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  • 夢見る人

    さだまさし

    ドラマ主題歌として書き下ろしの曲。 線の細いフォーク歌手であった往年のイメージからすると、出だしから、重厚なストリングスとピアノの光沢にいささか面食らう。 AKB48の指原莉乃が自身の誕生日にディナーショーを開催して話題になった。さすがの彼女も当日はドレスアップしており、日本歌謡史のスタンダードナンバーを中心に据えたセットリストはディナーショーに相応しい、フォーマルな仕上がりだったようだ。

  • ランアンドラン

    KANA-BOON

    若手正統派ロックバンドの大本命としてここ数年認知されているが、その原型は言われるほど「正統派」では無かった気がする。百歩譲ってイケメンでないことは置いておくとしても、谷口鮪の声には独特のねちっこさがあったし、楽曲もポップではあるが日本人好みの泣きメロは比較的少なかった。古賀隼斗のギターはまあまあ主張が強かったし。2013年のサマソニを見た時点で、ロックバンドらしさは抜群だったが、大衆の心を掴むなら

  • Make a song

    パンクロッカー労働組合

    いまどきこんな純度の高いなハードコアバンドがいたとは。 シンプルなリフが良い。 結局グッドメロディじゃないか、みたいな甘っちょろいところが無いのが良い。 こんなバンドに対してあえて言いたいが、パンクロッカー労働組合はとても音楽的である。 激しいだけの音楽ならいくらでも生まれうる世の中で、本当の激情はヤケクソの絶叫や衝動の雑な発散ではなく、ゾクゾクするリフや、それと丁寧に一体

  • SUN

    星野 源

    オザケン?ホーンセクションを使いこなし、ロックのパッションでエンターテイメントに仕上げる塩顔の文化人。ケレン味への美学も共通点。しかし、そのキャリアは長く、芸風はあのオザケンよりも幅広いようだ。 するっと入ってくるポップスなのに、そのまますり抜けていかず残っている。ゴリゴリのベースや、隠し味のノイズ、ボトムの強いリズム、良い男声、もしかしたらアートなMVも一役買っているかもしれない。ちゃんと

  • Ice Candy

    カフカ

    IceCandy、良いギターロックである。 突風のように蒼い轟音と疾走感。歌詞の断片のブライトな響き。 歪んだシングルコイル、ディレイ。気持ち良い。 ときは2000年代前半。 私たち日本生まれのゆとり第一世代は思春期に差し掛かり、ある遺伝子変革に遭遇したのだと思う。 ギターロックという本能の誕生である。 禁断の果実はBUMP OF CHICKENだったのだろうか。 あるい

  • 8 BEATのシルエット

    布袋寅泰

    ロンドンでの数年間を経て、原点に戻ったかのようなオリエンタルなパワーポップ。きっかり8分音符のギラついた単音リフから始まり、ミュート、カッティング、歪んだオブリガードを駆使し、ソウルなコーラスで徐々に高まっていき、歌謡メロディのサビで開放。自由気ままにやった結果このポップな形になっているようであることが、なにより健康的でうらやましい。ギターソロではテンポチェンジなど一工夫凝らしているが、それもまた

  • Summer Soul

    cero

    上質だ。これぞ真の音楽好きが真の音楽好きに自信をもってレコメンドできる最高に上質でソフィスティケートされたジャンル越境ポップロックミュージックだ。 ベースが良い。 超聴こえる。 ベースを聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 ドラムが良い。 タムで刻み、金物をキーボードのように聴かせるバンドは大抵良いバンドだ。 テクニカルなのに、編曲に嫌味がない。 こういうのをズルいと言う。

RANDOM REVIEWランダムレビューから音楽をみつける

  • ドラマ主題歌として書き下ろしの曲。
    線の細いフォーク歌手であった往年のイメージからすると、出だしから、重厚なストリングスとピアノの光沢にいささか面食らう。

    AKB48の指原莉乃が自身の誕生日にディナーショーを開催して話題になった。さすがの彼女も当日はドレスアップしており、日本歌謡史のスタンダードナンバーを中心に据えたセットリストはディナーショーに相応しい、フォーマルな仕上がりだったようだ。

