急列車のように過ぎ去ってゆきます。 星を見る間もなく、小さなiPhoneの画面上で繰り広げられる宇宙に私たちは喜怒哀楽を捧げるようになりました。夜空を全部束ねてみたら、いいねのひとつでも貰えるかもしれません。 あの頃とは何もかもが違いますね。しかし、それで良いのかもしれません。私たちはそのときどきに目の前を通

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • 円盤少女の和田純次はめっちゃ良いメロディを書く。
    ただただ良いメロディを書く。
    それ以上でもそれ以下でもない。良いメロディを書く。

    これ。きっとまだ世の中のほとんどの人は知らないと思うんだけど、私は声を大にして言いたい。この人の書くメロディは良い。


    明るく切ない、日本の歌謡曲の正道を行く美しいメロディだ。
    とてもベタで王道だ。
    でも決して安易ではない。
    あーあ。ってなりそうなギリギリのところで、メロディが逆方向に折れ曲がって、オッて思わせてくれる。ギリギリのところでコード進行にもうワンチャンスある。

    新しいメロディはもう生まれないと、もう何年も前から言われている。
    事実、最先端と呼ばれるアーティストたちは、歌ものなんてとっくに諦めている。

    和田純次のメロディは新しくないかもしれない。
    でも、あーあ。ってなっちゃう安易なメロディじゃない。
    古典的な歌謡曲が永久欠番にしてしまったズルいメロディたちを、ギリギリのところで使いこなしている。
    こんなことできるソングライター、いまほとんどいないと思う。織田哲郎とかそういうレベルだと思う。
    これはけっこう真面目に思っているんだけど。


    和田純次はメロディメイクの際の綱渡り的なベクトルを、歌詞でも志向している。歌詞も良いと思う。ベタで甘く青い世界観だけど、こっ恥ずかしくない。言葉も自分の言葉だ。歌の題材も彼の世界から出てきている。聴けば分かる。上手いと思う。ああ素敵だなと思う。

    サウンドはシンプルだ。
    いじわるに言えば、意外性はない。
    しかし、メロディと歌詞の良さがビンビンに響いてくる潔いバンドサウンドだ。
    ギターのリフやオブリガードも、ポップスに相応しいメロディを鳴らしていると思う。

    『あの娘のギターはタイムマシン』は彼らの中でも特に完成度の高い曲だ。完璧だと思う。大好きだ。美しいメロディだなと思う。中学生のとき、はじめてのCDを買う前に『小さな恋のうた』を口ずさんでいたように、『あの娘のギターはタイムマシン』を口ずさんでいる自分がいる。


    日本のロックは案外悪くない歴史を歩んできたのかもしれない。
    円盤少女を聴いてそう思った。
    こんな何の変哲もないバンドサウンドと歌心のあるメロディだけで、それでもグッと来てしまう。私もいろんな音楽を聴いてきた気がするんだけど、いろんな理屈を知ってきた気がするんだけど、理屈じゃないんだなあと思う。


    しかし、私もこれを書いていて思うが、円盤少女と和田純次の良さを言葉にするのは随分とむずかしい。理屈による証明に持っていけない。だから私は円盤少女の良さを伝える、誰もが納得してくれる文章を完成させることを諦めた。だからこんな取り留めのない文章を書いている。大したことは何も書けてはいないけど、ここで一発何かしら書いておかないと、自分自身の耳に不誠実な気がしたから。円盤少女に不誠実なんじゃない、自分にとっての不誠実。まじで良いと思ったんだぜ。

    私は円盤少女の追っかけにはならないだろう。今だって、ファンだなんて自信持てるほど聴き込んではいないのかもしれない。でも今後、彼らによってもっと良い曲が書かれるだろうと私は普通に思っている。それを自分は聴くだろうなと思う。
    『歌謡曲が永久欠番にしたメロディ』 を詳しく ≫
  • 音楽業界という謎の機関による絶賛を除いて、「ぼくのりりっくのぼうよみ」が絶賛されているところを見たことがない。

    いきなり口がわるく申し訳ないがぼくはそう思う。
    ただ、ぼくにとって音楽業界という謎の機関は、芸能関係者という謎の関係者と同じくらい情報に通じているという認識なので、ぼくは絶大な信頼を置いている。