    そう、ディナーショーとはそういうものなのだ。
    『夢見る人』のソングライティングと編曲には、さだまさしが長年のディナーショーで、身につけた"フォーマル"が顔を出していると感じた。

    MVでの上品なスーツ姿もそうだろう。
    40年ついてきた女性ファンも歳をとった。
    ファンたちを想いを汲み取り、壮年男性として目指すべき格好良さを探ったさだまさしが出した答えは、「やさしいスーツの日本のおじさん」を極めるところにあったのかもしれない。みすぼらしさすら強みに変えた青年の頃とは大きく変わったのだ。

    変わったと言えば、次の歌詞に注目したい。

    "愛するとは 夢見ること
    愛しき人

    愛するとは 信じること
    夢見る人"

    なんて無害で抽象的だろうか。
    その具体的すぎるディティールが衝撃を与えた『関白宣言』や、

    "あなたの愛した母さんの
    今夜の着物は浅黄色
    わずかの間に年老いて 寂しそうです"

    と、あえて心に切り込むことでハッとさせた『精霊流し』などの代表曲と比べると、ピントがずいぶんとぼんやりしている。

    それは、もしかしたら、愛はディティールで語れるものではない、という紆余曲折の末のひとつの悟りなのかもしれない。という読みはきっと好意的にすぎる。彼に限らず多くのアーティストにおいて、キャリアを積むに従って歌詞がシンプルになっていく傾向は見て取ることが出来る。しかし、さだまさしのそれは端から端への極端な転向であり、とても興味深いものがある。

    それでは逆に、変わっていないところはなんだろうか。

    中性的なハイトーンヴォイスがそれだろう。曲作りにおいても、それを全開に活かせるように構築しているのが見て取れる。そのイメージを崩さないことへのこだわりと意地を随所に感じられるのは、それが「やさしさ」という彼の歌のもう一つのキーワードを支えるものになっているからだ。

    中性的ハイトーンヴォイスといえば、草食系ロックバンド隆盛の21世紀において、多くのバンドが武器にしているものだ。その元祖がここにあるのだから、若手は、さだまさしという歳のとり方を見ておくと良いのかもしれない。失うもの、残ったもの、固執したもの、変わらなかったもの。表舞台でキャリアを積むというのは、一番良いときのままではいられないということだ。無常への意識はいつだって、素敵な音楽をやれているかどうか、を分かつ岐路において、良い緊張感に変わってくれるものだと思う。
    『ディナーショーとハイトーン』 を詳しく ≫
  • IceCandy、良いギターロックである。

    突風のように蒼い轟音と疾走感。歌詞の断片のブライトな響き。
    歪んだシングルコイル、ディレイ。気持ち良い。

    ときは2000年代前半。
    私たち日本生まれのゆとり第一世代は思春期に差し掛かり、ある遺伝子変革に遭遇したのだと思う。
    ギターロックという本能の誕生である。

    禁断の果実はBUMP OF CHICKENだったのだろうか。
    あるいはMr.Childrenからすべては始まっていたのだろうか。


    上記バンドを熱心に聴いていたか否かは実は重要ではない。iPodに入れてなくたって、空気感染のように、私たちの細胞に疾走ギターロックは刻まれていた。


    養分たっぷりの大地に育った。
    そんな印象だ。
    満たされた僕たちの欠落、なんてのは安易すぎるモチーフではあるけれど、カフカの音楽にはそうした豊穣さにもとづいた説得力と感情の揺れがある。


    サウンドだけではない。
    ノーベル文学賞をボブ・ディランが受賞した件はまた別の話だが、邦楽ギターロックというジャンルには、よりざっくりしたイメージとしての文学の幻影がつきまとう。バンド名からして、カフカもその土壌に咲いている。そのルーツを厳密に辿るには別の機会を設けるとして、カネココウタが言葉やMVやその他このバンドを表象するあらゆるイメージで、組み上げたい世界観も真にこの邦楽ギターロック文学と言うべき系譜を受け継いでいる。


    4つ打ちビートでフェスシーンを盛り上げるバンドたちが歩む道と比較するとカフカのそれは、より正道であり、オールディーだ。

    その差異はもしかしたら重要かもしれない。
    というのも、そのアイデンティティに、きっと双方があまり意識的でないのが今のバンドシーンだからだ。
    それを強く意識したとき、初めて母体となるシーンの再検証と、バンドの次の闘いが始まる。
    『ギターロックという本能』 を詳しく ≫
  • いまどきこんな純度の高いなハードコアバンドがいたとは。


    シンプルなリフが良い。
    結局グッドメロディじゃないか、みたいな甘っちょろいところが無いのが良い。


    こんなバンドに対してあえて言いたいが、パンクロッカー労働組合はとても音楽的である。
    激しいだけの音楽ならいくらでも生まれうる世の中で、本当の激情はヤケクソの絶叫や衝動の雑な発散ではなく、ゾクゾクするリフや、それと丁寧に一体化したメロディにこそ宿るのだと思い出させてくれる曲。
    作曲も良いが演奏も良い。
    パンクだから下手でも良いなんてのは、何かの勘違いだったのだろう。
    気持ちは表現に宿る。であれば、表現力というやつは確かに必要なのだ。


    実情は分からないが、このパンクバンドは、日本のメロコア、ポップパンク、青春パンクを通過した形跡が見当たらない。少なくともその形跡が残っていない。
    なによりもそれがすごいと思う。
    一見、初期パンクやアングラパンク然としたバンドでも、入り口はモンパチだったみたいなバンドは沢山いる。
    カップリングやアルバムでハードなサウンドや反体制をブっても、リードシングルではZARDと同じコード進行じゃねえか、みたいなやつらだ。
    しかし、パンクロッカー労働組合は60~70年代の国内パンクのどぎつい感じこそが核になっており、決してそれが背伸びでも虚勢でもないことが一聴してわかる。

    INUやあぶらだこに影響を受けているのだろうか。
    プロレタリアートのグツグツと煮えた魂にバリバリのリアリティを感じる。
    とはいえ時代は違うのだ。混沌が煌めいた60年代はとっくに終わり、現代は、強い主張は何もかもが斜に構えた正論に封じられる10年代だ。
    この開き直り悟り社会で、その迷いの無さをどうやって、どこで育ててこれたのだろうか。
    絶滅危惧種を見た気分になってくる。
    しかし、それは決して時代錯誤なんかじゃないことが音楽を聴けば分かる。
    これが流行ったら日本も捨てたもんじゃない。


    彼らが拠点にしている高円寺にはまだこんな雰囲気があるのだとしたら、沿線に住んでいる私はすぐに引っ越したほうが良い。PVのクリエイティブや、デモ活動など含めて、気持ち良いほどブレがない。
    これが流行ったら日本も捨てたもんじゃない。
    ていうかオーバーグラウンドになるのは無理じゃないのか。
    すっごい好きだけど。

    あと、ネット上では普通にピースフルなのも面白い。ここだけ現代風。
    『絶滅危惧種を見た気分』 を詳しく ≫
  • 金井政人は非常にモチベーションの高い人間である。そして理想の高い人間である。
    無理もない。この人は持てる者だ。


    まず普通に顔が格好良い。
    そして学がある。ポイントは最終学歴ではなく、付属高校から中央大学に進学していることだ。東京出身。私立の高校に進学できるだけの経済的余裕と、文化資本を備えた、いわゆる中流家庭の出身であると推察できる。

    BIGMAMAの優美でクラシカルな世界観は、金井のこうした育ちの良さが大きく寄与している。メンバーの確かな演奏力にも、きっと同様のことが言える。


    金井政人は理想が高く、そこへ向かう努力を怠らない。彼はある種のナルシストであり、それが彼の人生に完全にポジティブにフィードバックされている稀有なタイプだ。


    金井政人はいくつものカードを持っている。その中でも、彼がバンドに夢中になって以降最も念入りに育てているカードが、作家性という名のカードだ。作家性というキーワードはインタビューなどでも本人の口から触れられている。


    彼の高いモチベーションと豊かな文化資本と感の良さが、ヤンチャなイケメンのレベルでしかなかった作家性を、プロのソングライターという看板に耐えるところまで引き上げた。アーティストかくあるべし。金井政人は、自身の潜在的な作家性を肯定せず、生真面目に理想を追った上で努力する。読書については、次のように豪語している。