    だから、ぼくは「ぼくのりりっくのぼうよみ」を全面的に信頼している。もしも「ぼくのりりっくのぼうよみ」をぼくが好きにならなかったらそれはぼくが間違っている。ぼくにとって音楽業界というのはそういう存在なのだ。

    『Be Noble』をぼくは聴いてみた。
    ぼくにはこの曲の良さが分かるはずだ。
    わかるぞ。わかる。これはすごい曲だ。
    例えば歌詞だ。音楽業界がいつも「ぼくのりりっくのぼうよみ」の歌詞を絶賛していることをぼくは知っている。


    "盤上の広がる森羅万象"

    "どうせ全部蜃気楼と大差ない選民思想"

    "此処にいる意味のために what I do without u"

    "叱りつけて前へ進む 進む let mi know"


    とても難しい言葉が並んでいてぼくにはあんまり理解できないが、「ぼくりり」がとても難しいことを考えていて、それを芸術的に表現していることがわかる。英単語も学校では習わないものがつかわれていることを指摘しておきたい。


    次に、トラックだ。
    一聴しただけではトラックというやつが何なのかぼくはよくわからないが、大きい車か、運動場のどちらかであることは間違いない。
    いや、落ち着いて考えよう。「ぼくりり」のことだから、その二つの意味を掛けているのかもしれない。
    すごい。なんて、天才的なんだ。
    ぼくも音楽業界と同感である。
    「ぼくのりりっくのぼうよみ」はトラックが抜群に良い。


    そしてラップだ。
    「ぼくのりりっくのぼうよみ」はラッパーなのだ。ラッパの技術では右に出るものはいない。『Be Noble』でも最高のラップを聴かせてくれる。ぼくはまるで歌のようだと思った。BUMP OF CHICKENの声のようなラッパを吹くものだと感心した。


    最後に「ぼくのりりっくのぼうよみ」は頭が良い。
    音楽業界は彼の頭の良さを積極的に指摘している。頭が良いことは音楽家にとって特筆すべきことだ。ぼくたちは「ぼくのりりっくのぼうよみ」のCDを聴くと同じくらい、彼のインタビューをインターネットで読むべきだ。東大に落ちたらしいが、東大を受けたということは東大に受かることと同じくらいすごいことなのだとぼくは思う。


    頭が良く進歩的な「ぼくりり」は2ndアルバムのタイトルを冠した『NOAH’S ARK』というオウンドメディアを立ち上げた。ぼくはこれを素直にすごいと思う。その理念の一部を次に引用する。


    "あふれる情報の洪水に流されることなく、きちんとものごとを考え、この世界で生きていくためには何をすればいいのか"


    Twitterでは、それをふまえて次のようなTweetをしている。


    "評論家の方々が書かれている、意味わかんないけどいい感じにみえる抽象的で曖昧な言説って、いま氾濫してるノイズのひとつだと思うんですよね 無意味
    で、そういうのに惑わされないような力をみんなが持ってる方が楽しい世界になるな、と思って今回メディアをはじめました"


    宛先は、評論家の宇野維正だ。ぼくも「ぼくりり」に同感だ。ぼくも新しい音楽を抽象的に、曖昧に褒めて、流行に流されながら新しいシーンをパズルして、音楽に価値をあたえた気になっている、歌も歌えない音楽評論家と音楽業界がだいきらいだ。
    『音楽業界と音楽評論とぼくとぼくりり』 を詳しく ≫
  • GLAYの記憶は小学三年生の頃まで遡る。
    クラスメイトの女の子が大ファンだった。
    KinKiKidsではどっち派?みたいなノリで、GLAYでは誰派?といった会話がクラスでなされていたのは彼女の影響だった。音楽なんてかけらも興味なかった私だから、それでも誰一人名前を覚えられなかった。そして、その子はその年に転校してしまうことになる。

    私にとってGLAYは一度そこで終わる。


    次は大学二年のときだった。
    バイト先にバンドマンの先輩がいた。
    夏に函館に旅行に行ったんだ、と彼に話すと、「GLAYの母校行った?」と訪ねてきた。当時、私は既に音楽が大好きだった。しかしGLAYの母校には行っていない。