    "日課の読書は言葉を知らないバカでありたくない義務感にのみ由来している"(ブログ)


    最新アルバム『Fabula Fibula』でも作家性へのチャレンジが行われている。
    『Fabula Fibula』は、"収録されている全ての曲に街の物語とテーマがあり、アルバム1枚で一つの地図ができあがる"(リアルサウンド)というコンセプトを持ったアルバムだ。


    サージェント・ペパーズ以降、ロックは若者の遊びから離れ、芸術になっていく。その象徴がコンセプトアルバムという試みだ。金井にとって今のBIGMAMAは、芸術のステージにあると言える。


    『BLINKSTONEの真実を』では、フィクショナルな雰囲気がむんむんであることをまず指摘したい。
    美術館で撮影したMVは言わずもがな、冷たくヨーロピアンなメロディラインは、ポップミュージックとして落ち着いてしまうことを拒む強さがある。
    面白いのは、ハードロックなギターリフをガッツリ組み上げた上で、このような雰囲気に持っていくところだ。当然だが、作家性への拘りが第一に追求するのは歌詞ではない。オリジナリティだ。
    その点、チャレンジングなサウンドや編曲は金井にとってマスト事項となり、それは『BLINKSTONEの真実を』に象徴的である。


    歌詞にも一見の価値がある。


    "Don't look into her eyes
    dangerous It's a sweet trap
    決してその目を合わせてはいけない"

    "目と目が合えばその瞬間に
    氷のような冷たい接吻
    恋と地獄の底なし沼へ"

    "Medusa she is Medusa
    criminal she is criminal
    BLINKSTONEの真実を"


    BLINKはまばたきだ。見たものを石に変えてしまう、ギリシア神話のメデューサをモチーフにした物語だと分かる。
    気になるのは、"she is criminal"というセンテンスだ。メデューサがある種害悪のある存在であることは周知の事実である。つまり、彼女がcriminalであることを客観的に指摘する行為は、原理的には伝えるべき情報から省かれている。
    逆説的に解釈できるのは、メデューサ、あるいはメデューサに例えられている女性は、crinimalな存在ではないということである。そして彼女をcriminalと主張するのは、あくまで物語の語り手であり、それはひとつの主観でしか無いことを覚えておきたい。
    冒頭には次のような歌詞がある。


    "決してその目を合わせてはいけない"


    "その目"は、メデューサの目ではなく語り手の目を指す。
    ここにおいても、客観的にメデューサをフィーチャーするのであれば、「その目を見てはいけない」あるいは「その目に合わせてはいけない」と表現するほうがより自然な表現だと感じる。メデューサの目でなく、語り手の目が目的語となっていることに、客観ではなく主観に力点が置かれていることが象徴される。


    最後に、"BLINKSTONEの真実を"について。
    BLINK、まばたきをするのはやはり物語の語り手だ。
    そして"真実"があると説く。
    真実は物語が主観で描かれるときのみ脚光を浴びる。なぜなら主観から真実は隠れるから。
    逆に、客観とは神の視点であり、客観である限り真実は開かれている。


    まとめると、この曲の物語は、極度に語り手の主観に依存しており、それがひとつの仕掛けになっている。
    メデューサを一方的に、criminalな存在にしているのは、物語の語り手だ。

    そして真実はいつだって主観の外側に在る。この曲は、主観とは異なった真実を、間接的に読み取らせる構造になっている。ちなみにその真実がなんなのかは描かれていない。とはいえ、主観の記述を全面的に反転させることがヒントになるだろう。そこでボンヤリと見えるのは、メデューサという外的な危機ではなく、語り手自身の内的な退廃と、それがある状況に陥ったときの人間の宿命的なものであるという諦観、そして破滅的なロマンである。


    以上が、金井政人にとってどれだけ意識的なアプローチであったかは大した問題ではない。なぜなら、真実は金井政人の主観の外側にあるからだ。金井政人の作家性に誓って。
    『金井政人の作家性 メデューサの真実』 を詳しく ≫

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  • Turning Up

    嵐(ARASHI)

    嵐がインターネット (YouTube、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、Weibo) を解禁したことは2019年のJポップ最大のニュースだ。彼らがただのアイドルから一皮むけたのはもう十年くらい前だったと記憶している。斜に構えていることの多い私の大学の友人たち (男性) の間では、その頃同じようにチャートを席巻していたAKBグループやEXILE TRIBEと比較し

  • Ride My Car

    The ManRay

    ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。 The ManRayはそんなバンドだ。 だから安心して聴ける。 メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。 それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。 良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。 ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための

  • RE-FAURÉ

    Jessica × Mizuha Nakagawa × Prefuse73

    クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。 いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。 クラシック音楽は、格好良い。 尊敬される、良質な趣味だ。 日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。 果たして。 そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。 Y

  • ニューゲームがはじまる

    水野智広

    幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。 ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。 水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。 それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。

  • 恋人ができたんだ

    My Hair is Bad

    若々しい。イマドキの若者感、イマドキの恋愛感をどストレートに感じ取れる曲だ。 大衆文化は世相を反映する。とくに音楽はそうだ。 では、どんな大衆音楽が、世相を感じ取るのに向いている音楽なのだろうか。 メッセージ性のある社会派ロックだろうか。海外の最先端を捉えたヒップホップだろうか。インテリジェンスのあるシティポップだろうか。DIYなインディーパンクだろうか。 私は、若者が書いたラブソ

  • ハイエース

    フラワーカンパニーズ

    フラカンといえば『深夜高速』。言葉の響きも格好良いし、夢、青春、音楽、自分のやりたいことを追求し、 "いやらしさも汚らしさも むきだしにして走っていく(ブルーハーツ)" ことの決意・道程を描いた歌詞は、青春の渦中にいる若者にも青春を終えた中年にも刺さる普遍性を持っている。日本のロックのスタンダード・ナンバーに数えられる名曲だと思う。 私が『深夜高速』を知ったのは10年以上前だった

  • カガミヨカガミ

    トライアンパサンディ

    ヘビーでポップでオルタナティヴ。曲が良い。トライアンパサンディの楽曲は粒ぞろいだ。それもそのはず、ボーカルのG-YUNcoSANDYは、GOLLBETTYとしてトイズファクトリーから若くしてメジャーデビューしている。 トライアンパサンディは、巷によくある、かわいくて格好良いバンドではないようだ。『カガミヨカガミ』での出だしのビターな歌メロのリフレイン、主張しすぎないギターリフ、声へのエフェク

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  • 嵐がインターネット (YouTube、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、Weibo) を解禁したことは2019年のJポップ最大のニュースだ。彼らがただのアイドルから一皮むけたのはもう十年くらい前だったと記憶している。斜に構えていることの多い私の大学の友人たち (男性) の間では、その頃同じようにチャートを席巻していたAKBグループやEXILE TRIBEと比較して、「逆に嵐は格好いい」「嵐はむしろアリ」「なんかハマった」などといった謎のポジティブオーラが醸成されていたことを覚えている。その空気は今も驚くほど変わらない。嵐はなぜかリスペクトされたのだ。

    今回の嵐のネットアクションでまず初めに目に付いたのは、SNSで発信されるメッセージに必ず英語が併記されていることだった。また、まるでそれがSNS解禁と「同格」のトピックであるかのように大々的に、「東アジア・東南アジアへのJET STORMツアー」と「北京公演」が告知されたことが、私にはひとつの象徴的な出来事に思えてならない。

    英語を併記することは一見すれば英語圏を射程に入れているように思えなくもない。しかしそれは正確な見立てだろうか。
    先進国 (米・欧・日・韓) のポップカルチャーを先進国の若者と対等に消費し、対等に熱狂する東アジア・東南アジア在住の若者が今急速に増加し大きな存在感を持ち始めていることにもっと着眼すべきだと私は考える。英語であるが、ターゲットはアジアなのだ。