    驚いたのは、函館イコールGLAYという方程式が彼の中で結ばれていたこと。そしてその前提を私も当たり前のように共有していると彼が考えていたことだ。

    GLAYの出身地を私は知らなかった。それは珍しいことなのだろうか。GLAYはそれほどまでに偉大なバンドだったのだろうか。

    私にとって二度目のGLAYはここで終わる。

    BLANKEY JET CITYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに影響を受けていると公言し、NUMBER GIRLのようなオリジナルバンドでベースを弾いていた先輩のルーツはB'zだったことを知ったのはその後だ。

    そのとき私はひとつ理解する。GLAYもきっとそうだったんだろう。先輩を音楽の世界へ引き込みロックスターモラトリアムで大学院にまで進学させてしまった戦犯。ゼロからイチに持っていく音楽の原体験。B'zと共にGLAYもその役割を務めたのだ。それは確かに偉大なバンドにしかできないことだった。


    しばらくして、多くのベテランバンド同様GLAYの実績は各方面で再評価される。CDからライブへ。自主レーベルのloversoul music & associates。オフィシャルストアのG-DIRECT。チームとしてキャリアチェンジに成功し、やりたいこととやれることと評価のバランスが整う。ストレス無くクリエイティビティに専念できる。ここ数年のGLAYはそんなステージにあると端からは見える。私がGLAYを聴くようになったのもこの時期だ。

    連動して目立ってきたのが、TAKURO以外のメンバーの作曲だ。
    特にHISASHIはお茶目でラフなサウンドプロダクションが光っている。GLAYの音に遊び心があり、意外と面白いロックをやってると、コアなロックファンに気づかせているのは彼だと思う。

    『デストピア』もHISASHIの曲だ。やはりギターが格好良い。TERUにコードカッティングを任せたのは彗眼。HISASHIとTAKUROが余裕綽々にリードを分け合う様がスリリングで、疾走感が気持ち良い。メロディラインにはパンキッシュなハリがあり、ドラマティックなTAKUROの引き出しからは出てこないもの。オルタナミクスチャーバンドがメジャデビューでポップに振り切りました!みたいな若々しさすら感じる。まさに今のGLAYのコンディションが良く、バンドの絶え間ない変化を良い形で魅せてくれる曲だ。

    仲の良さは有名だが能力的なパワーバランスもGLAYは均整が取れていると思う。TAKUROがソロを始めるのも、他のメンバーの才能に刺激を受けているからだろう。メインソングライターがそうしてアイデンティティの確認作業に勤しむのだ。だからバンドは面白い。

    そう、いまになって私は改めてクラスメイトに尋ねてみたいのだ。GLAYでは誰派?
    『三度目の正直 GLAYでは誰派?』 を詳しく ≫
  • 圧倒的に聴きやすいのに圧倒的に独自性に満ちている。


    あなたが古き良き温かい時代に生まれずに、絶望ばかりのこんな時代に生きていることを恨んでいるのなら、

    あるいは、

    失われた青春時代の自分から、今の自分はどうしてここまでかけ離れてしまったのかと嘆いているのなら、


    あなたが聴くべき音楽は、
    あなたにとっての懐メロではなく、
    ラッキーオールドサンだ。


    ラッキーオールドサンを聴けば、
    この世のすべての過去は、
    いま目の前のこの現実こそが、
    セピア色で、
    温かく、
    愛おしさに溢れたレトロな世界へと、
    断続的に変わっていったものだったのだと、
    知ることができる。



    ある意味、このバンドは非常にテクニカルだと思っている。
    月島雫が大人になったような、唱歌のようなナナの歌声も、どこまでもクリーンにこだわり抜かれた篠原良彰の美学的なギターも、カーステレオ、木綿のハンカチーフ、十三回忌の母、といった言葉選びも、サングラス、ホテル・カリフォルニア、追憶のハイウェイ61、A LONG VACATION、カッタウェイの無いエレキギターといったMVの小道具も、ある雰囲気を表現するための意匠として申し分なさすぎて怖いくらいだ。ここまでアジャストされた意匠を取り揃えたセンスに、ラッキーオールドサンの、演出家としての、高等なテクニックを感じざるを得ない。


    ところで、ラッキーオールドサンは、優しいだけの音楽だろうか。癒されるだけの音楽だろうか。現状をただ肯定するだけの音楽だろうか。前向きに生活へと向き合うためのサプリメントのような音楽だろうか。私は、それは違うと思っている。