    アジアの中流以上の若者は同水準の生活をする日本人よりも明らかに上手な英語を話す。先進国 (米・欧・日・韓) のポップカルチャーをバリバリ消費する彼らの背景には家庭の経済力がある。彼らは特権的な教育を受けているから英語を話すし、外国のポップカルチャーへの飢えを満たす武器として「英語でググる」現場力を習慣として養っている。
    嵐の公式Twitterが始動してから五つ目にTweetされた内容が興味深かった。


    僕たちは世界中のファンの皆さんが大好きです。 あなたがどこに住んでいるか知りたいです! 教えて下さい!
    We love all of our fans across the globe. We want to know where you are from! Let us know!
    #ARASHI #嵐


    このTweetに5万を越えるリプライがついている。そのリプライを辿るとほとんどが日本人ではない東アジア・東南アジア人による英語で書かれたTweetだった。台湾。中国。香港。フィリピン。インドネシア。マレーシア。シンガポール。韓国。日本人の「黄色い声」がもうそこでは「黄色い声」としての存在感を持っていなかった。
    『Turning Up』の歌詞を見てみると、


    世界中に放て
    Turning up with the J-pop!


    がサビの最後をキメる。
    MVでは日本のパスポートにスタンプを押して飛行機に乗り、世界へ飛び出してはじけるメンバー五人が描かれている。

    嵐はアジアを見て、インターネットに打って出た。日本国内に限れば秘密主義・閉鎖主義もブランディングになったが、世界から見ればただの時代遅れだ。彼らはそのうち台湾で流行している髪型にカットして、マレーシアで最先端の曲調を取り入れて、インドネシア語混じりの曲を歌うことになるかもしれない。
    今回の一斉解禁は一見すると積極攻勢のようだが、見方によっては「外圧」にやられた「開国」と言うこともできる。市場としての「外」を無視できなくなり、そのパワーで「内」の論理の破壊を迫られた形になるからだ。
    だがそれは希望的な開国であり希望的な破壊である。ガラパゴス化した、世界第二位の音楽市場を持つJポップが世界に放たれるときが来たのだ。
    『アジアの黄色い声がJポップを変える』 を詳しく ≫
  • ロックバンドがロックしかしない。それって結構珍しい。
    The ManRayはそんなバンドだ。
    だから安心して聴ける。
    メロウにもオシャレにもギャグにもヤケクソにもならず、ひたすらロックが聴ける。
    それはとても幸せで、とても稀有なことだったのだとThe ManRayを聴いて思った。

    良い意味で、楽曲に楽器が奉仕していない。
    ベースとドラムとギターが独立した距離感で立ち回り、そのための道筋を歌が引いている。
    The ManRayはきっと一曲への拘りは薄いのだと思う。
    まるで、世紀の大名曲なら、いくつか既に世に送り出してきたベテランバンドのように。
    その余裕が塩梅の良い編曲に繋がっている。
    Beatlesの『Drive My Car』を彷彿とさせる『Ride My Car』ではとくにそれが顕著だ。

    まず曲が短い。終わり方は崩れ落ちるようにあっさりだ。
    一番盛り上がるのはギターソロ。
    泣きのフックもない。
    BPMもゆっくりだ。
    粘っこいリズム。
    こんな小品。なかなかリード曲にできない。
    要するに一般人には結構レベル高い。

    彼らの楽曲に一貫するこの手の美意識は、何を原動力に成り立っているのだろうか。

    それは自らのバンドコンセプトへの徹底した信頼なのかもしれない。
    Profileには次のように書かれている。


    "荒々しく土臭いサウンドに気怠いなかに苦みを 効かせたヴォーカル。クールかつルードな佇まいで、時代に媚びないロック美学を熱く貫くリアル・ロックバンド!!"


    なるほど、まさしくその通りである。
    良いバンドには良いコンセプトがある。
    良いコンセプトとは、わかりやすいコンセプトだ。
    人のキャラクターと同様で、パッと見で理解しやすいと人は心の障壁を取り除く。
    たくさんの顔と趣味を持っている男が、ラーメンの食べ歩きが趣味です、と自己紹介するように、多様なジャンルの音楽制作に精通したクリエイターが、パワーコードのパンクロッカーとして生きていくことはありえるし、それはとてもクールなことなのだ。私はThe ManRayにはそれと似た佇まいを感じている。

    今後、あくまで友好的に見守りたい課題があるとすれば、The ManRayのコンセプトがあまりに、"時代に媚びないロック"にすぎるところかもしれない。おそらく、一般人には理解できなくても、多くの音楽好きにThe ManRayのセンスは愛されるだろう。全く別のジャンルからもリスペクトされ得る"媚びないロック"がそこにある。
    しかしロックバンドたるもの、時代に媚びずとも、時代が媚びてくるくらいのポピュラリティをどこかで獲得する可能性を秘めて欲しいものだと、私は思っている。
    安心して聴ける良質のロックアルバムを3枚くらい出した暁には、獲得したファンと自らのキャッチコピーを裏切るような動きをしてみては、と思っていたりする。
    『バンドコンセプトへの徹底した信頼』 を詳しく ≫
  • クラシック音楽を聴きたい人はたくさんいると思う。
    いや、大人なら誰もが一度は「聴こうとした」ことがあると思う。

    クラシック音楽は、格好良い。
    尊敬される、良質な趣味だ。
    日常生活に、クラシック音楽がある。不思議なことにただそれだけで、その日から人生が豊かになってくれそうな気がしてくる。

    果たして。
    そのようにしてクラシック音楽に触手を伸ばした彼らはその後どうなったか。

    YouTube、TSUTAYA、タワーレコード。
    ベートーヴェン、モーツァルト、ショパン。
    知っている名前をつかって、馴染みの場所でそれを探して、音源に辿り着く。きっと彼らは感動したはずだ。

    やっぱり、クラシック音楽は良い。

    自分はクラシック音楽を好きになれる。

    自分はクラシック音楽の良さを理解できる……。


    さて、さらにその後は、いかがだろうか。
    私の周りを見渡した限り、そして私自身を振り返った限りにおいて、ほんとうの意味でクラシック音楽を趣味として確立できている人は見当たらない。少しばかり詳しくなって、それきりだ。

    面白いことに、音楽それ自体にどれだけハマっていたかは問題にならない。私のように、創作側に片足を突っ込んで人生を棒に振った輩から、ポップスすら聴かない真っさらな状態でクラシックにチャレンジした人まで。みな同じようにして、クラシックに接近し、そして無かったことにしていった。


    さて、そんな問題に意識的にアプローチしただけでも、good umbrella recordのRE-CLASSIC STUDIESは値千金である。私たちはクラシック音楽を聴きたい。クラシック音楽は私たちに聴かれたい。相思相愛にも関わらず引き裂かれた両者を繋ぐことを、このプロジェクトは目的としている。

    RE-FAURÉではまず、パッケージングの妙を聴いてほしい。
    全40分の音源に、Prefuse73(スコット・ヘレン)による7つのInterlude(幕間)が含まれている。ピアノと歌で再現された13のガブリエル・フォーレの歌曲の間に、適宜、Interludeが挟まるのだ。それがなんとも心強い安心感と、興味をそそるストーリーを与えてくれる。


    ベストアルバムではなくオリジナルアルバムを聴いてこそ、そのアーティストを知れる理由があるとすれば、そこにパッケージングがあるからだ。パッケージングにはアーティストの文脈が顕れる。文脈への理解と、文脈に身を委ねる安心感が、音楽への愛着を強化し私たちを音楽に没入させる。クラシック音楽の敷居が高くなってしまった背景には、クラシック音楽の持つ文脈が、他の音楽に比べて見えづらいことがある。だから、愛着が持続しないのだ。

    Prefuse73の功績だけではない。RE-CLASSIC STUDIESと銘打ったこと自体にも、強い文脈を宿らせる力がある。コンセプトを打ち出し、シリーズをつくったことで、クラシック音楽にトライするときの拠り所の無さが解消されていることに私は気づく。


    楽曲の再評価はそれこそ音源を聴くに任せておこう。
    RE-FAURÉでは、Jessicaのボーカルも良かった。良い意味で気安く、カジュアル。若々しく無垢な声。大作家を歌いこなそうという気負いをあまり感じさせず、だから古典に寄り添いすぎず、成熟しすぎず、瑞々しい現代の音楽になっている。中川瑞葉のピアノはとびきりメロディックだ。流麗だったり軽快だったりする前半から、聴き進むにつれ次第に陰影が強くなっていく後半への流れは、主張を増していくPrefuse73のInterludeとともに、中川瑞葉の熱量が大役を果たしている。