    ラッキーオールドサンは確かに、三丁目の夕日的な直線的な癒やしのノスタルジーとして消費されてしまう可能性を常にはらんでいる。また、批判的に捉えたい人は、そのように誤解すれば、たやすく批判できてしまう。その種のガードの弱さが、ラッキーオールドサンにはある。上述の無数のレガシーな意匠たちこそ、批判されるとき、槍玉に挙げられてしまうだろう。

    しかし、その意匠たちはあくまでテクニカルな産物である。私が思うに、ラッキーオールドサンの本質は別のところにある。彼らの本質は、ライブハウスではなく、カフェや飲食店と併設されたイベントスペースでのパフォーマンスを頻繁に行っているところに隠れている。

    どういうことか。
    次のことを再確認したい。
    ライブハウスは音楽が必要とされている空間ではないということだ。

    例えば、飲食店は音楽を必要とする。なぜなら私たちは気分良く食事をしたいし、店主は私たちが気分良く食事することを望んでいるからだ。バーは音楽を必要とする。私たちは気分良くお酒を楽しみたいし、マスターは私たちがバーでお酒を片手に最高のひとときを過ごすことを望んでいるからだ。大半の飲食店はBGMを流す。そして、特別な居心地を提供したい飲食店は、音楽家を招き、生演奏を披露する。

    立ち戻ろう。ライブハウスは、音楽が必要でないのに、わざわざ音楽を鳴らしにいく場所である。コンサートの日になると演奏家と聴衆が一斉にからっぽのライブハウスに集結する。そこに初めから音楽を待っている人はいない。


    結論に行こう。要するに、ラッキーオールドサンは、音楽が必要とされている場所に、音楽を届けることを生業としている。必要としていない人に自分の音楽をなんとか聴いてもらい、ライブハウスに来てもらうのではなく、必要としている人のもとにフワリと音楽を置きにいく。それは音楽の慣性に倣った音楽との関わり方である。
    二人は意識的に選んでいるわけではないかもしれない。しかし、この差異はとても重要なことだ。
    音楽の慣性に倣うことで自ずと、つくる曲も、演奏も変わってくる。ラッキーオールドサンのオーガニックな音楽性は、音楽の慣性への、身体的、精神的な適応がもたらしたものである。

    音楽の慣性との付き合い方については、また別の場所で掘り下げる価値があると思っている。ラッキーオールドサンの活動スタイルは、その際の問題提起として起票するに値する批評的なものだ。

    最後に、
    MVでスカイラインを運転している男性がいい味を出している。
    この曲をシングルカットするなら、CDジャケットはタバコに火をつける彼の横顔で決まりではないだろうか。
    『あなたにとっての懐メロではなく』 を詳しく ≫

NEW MUSIC最新のおすすめ楽曲から音楽をみつける

  • Turning Up

    嵐(ARASHI)

    嵐がインターネット (YouTube、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、Weibo) を解禁したことは2019年のJポップ最大のニュースだ。彼らがただのアイドルから一皮むけたのはもう十年くらい前だったと記憶している。斜に構えていることの多い私の大学の友人たち (男性) の間では、その頃同じようにチャートを席巻していたAKBグループやEXILE TRIBEと比較し

  • Ride My Car

    The ManRay

    ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。 The ManRayはそんなバンドだ。 だから安心して聴ける。 メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。 それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。 良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。 ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための

  • RE-FAURÉ

    Jessica × Mizuha Nakagawa × Prefuse73

    クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。 いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。 クラシック音楽は、格好良い。 尊敬される、良質な趣味だ。 日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。 果たして。 そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。 Y

  • ニューゲームがはじまる

    水野智広

    幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。 ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。 水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。 それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • ハイエース

    フラワーカンパニーズ

    フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、 "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)" ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。 私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

NEW REVIEW最新レビューから音楽をみつける

  • 嵐がインターネット (YouTube、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、Weibo) を解禁したことは2019年のJポップ最大のニュースだ。彼らがただのアイドルから一皮むけたのはもう十年くらい前だったと記憶している。斜に構えていることの多い私の大学の友人たち (男性) の間では、その頃同じようにチャートを席巻していたAKBグループやEXILE TRIBEと比較して、「逆に嵐は格好いい」「嵐はむしろアリ」「なんかハマった」などといった謎のポジティブオーラが醸成されていたことを覚えている。その空気は今も驚くほど変わらない。嵐はなぜかリスペクトされたのだ。

    今回の嵐のネットアクションでまず初めに目に付いたのは、SNSで発信されるメッセージに必ず英語が併記されていることだった。また、まるでそれがSNS解禁と「同格」のトピックであるかのように大々的に、「東アジア・東南アジアへのJET STORMツアー」と「北京公演」が告知されたことが、私にはひとつの象徴的な出来事に思えてならない。

    英語を併記することは一見すれば英語圏を射程に入れているように思えなくもない。しかしそれは正確な見立てだろうか。
    先進国 (米・欧・日・韓) のポップカルチャーを先進国の若者と対等に消費し、対等に熱狂する東アジア・東南アジア在住の若者が今急速に増加し大きな存在感を持ち始めていることにもっと着眼すべきだと私は考える。英語であるが、ターゲットはアジアなのだ。

    アジアの中流以上の若者は同水準の生活をする日本人よりも明らかに上手な英語を話す。先進国 (米・欧・日・韓) のポップカルチャーをバリバリ消費する彼らの背景には家庭の経済力がある。彼らは特権的な教育を受けているから英語を話すし、外国のポップカルチャーへの飢えを満たす武器として「英語でググる」現場力を習慣として養っている。
    嵐の公式Twitterが始動してから五つ目にTweetされた内容が興味深かった。


    僕たちは世界中のファンの皆さんが大好きです。 あなたがどこに住んでいるか知りたいです! 教えて下さい!
    We love all of our fans across the globe. We want to know where you are from! Let us know!
    #ARASHI #嵐


    このTweetに5万を越えるリプライがついている。そのリプライを辿るとほとんどが日本人ではない東アジア・東南アジア人による英語で書かれたTweetだった。台湾。中国。香港。フィリピン。インドネシア。マレーシア。シンガポール。韓国。日本人の「黄色い声」がもうそこでは「黄色い声」としての存在感を持っていなかった。
    『Turning Up』の歌詞を見てみると、


    世界中に放て
    Turning up with the J-pop!


    がサビの最後をキメる。
    MVでは日本のパスポートにスタンプを押して飛行機に乗り、世界へ飛び出してはじけるメンバー五人が描かれている。

    嵐はアジアを見て、インターネットに打って出た。日本国内に限れば秘密主義・閉鎖主義もブランディングになったが、世界から見ればただの時代遅れだ。彼らはそのうち台湾で流行している髪型にカットして、マレーシアで最先端の曲調を取り入れて、インドネシア語混じりの曲を歌うことになるかもしれない。
    今回の一斉解禁は一見すると積極攻勢のようだが、見方によっては「外圧」にやられた「開国」と言うこともできる。市場としての「外」を無視できなくなり、そのパワーで「内」の論理の破壊を迫られた形になるからだ。
    だがそれは希望的な開国であり希望的な破壊である。ガラパゴス化した、世界第二位の音楽市場を持つJポップが世界に放たれるときが来たのだ。
    『アジアの黄色い声がJポップを変える』 を詳しく ≫
  • ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。
    The ManRayはそんなバンドだ。
    だから安心して聴ける。
    メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。
    それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。

    良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。
    ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための道筋を歌が引いている。
    The ManRayはきっと一曲への拘りは薄いのだと思う。
    まるで、世紀の大名曲なら、いくつか既に世に送り出してきたベテランバンドのように。
    その余裕が塩梅の良い編曲に繋がっている。
    Beatlesの『Drive My Car』を彷彿とさせる『Ride My Car』ではとくにそれが顕著だ。

    まず曲が短い。終わり方は崩れ落ちるようにあっさりだ。
    一番盛り上がるのはギターソロ。
    泣きのフックもない。
    BPMもゆっくりだ。
    粘っこいリズム。
    こんな小品。なかなかリード曲にできない。
    要するに一般人には結構レベル高い。

    彼らの楽曲に一貫するこの手の美意識は、何を原動力に成り立っているのだろうか。

    それは自らのバンドコンセプトへの徹底した信頼なのかもしれない。
    Profileには次のように書かれている。


    "荒々しく土臭いサウンドに気怠いなかに苦みを 効かせたヴォーカル。クールかつルードな佇まいで、時代に媚びないロック美学を熱く貫くリアル・ロックバンド!!"