    それにしてもRE-CLASSIC STUDIESは、何もかもが易きに流れるいまの世の中にしては、随分と足腰の強さを感じるプロジェクトだ。WEBページには次のような惹句がある。


    "モーツァルトも、ドビュッシーも、フォーレも、(ビートルズやレディオヘッドのように)素晴らしいメロディーメーカーであり、「ソングライター」です。"WEBページより)


    まったく素晴らしい惹句だ。クラシックもロックもジャズも、どれが良いわけでもないのだ。分断された世界を、再解釈で繋ぐ、真の意味で実験的で批評的なこのプロジェクトを楽しみたい。
    『クラシック音楽は私たちに聴かれたい』 を詳しく ≫
  • 幸せの絶頂にいるときに聴きたい音楽がある。悲しみのどん底にいるときに救ってくれる音楽がある。穏やかで安定した毎日だから愛聴できる音楽がある。水野智広の音楽はそのどれでもない。

    ひとつキーワードを選ぶとしたら、「不安」だ。
    水野智広の音楽は日常の不安を解毒する作用を持つ。どういうことだろうか。
    それを明らかにするためにはまず、彼の楽曲に随所に見られるホラー要素について考えてみる必要がある。


    ホラー小説、ホラー映画。ホラーは人々に恐怖をあたえるジャンルだ。

    恐怖は原始的な感情だ。かつて世界は恐怖に満ちていた。自然災害、獣、暗闇、大海、炎、死、死者、未知数の共同体、敵対する部族、民族。生命の脅威に怯えるとき、人々は恐怖を感じる。

    病気や交通事故などを除いて、生命の脅威がほとんど取り払われたユートピアのような現代社会で、私たちは恐怖以外の些細なものに囚われて生きている。エンターテイメントとしてのホラーは、偉大なる恐怖という感情を利用して、恐怖以外の些細なものごとから私たちを解き放ち、カタルシスを与える力を持っている。

    恐怖以外の些細なものごと。それらは、不安という形で私たちに巣食っている。どう転んでも死にはしないものごとに囚われて、私たちは不安とともに生きている。

    水野智広の音楽が不安を解毒する理由は、現実世界に付きまとう即物的な不安とはまるで異質な、ヒヤッとした社会の裏側をつきつけてくることによる。彼の曲の中ではやすやすと人が死んでしまうが、それをシュールなギャグだと笑い飛ばしてしまうのはちがう。彼の曲には、そうやって笑い飛ばしてしまう自分自身を冷ややかに見ている視線が存在する。
    見えている世界が、一瞬だけネガを反転させて、やがてもとに戻る。戻ってきたときに私たちにはネガの残像が強く焼き付いている。その残像で、目の前に在る当たり前の世界が少しだけ嘘くさく見える。そこに、ホラー短編の読後のような非日常感と、カタルシスがある。そしてその余韻の中でふと気づく。私たちの日常生活に巣食っていた不安たちがそのときとても小さくなっていることに。なぜなら、ネガの反転した世界の恐ろしさが、よほど強烈な印象を残しているからだ。



    音楽的には、メロディ、リフ共に、ひとつの印象的なアイデアだけで一曲を貫き通すことが多く、少し物足りないくらいの小品に仕上げている。短いのに、いや短いからこそ、曲が終わった後に変な余韻を残している。そのあたりも短編小説の趣きだ。抽象度は高いが上述のようにばりばりコンセプチュアルな歌詞世界と曲調がリンクし、オリジナリティは抜群だ。

    音楽にドラマティックな感情の高ぶりを求める癖がついていると、それとは全く異質のベクトルに戸惑うかもしれない。しかし、日常に振り回されていることの小ささを感じてしまうほどの、もっとおおきなものへの畏怖を彼の曲は呼び覚ましてくれる。それは図らずしも、古来からあらゆる芸術の根幹に必要とされてきたものである。
    『反転したネガの残像』 を詳しく ≫
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