    なるほど、まさしくその通りである。
    良いバンドには良いコンセプトがある。
    良いコンセプトとは、わかりやすいコンセプトだ。
    人のキャラクターと同様で、パッと見で理解しやすいと人は心の障壁を取り除く。
    たくさんの顔と趣味を持っている男が、ラーメンの食べ歩きが趣味です、と自己紹介するように、多様なジャンルの音楽制作に精通したクリエイターが、パワーコードのパンクロッカーとして生きていくことはありえるし、それはとてもクールなことなのだ。私はThe ManRayにはそれと似た佇まいを感じている。

    今後、あくまで友好的に見守りたい課題があるとすれば、The ManRayのコンセプトがあまりに、"時代に媚びないロック"にすぎるところかもしれない。おそらく、一般人には理解できなくても、多くの音楽好きにThe ManRayのセンスは愛されるだろう。全く別のジャンルからもリスペクトされ得る"媚びないロック"がそこにある。
    しかしロックバンドたるもの、時代に媚びずとも、時代が媚びてくるくらいのポピュラリティをどこかで獲得する可能性を秘めて欲しいものだと、私は思っている。
    安心して聴ける良質のロックアルバムを3枚くらい出した暁には、獲得したファンと自らのキャッチコピーを裏切るような動きをしてみては、と思っていたりする。
    『バンドコンセプトへの徹底した信頼』 を詳しく ≫
  • クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。
    いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。

    クラシック音楽は、格好良い。
    尊敬される、良質な趣味だ。
    日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。

    果たして。
    そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。

    YouTube、TSUTAYA、タワーレコード。
    ベートーヴェン、モーツァルト、ショパン。
    知っている名前をつかって、馴染みの場所でそれを探して、音源に辿り着く。きっと彼らは感動したはずだ。

    やっぱり、クラシック音楽は良い。

    自分はクラシック音楽を好きになれる。

    自分はクラシック音楽の良さを理解できる……。


    さて、さらにその後は、いかがだろうか。
    私の周りを見渡した限り、そして私自身を振り返った限りにおいて、ほんとうの意味でクラシック音楽を趣味として確立できている人は見当たらない。少しばかり詳しくなって、それきりだ。

    面白いことに、音楽それ自体にどれだけハマっていたかは問題にならない。私のように、創作側に片足を突っ込んで人生を棒に振った輩から、ポップスすら聴かない真っさらな状態でクラシックにチャレンジした人まで。みな同じようにして、クラシックに接近し、そして無かったことにしていった。


    さて、そんな問題に意識的にアプローチしただけでも、good umbrella recordのRE-CLASSIC STUDIESは値千金である。私たちはクラシック音楽を聴きたい。クラシック音楽は私たちに聴かれたい。相思相愛にも関わらず引き裂かれた両者を繋ぐことを、このプロジェクトは目的としている。

    RE-FAURÉではまず、パッケージングの妙を聴いてほしい。
    全40分の音源に、Prefuse73(スコット・ヘレン)による7つのInterlude(幕間)が含まれている。ピアノと歌で再現された13のガブリエル・フォーレの歌曲の間に、適宜、Interludeが挟まるのだ。それがなんとも心強い安心感と、興味をそそるストーリーを与えてくれる。


    ベストアルバムではなくオリジナルアルバムを聴いてこそ、そのアーティストを知れる理由があるとすれば、そこにパッケージングがあるからだ。パッケージングにはアーティストの文脈が顕れる。文脈への理解と、文脈に身を委ねる安心感が、音楽への愛着を強化し私たちを音楽に没入させる。クラシック音楽の敷居が高くなってしまった背景には、クラシック音楽の持つ文脈が、他の音楽に比べて見えづらいことがある。だから、愛着が持続しないのだ。

    Prefuse73の功績だけではない。RE-CLASSIC STUDIESと銘打ったこと自体にも、強い文脈を宿らせる力がある。コンセプトを打ち出し、シリーズをつくったことで、クラシック音楽にトライするときの拠り所の無さが解消されていることに私は気づく。


    楽曲の再評価はそれこそ音源を聴くに任せておこう。
    RE-FAURÉでは、Jessicaのボーカルも良かった。良い意味で気安く、カジュアル。若々しく無垢な声。大作家を歌いこなそうという気負いをあまり感じさせず、だから古典に寄り添いすぎず、成熟しすぎず、瑞々しい現代の音楽になっている。中川瑞葉のピアノはとびきりメロディックだ。流麗だったり軽快だったりする前半から、聴き進むにつれ次第に陰影が強くなっていく後半への流れは、主張を増していくPrefuse73のInterludeとともに、中川瑞葉の熱量が大役を果たしている。

    それにしてもRE-CLASSIC STUDIESは、何もかもが易きに流れるいまの世の中にしては、随分と足腰の強さを感じるプロジェクトだ。WEBページには次のような惹句がある。


    "モーツァルトも、ドビュッシーも、フォーレも、(ビートルズやレディオヘッドのように)素晴らしいメロディーメーカーであり、「ソングライター」です。"WEBページより)


    まったく素晴らしい惹句だ。クラシックもロックもジャズも、どれが良いわけでもないのだ。分断された世界を、再解釈で繋ぐ、真の意味で実験的で批評的なこのプロジェクトを楽しみたい。
    『クラシック音楽は私たちに聴かれたい』 を詳しく ≫
  • 幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。

    ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。
    水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。
    それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。


    ホラー小説、ホラー映画。ホラーは人々に恐怖をあたえるジャンルだ。

    恐怖は原始的な感情だ。かつて世界は恐怖に満ちていた。自然災害、獣、暗闇、大海、炎、死、死者、未知数の共同体、敵対する部族、民族。生命の脅威に怯えるとき、人々は恐怖を感じる。

    病気や交通事故などを除いて、生命の脅威がほとんど取り払われたユートピアのような現代社会で、私たちは恐怖以外の些細なものに囚われて生きている。エンターテイメントとしてのホラーは、偉大なる恐怖という感情を利用して、恐怖以外の些細なものごとから私たちを解き放ち、カタルシスを与える力を持っている。

    恐怖以外の些細なものごと。それらは、不安という形で私たちに巣食っている。どう転んでも死にはしないものごとに囚われて、私たちは不安とともに生きている。

    水野智広の音楽が不安を解毒する理由は、現実世界に付きまとう即物的な不安とはまるで異質な、ヒヤッとした社会の裏側をつきつけてくることによる。彼の曲の中ではやすやすと人が死んでしまうが、それをシュールなギャグだと笑い飛ばしてしまうのはちがう。彼の曲には、そうやって笑い飛ばしてしまう自分自身を冷ややかに見ている視線が存在する。
    見えている世界が、一瞬だけネガを反転させて、やがてもとに戻る。戻ってきたときに私たちにはネガの残像が強く焼き付いている。その残像で、目の前に在る当たり前の世界が少しだけ嘘くさく見える。そこに、ホラー短編の読後のような非日常感と、カタルシスがある。そしてその余韻の中でふと気づく。私たちの日常生活に巣食っていた不安たちがそのときとても小さくなっていることに。なぜなら、ネガの反転した世界の恐ろしさが、よほど強烈な印象を残しているからだ。



    音楽的には、メロディ、リフ共に、ひとつの印象的なアイデアだけで一曲を貫き通すことが多く、少し物足りないくらいの小品に仕上げている。短いのに、いや短いからこそ、曲が終わった後に変な余韻を残している。そのあたりも短編小説の趣きだ。抽象度は高いが上述のようにばりばりコンセプチュアルな歌詞世界と曲調がリンクし、オリジナリティは抜群だ。

    音楽にドラマティックな感情の高ぶりを求める癖がついていると、それとは全く異質のベクトルに戸惑うかもしれない。しかし、日常に振り回されていることの小ささを感じてしまうほどの、もっとおおきなものへの畏怖を彼の曲は呼び覚ましてくれる。それは図らずしも、古来からあらゆる芸術の根幹に必要とされてきたものである。
    『反転したネガの残像』 を詳しく ≫
line_banner
「1」【初回限定盤】
「1」【初回限定盤】
posted with amazlet at 16.11.13
ドレスコーズ
キングレコード (2014-12-10)
売り上げランキング: 28,046
オーディション【初回限定盤】
ドレスコーズ
キングレコード (2015-10-21)
売り上げランキング: 18,732
【Amazon.co.jp限定】人間ビデオ【R.I.P.デラックス盤】(オリジナルCD付)
ドレスコーズ
キングレコード (2016-10-12)
売り上げランキング: 17,914